ティーアールピーズィーの、「シノビガミ」と「ソードワールド2.0」のルールブックをとらのあなで買ってきた。とらのあなでエロくないものを買ったのは、これが初めてかもしれない。・・・そんなことはないか。東方とかも買ってるし。
2010-12-10 14:32:05タテマエ上の主任務としては、札幌市の現業職試験の合格発表を、市役所に見に行ったのだ。もちろん落ちてた。合格発表が合格発表だったためしがない。どうなってんだオイ。
2010-12-10 14:33:47フォロワーの方々は、どうせ私のことを、ヒョロッヒョロのモヤシの先端に可愛らしいチェリーが実ったような人物だと想像しておられるのだろうが、そのイメージは事実とは大きく異なる。今もちょうど、道場で汗を流してきた帰りである。なんの道場かというと、アテネ流フィロソフィア拳法の道場である。
2010-12-10 15:17:40アテネ流フィロソフィア拳法といっても、哲学畑じゃない人には馴染みがないだろう。知らない人のために説明すると、議論に負けた古代ギリシャの哲学者が、怒りのあまり相手に殴りかかったのを起源とする。たまたまケンカに勝った彼は味をしめ、弁論術よりも武術を磨き上げることに開眼したわけだ。
2010-12-10 15:22:34術理的には、おおむね、通信空手とペガサス流星拳とバリツをミックスしたものと考えてよい。特徴は外形的な動作よりも、拳打とともに発する声にある。
2010-12-10 15:26:53すなわち、攻撃時には「テオリャー!」もしくは「イデァー!」と発声するのだ。逆に打撃を受けた場合には、「あべし」的な意味で「ドクサ!」などと擬声を上げるのがならいである。また、「バキッ」「ドカッ」のようなマンガ的擬音の代わりとして、「ロゴスッ!」とコマに書き込まれるのである。
2010-12-10 15:31:16フィロソフィア拳法においては、「組み手」「対手」「試合」などのことを、もう少々文化的に「対話」と呼ぶ。このことから、「俺がガンダムだ」という哲学的思弁で有名な刹那・F・セイエイ氏も、フィロソフィア拳法の使い手であることは明らかであろう。
2010-12-10 15:35:12「対話」といっても、いざ試合開始を告げるオリンポスの鐘が鳴れば、始まるのは血みどろの戦いである。「武人である前に知を愛する自由市民であれ」との教えのもと、もちろん凶器の使用は許されてはいないが。使用できるのは鍛え上げた肉体と魂、そして書物だけである。
2010-12-10 15:38:48しかし、書物でブン殴ることは、ゼウスに誓って黙認されているので、対話会場(アゴラ)はさながらパンキッシュな改造書物の見本市といった様相を呈している。
2010-12-10 15:45:25書物と称して粘土版を持ち込むのはまだ可愛いほうで、鉛板で装丁した広辞苑、毒針を仕込んだ京極夏彦、踏むと爆発する「こころ」、サブマシンガンに変形する聖書、爆薬で推進するブリタニカ百科事典、合体・変形してロボットになるトマス・アクィナスなどやりたい放題である。
2010-12-10 15:50:02だが暴力による解決は、さすがに、いくらなんでもフィロソフィアの目指すところではない。勝敗は一本とかK.O.ではなく、陶片を用いた市民による投票によって決められる(オストラシズム)。負けたほうはポリスから10年間追放される。
2010-12-10 15:53:15罰ゲームが面倒すぎるので、最近では略式により別の刑罰が用意されている。すなわち、負けた方はニンジンのグラッセを食べさせられるのだ。これはもちろん、毒ニンジンをあおいで死んだソクラテスの故事に倣っている。ニンジン嫌いにとっては、非常に厳しい罰ゲームである。
2010-12-10 15:55:51フィロソフィア拳法の「対話」では、まず最初に議論をはじめ、だんだんヒートアップして罵声のぶつけ合いになり、そのうちどちらかがキレて「暴力による対話」、そして決着(アウフヘーベン)に至ることになる。この流れは現代のプロレスに受け継がれている。
2010-12-10 16:15:14