「毛利」なのに「大江」じゃ、な…いだ…と!?

個人的なまとめ。 安芸「毛利」といったら本姓が「大江」のはずなのに、本姓が「藤原」がいたのですよ…
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うるちまい @japonikamai

@japonikamai 元政の養子先の天野氏が藤原氏だった。 ja.m.wikipedia.org/wiki/天野元政 解決やん。本姓の藤原氏。

2015-01-13 00:16:46
リンク Wikipedia 天野元政 天野 元政(あまの もとまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏の家臣。毛利元就の七男。右田毛利家の祖。 永禄2年(1559年)、安芸国の戦国大名・毛利元就の七男として誕生する。母は乃美大方で、穂井田元清・毛利秀包とは同腹の兄弟。 生城山天野氏は、隣接する金明山天野氏同様に鎌倉時代の天野遠景を祖とする安芸国の国人であったが、永禄12年(1569年)、天野氏当主の元定が死去した後、家督をめぐって家中に内紛が起きた。これに際し父・元就がこの内紛に介入、七男である千虎丸(元政)を元定の婿養嗣子と

「藤原」は元就の子・元政の養子先の「天野」氏

リンク Wikipedia 天野氏 天野氏(あまのし、あまのうじ)は日本の氏族、藤原南家工藤氏の一族(藤原北家の一族足立遠元を祖とするとも)で、伊豆国田方郡天野郷(現・伊豆の国市天野)に居住した地名を取って天野と称した。天野氏は後に遠江守護となった今川氏と結び、国人勢力として遠江にて共に力を拡大した。遠江国のほか、天野氏の支流が駿河国・相模国・三河国・尾張国・甲斐国・安芸国・能登国等に繁延している。 遠江権守であった藤原為憲の裔孫という、藤原景光が伊豆国田方郡天野郷に住して天野藤内と称したのが始まりという。その後、平安時代末期から鎌倉時代に

余談:「大江姓毛利氏→藤姓天野氏→多々良姓右田氏→毛利氏」…アレ?多々良姓がまじってるゾ??

多々良」姓といったら西国に一大勢力を誇った
「アノ」一族しかないですよネ!

リンク Wikipedia 大内氏 大内氏(おおうちし、おおうちうじ)は、日本の氏族・名字の一つ。 古来より大内という地名は日本各地にあり、そのため以下のさまざまな大内氏が存在する。 本姓は多々良氏。姓(カバネ)ははじめ宿禰のちに朝臣を名乗った。百済の聖王(聖明王)の第3王子の後裔と称していた。周防国府の介を世襲した在庁官人から守護大名、そして戦国大名へと成長し、周防・長門、石見、豊前、筑前各国の守護職に補任されたほか、最盛期の大内義隆の代には山陽・山陰と北九州の6か国を実効支配した。家紋は「大内菱」。 日本の武家はいわゆる「源平藤橘」やそ