恵方巻、住吉文化説

恵方巻の起源について。 分布域の偏りから、あびこ観音を中心とした厄除け信仰のメッカとして大阪・住吉地域を起源とする説。
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iseakira @iseakira

恵方巻きの起源には諸説あるが、戦前の大阪下町の厄除け風習というのが妥当に思う。花街どうこうは分布域の展開からして違和感がある。大阪における古い普及地は節分厄除けのメッカで、今も厄除け饅頭や厄除けイワシなど厄除け○○だらけのあびこ観音周辺など住吉界隈の下町が中心である。

2015-01-02 08:23:58
iseakira @iseakira

恵方巻きについて、昭和40年代発行の篠田統著『すしの本』で阿倍野の鮨屋で巻きずしアリとやってて何のことか?というエピソードがあり、大阪に広く普及しいていたものでは無かったことが分かる。また花街の風習で町屋では行われないとも。…がこれは違うのだ(つづく)

2015-01-02 08:36:24
iseakira @iseakira

阿倍野区民的には、祖母等に聞いても、恵方巻は戦前からこっちじゃ普通にどこでもやってる風習。もちろん花街とかじゃない。普通の一般家庭でみなやって、時期になると家で作る。つまり、船場の花街説は相当嘘臭い。あびこ観音を中心とした住吉周辺の風習というのが先行するというのが妥当。

2015-01-02 08:39:11
iseakira @iseakira

実は船場の花街説が出る土壌は想像付くのだ。実は住吉大社の大きな支援者として船場の花街の有力者がかつて戦前あり、御田植祭で船場花街の踊り手が参加する風が今でもある。つまり住吉周辺の風習・習慣が、船場花街にピンポイントで伝わったのである。

2015-01-02 08:41:48
iseakira @iseakira

住吉周辺では戦前から一般家庭の風として恵方巻(戦前、戦後とふつうは単に「太巻き」といった)が普通に普及しており、決して花街文化ではない。一方住吉と厚信徒として深く結びつきのあった船場花街では花街限定の文化として伝わり、一般家庭には伝わっていないという断絶が起こったのである。

2015-01-02 08:44:23
iseakira @iseakira

で、これを取り入れて商売にした海苔業界、寿司業界は、おそらく船場花街での風を参考にしたのであろう、花街発祥と勘違いして普及に力を入れたと考えられる。そして近年のコンビニ業界により恵方巻き全国波及という流れ。戦前の分布状況、層からして、花街ではなく、住吉周辺の厄除け民俗であろう。

2015-01-02 08:46:57
iseakira @iseakira

今でも大阪における節分厄除けのメッカといえば、あびこ観音。周辺には厄除け饅頭をはじめ、厄除け鰯だの厄除け○○が時期には売られまくる。そういう土壌の地域で、厄除けの節分の「太巻き」(かつて恵方巻きでなく単にそう呼んだ)が戦前から地域限定で根付いていたと考えれば一番自然と考えられる。

2015-01-02 08:51:59
iseakira @iseakira

住吉周辺の戦前からの民俗としては、節分時期になると、太巻き材料が商店街で売りに出される。もちろん寿司屋も売るが、一般的には各御家庭内でやるものだったようである。船場花街説を取ると、なぜ船場では花街だけなの?それが住吉じゃ一般に根付いてずっときてるの?という疑問がつきない。

2015-01-02 08:56:54
iseakira @iseakira

大阪でも、住吉地域の一般ご家庭と、船場の花街*だけ*で戦前の古くからある民俗って変でしょ。素直に考えれば、節分厄除けのメッカで有名であった住吉地域の習俗が、御田植祭でも分かるが、戦前熱心な信者で深く信仰していた住吉大社を通じ、船場花街へ限定的に伝わったと見るのが自然であろう。

2015-01-02 09:01:10
iseakira @iseakira

阿倍野区民の自分の祖父母世代聞き取りで、明らかにここらでは大昔から一般的な風習であることが分かる。篠田統『すしの本』の阿倍野の鮨屋で見た風習という記述とも一致する。住吉周辺の古くからの地域限定の風習や特異性を踏まえてない他所もんの推論は、地元民から言うとなーにいっとんねんというか

2015-01-02 09:13:23
iseakira @iseakira

このあたり、民俗学者とかもちゃんと住吉の地域風習という部分すっぽり抜け落ちてて、誰も論考してないんじゃないか? 明治以後の御田植祭にも見られる、住吉大社と船場花街のタニマチ関係とか含め、きちんと調べると面白いテーマかもしれない。

2015-01-02 09:17:31