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H.Takano|意識の高い学士 @midwhite
ワルラスの一般均衡理論は資本主義社会を相互に依存関係にある市場ネットワークと捉え、全ての市場の需給を同時に均衡させる価値体系の存在を数学的に証明した。商品の価値は全ての市場の需給関係に依存し、1つの市場の需給が変化すれば全ての商品の価値に影響する。(岩井克人『貨幣論』1998)
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この一般均衡理論がワルラスの後継者パレートを通じてソシュールに強い影響を与えたことは、ピアジェ『構造主義』が指摘している通りである。ソシュールが構造主義の創始者と見なされているのは、言葉の世界としての言語を「純粋な価値の体系」と規定したことによる。(岩井克人『貨幣論』1998)
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例えば「20エレのリンネルは1着の上着と交換可能である」と言う時、主語のリンネルを相対的価値形態、述語の上着を等価形態と呼ぶ。この時、リンネルと上着という全く異質な存在の各価値は「交換可能性」という関係性で結ばれている。従ってそれは社会的関係である。(岩井克人『貨幣論』1998
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商品の価値は、それ自体に内在しているのではない。他の商品との交換比率という関係性を通して、初めて価値が表現される。この関係性は物質的な必然性を持たない以上、社会的に定義されていることは明らかである。従って、価値は「商品の社会的関係」に依存している。(岩井克人『貨幣論』1998)
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一方、述語の等価形態は話が別である。「リンネルの価値を表現する」商品としての上着は、それ自体に価値が内在しているが故に表現手段となり得るのだと錯覚される。この「取り違え」を生み出す等価形態の不可解さこそが「貨幣形態の秘密」だとマルクスは述べる。(岩井克人『貨幣論』1998)
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一方において、商品と商品との直接的な交換の困難によって、商品がモノのまま対峙している「モノの寄せ集め」状態があり、他方において、貨幣の媒介によって全ての商品が相互に間接的な交換可能性を維持している商品世界がある。この差は貨幣の有無のみである。(岩井克人『貨幣論』1998)
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従って「モノの寄せ集め」が商品世界に転化していく物語を語るべき交換過程論とは、結局、商品世界を商品世界として成立させている貨幣なるものが一体どのように現実に存在し始めるのかという「貨幣の創世記」を語るに等しいことになる。(岩井克人『貨幣論』1998)
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「商品交換は、共同体の果てるところ、共同体が他の共同体またはその成員と接触する点で、始まる。」初めは「労働生産物が偶然的な時折の交換によって商品にされる」だけである。しかし、その繰り返しの中で「最も多くの欲望の対象」となる商品が慣習的に貨幣となる。(岩井克人『貨幣論』1998)
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貨幣論の長い伝統の中では「貨幣商品説」と「貨幣法制説」が長らく対立してきた。前者は貨幣それ自体が価値ある商品に由来し、交換が繰り返される過程で自然発生的に一般的な交換手段に転化したという説。後者は貨幣の起源を君主の勅命や国家の立法に求める説である。(岩井克人『貨幣論』1998)
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古典派経済学は「人々は貨幣を欲望するのではなく、貨幣を通して得られる財貨を欲望する。」と仮定する。即ち市場から貨幣というヴェールを取り去ると、人々は自らの持つ財貨を市場に送り出し、誰かの持つ同価値の財貨を市場から受け取るという物々交換を行っている。(岩井克人『貨幣論』1998)
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この「貨幣ヴェール説」に従えば、誰かが財貨を売る時は必ず誰かがそれを受け取っている。ある市場において供給過剰が起きている時、別の市場において同額の需要過剰が起きている。全ての市場の供給過剰と需要過剰を均せば、需要と供給は算術的に必ず一致する。(岩井克人『貨幣論』1998)
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貨幣とは、一般的な交換の媒介として、商品と商品の直接的な交換を、商品を貨幣と交換する売りと、貨幣を商品と交換する買いとに分離する。人は売ってから買うようになる。もちろん「誰かが買わなければ、誰も売ることができない」、とマルクスは言う。(岩井克人『貨幣論』1998)
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貨幣は一般的な交換の媒介であり、最も高い流動性を持つ価値の保蔵手段として人々に保有されている。すると商品に対する現在の買いは、その分だけ減少してしまう。従って貨幣経済において、供給(売り)は必ずしも同量の需要(買い)を伴わず、供給過剰が発生する。(岩井克人『貨幣論』1998)
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何らかの理由で人々の流動性選好が高まると、人々は買いを減らすか売りを増やすため供給過剰が発生する。この時、売り手は需要不足に応じて商品の価格を切り下げることになるが、どの競合商品の市場においても同時に価格が低下した場合、需要不足は持続してしまう。(岩井克人『貨幣論』1998)
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市場と市場の相互依存の網目が複数の市場において同時に価格を低下させた結果、商品の価格は下がれど需要不足は維持され、経済全体で価格が連続的かつ無際限に下落する。これがヴィクセルの不均衡累積過程論である。ここでは「見えざる手」は全く機能していない。(岩井克人『貨幣論』1998)
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ヴィクセルの不均衡累積過程が描き出す資本主義社会は破壊的なほど不安定だが、現実の資本主義はそこまで不安定的ではないように見える。物価や貨幣賃金が無際限に下落するような事態は歴史的に稀な例外だったに過ぎない。我々をその不安定性から救っているのは何か。(岩井克人『貨幣論』1998)
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実際の経済が破壊的なほど不安定的でないのは、少なくとも一部の市場において価格が不均衡への調整機能を放棄しているからである。「見えざる手」の暴走が不均衡累積過程を生み出しているのならば、その「見えざる手」を部分的に縛り付けることで安定性を確保できる。(岩井克人『貨幣論』1998)
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その市場とは、労働力である。労働者は通常、賃金の切り下げには抵抗するが、賃金が上昇することには反対しない。このような労働者の行動様式が労働市場の価格調整を下方に粘着的にすることによって、不均衡累積過程の全面的な展開を妨げているのである。(岩井克人『貨幣論』1998)
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需要不足は価格を軟化させるが、貨幣賃金が下方に粘着的である限り価格の下落は累積的にならず、代わりに生産と雇用の削減を促す。従って総需要の減少は経済全体の産業連関を通じて、その何倍もの生産量と雇用水準を減少させる。これがケインズの「乗数過程」である。(岩井克人『貨幣論』1998)
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貨幣とは共同体的な存在である。貨幣が貨幣として使われるのは、貨幣の生産に人々の労働が投入されたからでも、人々が主体的に欲望するからでもない。貨幣の前では「価値」に投入労働量という根拠を与えるマルクスも、欲望という根拠を与える新古典派も無力である。(岩井克人『貨幣論』1998)
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一度でも商品を売ったことのある者なら分かる通り、買うことよりも売ることの方が遥かに難しい。なぜなら、貨幣はその交換可能性により誰もが受け取ってくれるが、商品はその使用価値を求める特定の者しか受け取ってくれないからである。(岩井克人『貨幣論』1998)
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資本主義の危機とは、商品の売り手が「売り」の困難に直面することによる恐慌であると言われてきた。しかし資本主義の根本的な不安定性、本当の危機とは、ハイパーインフレーションにより貨幣が無価値化し、貨幣が貨幣たる根拠が消え商品世界が破壊されることである。(岩井克人『貨幣論』1998)
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【読了】『貨幣論 (ちくま学芸文庫)』岩井 克人 ☆5 booklog.jp/item/1/4480084… #booklog

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