- suzutuki1980
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キリスト教においてどれだけ「お守り」がタブーなのか、を示す体験
いえね、私が「他の子ども達と違う」事で最初に寂しさを感じましたのは、皆が町の神社のお守り(これがまた綺麗なんです)をランドセルに付けているのに、プロテスタントの牧師の息子である私のランドセルにだけ、それが無いんですよ。親は「じゃあ綺麗な十字架を買ってあげる」と言ってくれたんですが
2015-01-19 19:33:16…「それじゃない」感ですよね…。「皆と同じように綺麗な飾りをつけたい」だったわけで。それほど(東西問わず)キリスト教において「護符」というのは「タブー」なんですよ。「イコン=護符的」と言う発想は、それがどれほどのタブーかを考えれば、簡単には言えない筈なんですけれどね…。
2015-01-19 19:34:34いやまあでも、アレと似てます、日本文化を日本人以外が理解しようとすると、スーツ着たサラリーマンが近代的なビルヂングで働いていて、とかの情景を思い浮かべるのではなく、「ニンジャ、ゲイシャ、ハラキリ、フジヤマ」よく言って「ブシドー、ジュードー」。それが「日本人の日常」かと言えば(略
2015-01-19 19:38:49(追加質疑)なぜキリスト教ではお守りがタブーなのでしょう
@suzutuki1980 横から申し訳ありません。なぜキリスト教では護符(お守り)はタブー扱いなんでしょうか。今パッと思い浮かんだのは免罪符をばらまいたことに関係してるのかしらと連想したのですが、それとは関係なくかなり早い段階から護符禁止だったんでしょうか。
2015-01-19 20:17:55いや、免罪符(正確には贖宥状、ないし免償符)は関係ありません。様々な理由が挙げられますが、異教・異端の影響が入り込み易いこととか、(神の力ではなく、また人の力でもない、幻としての存在しない力に期待する)魔術と結び付けられる事が原因としてまず挙げられますね。 @fussoo_moe
2015-01-19 20:21:07@suzutuki1980 あーなるほど。お守りに祈るということは、は神以外のものに祈る行為に容易に転換してしまう、という感じでしょうか。
2015-01-19 20:23:55仰る通りです。また、「神の恵みと力・意志、それに応える自分の祈りと努力・意志」の一致という望ましい生き方から、お守りは人を逸らす方向に作用します。 @fussoo_moe
2015-01-19 20:26:52