- treeofevil
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結局、端々が引っかかる巨躯を無理やり扉の中に押し込めるのに、半刻もの時間を費やしてしまった。やっとの思いで通り抜けた扉を振り返って、はたして帰りもちゃんとこの骨を押し込められるだろうかと、子は小さく溜息をつく。辺りは暗く、今し方もらした息の他、何の音も耳を撫で上げる事はない。
2015-01-11 19:04:55『こうも暗いと、また眠くなってくるな』 【拒絶】の用意した飲み物で腹を満たし、更にそれを得るまでに適度な運動…カップまでのたった数歩の距離ではあったが、子にとっては十分な運動といえるそれも果たしている。そんな中おあつらえ向きに用意されたこの静寂だ、寝るなと言う方が無理な話である。
2015-01-11 19:06:39『…うぅー、むー…うぅん…』 移動を全て巨躯に丸投げし、身を任せてしまえばいよいよ眠気は本格的なものとなった。ぐらり、ぐらりと揺り籠の様に僅かに起こる振動が心地良い。気を抜けば一瞬で引き込まれてしまいそうな眠気にあと一歩の所で抗いながらも、その瞼は殆ど閉じかけてしまっていた。
2015-01-11 19:07:34『ああ』『みて』『ほら、ねぇ私』『先に何かがあるよ』 『きらきら』『きれい』『なにかしら』 双頭の片割れから、子に呼びかける様に声が響く。 暗闇の先、何か光の様なものが見え始めているのを、ぎょろりとした目玉は確かにとらえていた。
2015-01-11 19:08:43その光景を双頭を通じて僅かに感じとりながら、それでもやはり眠気に耐えられなかったらしい。 『ついたら起こせ』と一声もらした後、子は丸まったまま動かなくなった。
2015-01-11 19:09:46ノブを捻り戸を薄く開く。コンコン、と軽く叩いてみる。静寂のみが返るのを確かめてから大きく扉を開け放った。 そこはしんとして薄暗く、曇り膜が張ったように視覚も聴覚も刺激しない。ただひとつ嗅覚だけが、紙と黴と埃が薫るのを感じ取った。
2015-01-11 19:44:50己が禍罪を呼び出して一歩、扉の向こうに踏み出す。まとわりつく感覚に目を閉じ、開くと、ずらりと柱が並んでいた。本を収めた木の棚が、天井を穿ち整列している。思っていなかった光景に、【残酷】はきょと、と首を傾げた。ふいと禍罪を引っ込める。ふらり本棚に近寄り、その臓物を引き出し始めた。
2015-01-11 19:46:35『起きて』『起きろ』『おはよう』 こつんこつん、と頭に軽い感触。続いて差し込む眩しい光の感覚に、子の意識は糸を手繰る様に引き寄せられた。 『…んだよー、もうついたのかよー』 大きな欠伸をひとつ、くぁあともらす。体感的には、自分が瞼を閉じてからそう時間は経っていない様に感じられた。
2015-01-11 20:47:06子としてはまだまだ寝足りないところではあるが、ここで二度寝をしてしまうとうっかりいつもの如く20時間の眠りに発展しかねない。流石にそれがまずい事くらいは子とて理解していたので、なんとか眠気を払い、不安定に揺れる双頭の瞳孔を介して、取り敢えずは周囲の様子を見渡す事にした。
2015-01-11 20:47:39『おお!なんだこれ、すげー!』 辺りは本の海、と言っても過言ではないだろうか。常人よりは範囲が広い双頭の視界をも埋め尽くすほどの本棚が辺り一面に広がっている。 子の気分の高揚に合わせてか、巨躯の尾がゆらり、ゆらり、と揺れた。
2015-01-11 20:48:10けれど、所狭しと本が辺りを覆うこの区画では、その動きは余りにも大きすぎたようだ。尾は周りの本棚に当たり、衝撃を受けたそれからは本が雪崩の様に落ち大きな音をあげた。
2015-01-11 20:48:51空気とを床をも揺らす轟音にその邪悪は顔を上げた。見失いかけていた目的を思い出す。手に持っていた小さな本をポケットに滑り込ませ、固い革靴で床を叩きつ歩き出す。音のした方へ歩いて行けば棚から零れた書籍の山と、ヒトの手を彷彿とさせる白いものが見えるだろうか。
2015-01-11 21:53:02【残酷】の手に『禍罪』はない。【残酷】は己の過去に興味はない、それよりも同じ邪悪の喜びに、興味に思考に関心があった。 一般に。害意を向けられた生き物が頑なになることをその邪悪は知っていた。多少なりとも会話を望み理解と共感で臨むためには武器は邪魔だと判断した。
2015-01-11 22:01:30【残酷】が邪悪を見つけるのが早いだろうか、未知なる邪悪が見知らぬ存在に気がつくのが早いだろうか。【残酷】が早ければ、その両性は意識した柔かさで声をかけるだろう。こんにちは、大丈夫、片付け手伝いましょうか、と。
2015-01-11 22:06:33『ありゃ、やっちまった』 崩れ落ちた本の山に、しまったと頬を掻く。これらを直すべきだろうかと一瞬考えてもみたが、どうせいくら汚した所で咎めるものは此処にはいない。元より子は片付けだの後始末だの面倒な事はとことん嫌う達であったし、後ろの骨もこの図体であるため細かい作業には適さない。
2015-01-11 22:59:19放っておいた所で問題はないだろう。そう結論に至った【醜悪】は、とりあえず足元の邪魔な本だけ尾で払い避ける事にした。 『こんなに本があるって事はよぉ、俺様にぴったりの高尚な本とかざっくざっくなんじゃねーの?おい、いくつか持って帰るから良さげなの見繕えよ。』
2015-01-11 22:59:45背後の巨躯をぺちぺちと軽く叩けば、骨だからかやけに小気味のいい音が響く。 『あ、言っとくけどちゃんと児童書だぞ!俺様の将来に悪影響与えそうな奴は駄目だからな!』 そう釘を刺された怪物は、迷ったようにぐるりぐるりと首を回し、ぎょろりぎょろりと数多の瞳孔を巡らせる。
2015-01-11 23:00:16やがてそれは動きを止め、尾の先に着いた手が静かに何かを指し示した。 それを見て、子もまたぴたりと動きを止める。 それは子が探し求めていた絵本でも、童話集でもない、一つの人影。 双頭の目に映るそれに、黒曜の瞳を幾度か瞬かせて、子はその頬を緩く綻ばせた。 『みぃーつけた』
2015-01-11 23:01:41子供同士がおしゃべりするような声を頼りに歩を進める。みつけた、の声に見回して、散らばる本と幼子を見つけた。その子供を取り囲むオブジェにも揺り籠にも見える骨格を生体とは認識せず、ただ骨の眼窩の奥、ビー玉のような瞳が向ける視線だけは意識していた。
2015-01-12 08:55:37【残酷】にとっての自然よりだいぶ遠い間合いで立ち止まる。骨格が目いっぱい体を伸ばして届くか届かないかの距離で、幼子と視線を合わせるようにその邪悪は屈み込んだ。『禍罪』は未だ現出しない。あれは会話の妨げになる。あれは手に持っていると【残酷】に攻撃の意志がないのに勝手に斬ってしまう。
2015-01-12 08:56:00「こんにちは。私は【残酷】です。取りたい本があったの?」 聞き取りやすいよう、怯えを感じさせぬよう。ゆっくりと柔らかく、まま幼子に向けるように話しかける。その声が含む男にしかないざらつきを、無性に包まれていたであろう子供は聞いたことがあるだろうか。
2015-01-12 08:58:07『はろはろー、俺の記憶ちゃん。おもしれぇ声をしてるな、でも、不思議と懐かしい声だ』 忙しなく動く双頭の目玉は、現れた人影を隅々まで映す。 そこからはだらりと骨に寄りかかる自分と、そんな己と目線を交えようとする相手の姿が見て取れたが、生憎自身の瞳はただの硝子玉同然のガラクタである。
2015-01-12 14:08:31双頭からの視界を頼りに、頭の向きを僅かに変え相手と向き合うが、子にはそれが限界だ。恐らくしっかりと相手の目を見据える事は出来ていないだろう。 『ぐらおざーむ?…少し言いにくいな。まぁ、グラオザームとやら。とりあえずちっと上を向いちゃあくれねぇか。それじゃ、お前の顔が見えねぇ』
2015-01-12 14:09:30つぃ、と異形の腕が上の双頭を指し示す。己にわざわざ目線を合わせたり、ゆっくりと話したりする相手の意図は一体なんだろうか。常人ならば直に解を導き出せそうなものだが、相手のこの行動に何も思う所がない、思う事が出来ない子にとって、その解は非常に難解なものであった。
2015-01-12 14:10:00『俺様達は【醜悪】っつーんだ。一つしかねぇから、皆で仲良く分け合ってな。取りたいっつーか、まぁ、暇つぶしに良い感じの本を探してたんだけどよ。もう必要ねぇな』 巨躯の、その長い首が限界ギリギリまで引き伸ばされ、その先の鳥頭が真っ直ぐに【残酷】を見据える。 『遊び相手が、みつかった』
2015-01-12 14:10:28