手話にまつわる話

手話は日本語の逐語訳ではない。一定の独立性を持つ言語である。
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もりたま/ayammin @ayammin

手話に関するツイートの反応を見ていて思うこと。やっぱり、普段から手話を使う当事者や、手話が身近にある人達の感想や意見と、そうでない人の感想や意見にはいろんな違いがあるなあと。どっちが正しいとか間違いとかじゃなくて、興味深い。

2015-01-30 19:05:00
もりたま/ayammin @ayammin

自分が当事者なので、どうしても自分の周りは、普段からその問題を考えている人達が多くなる。すると、そういう問題について知らない、大多数の「世間一般」の感覚に疎くなる。だから、まったく予備知識のない人の意見を聞くのは新鮮。

2015-01-30 19:06:44
もりたま/ayammin @ayammin

正直、時には「知らない人の意見」であるゆえに腹が立つこともある。でもその視点を知っておくことや、「前提を共有していない人に説明する」ということは、とても大切だと思う。

2015-01-30 19:07:56
もりたま/ayammin @ayammin

ただし、あからさまな無知や偏見丸出しな「意見」を真に受けて悩む必要はないと思ってます。もちろん貴重な示唆を与えてくれる意見もありますが、「無知な者ほど一言言いたがる」という側面もあるわけで。発言小町なんか見てたらよく分かる。そういう無価値な発言にいちいち傷つく必要はない。

2015-01-30 19:11:42
マンジュリカ @manju_rika

手話関連ツイートで気になったツイート見かけた。聾学校には手話教えてないの?っていうツイート。実際、聾学校(今は聴覚支援学校ですね)から手話を教えられた覚えはないし、手話の先生も居ないし、手話の授業もない。だけど生徒達が手話っているのは聾者同士会話をするために生まれた言語だから。

2015-01-31 07:22:06
マンジュリカ @manju_rika

聾者の歴史はあまり詳しくないけれど、聾学校の生徒が手話出来るのは、ある手話ユーザー(先輩だったり、デフファミリーだったり)が手話っている→手話が出来れば聾者同士話せる→手話ユーザーではない聾生徒が手話を覚える→後輩に続く(引き継ぎ)、という感じなんだと思う。

2015-01-31 07:26:38
マンジュリカ @manju_rika

途中から聾学校に転校した生徒が手話を知らなくてイジメに合ったという話もあるし、誰も教えて貰えないから頑張ってみんなの手話を見て覚えたという話もある。「聾学校に手話の授業が無い」のは「公立学校に日本語の授業が無い」と同じ意味なんですよね。こうなると、手話は言語だなって思う。

2015-01-31 07:37:08
マンジュリカ @manju_rika

手話はやっぱり言語なんだなって思うと、聾学校なのに手話禁止された時代の聾生徒達がどう苦しんだのか、私では代弁出来ないなぁ……。日本人が日本語を奪われたようなものだもの。(こういう話は「わが指のオーケストラ」という漫画に分かりやすく説明してるので是非とも読む事をオススメします)

2015-01-31 07:53:04
もりたま/ayammin @ayammin

手話ツイートの反応でもう一つ多かったのは、「音声認識システムが向上してるんだから、手話は必要なくなるのでは」というもの。確かにそういう技術の進歩は目覚ましい。最新技術を使ったツールは自動字幕変換に使われたり、いろんなところで聞こえない人の役に立っている。

2015-01-31 08:47:20
もりたま/ayammin @ayammin

でも、音声認識や自動読み上げなどのIT技術が進歩することで、手話が不要になるかというと、それはあり得ないと思う。IT技術はあくまでも、異なる言語間の橋渡しであって、言語そのものにとって代わるものではない。

2015-01-31 08:49:20
もりたま/ayammin @ayammin

パソコンやタブレットで即時に文字を打ち、必要に応じて外国語に自動翻訳し、それをメールやチャットで相手と即時に共有する技術がある。それでも、人は会って直接声で話す。技術が進歩しても、音声日本語が不要になることはない。ではなぜ、音声認識技術があれば「手話は」不要だと思うのだろう。

2015-01-31 09:17:57
ちー@道は続くよ先へ先へと @chiaki35

昔、いろんな人が私のために「手話覚えたほうがいいよ!」と勧めてくれたけど、実際に学び始めたのは、『自分のために覚えよう』と思ったから…じゃなかったなぁ。今では自分にとって手話は欠かせないコミュ手段のひとつになったけど、当時は単に友達と喋りたいだけだった。

2015-01-31 09:41:31
ちー@道は続くよ先へ先へと @chiaki35

ところが、手話を学び初めて手話通訳制度のことを知り、利用するようになったら、今まで自分が100%聞き取れていると思いこんでいた情報量が実は半分も聞き取れていなかったという事実に気付き、愕然。あれはホントにショックだった。そして、手話は『自分に』必要不可欠なんだと認識。

2015-01-31 09:45:57
ちー@道は続くよ先へ先へと @chiaki35

ただ今思えば、『友達と喋りたい』ために手話を覚えたいっていうのは、『自分のため』でもあるなぁと思う。友達と手話で楽しくお喋りすること、集団の中で意思疎通ができることがいかに人生の中で大事か、それまでの私には分かっていなかった。手話はそれを教えてくれた。

2015-01-31 09:51:25
ちー@道は続くよ先へ先へと @chiaki35

人間は井戸端会議をするものなんだな。文章大好きな私でも、筆談は手話の完全互換にはならないと思うのは、そのあたり。もちろん筆談も大事で手話にはない利点もあるけど、どんなにメールやチャット等の通信技術が発達しても、手話は必要。ヒトが対面コミュニケーションする生き物である限り。

2015-01-31 09:58:43
もりたま/ayammin @ayammin

昨日も少し書いたけど、特に中途で難聴になった人には、手話を知らない人が圧倒的に多いんですよね。周りはほとんど聞こえる人だから、自分だけ手話を覚えても、家族や友達が手話できないと意味がない、という理由で「必要ない」と思ってる人も。私も最初はそう思ってた。

2015-01-31 09:59:54
もりたま/ayammin @ayammin

でも、実際に手話を学び始めてみて、一番良かったのは、同じ聞こえない仲間と出会えたことだったなぁ。手話で話す仲間がいないなら、手話で話す友達を作っちゃえばいい。

2015-01-31 10:02:37
もりたま/ayammin @ayammin

私は、初めて自分以外の聞こえない人達と会ったとき、何が嬉しかったって「すみません、私聞こえないんです」と言わなくて良かったってこと。みんな聞こえない。聞き取れなくて普通。それだけですごく居心地がよかった。その時はずっと筆談だったけど、それからみんなと話したくて、手話覚えた。

2015-01-31 10:04:57
もりたま/ayammin @ayammin

途中で聞こえを失った人にとって、手話を学ぶことは、一度失った「会話」を取り戻すこと。途中から始めるんだから、ネイティブの聾者みたいに上手くなれなくてもいい。全部の会話が手話でできなくてもいい。わからなければ筆談すればいい。そうして「通じる」「わかる」ことの喜びって、すごく大きい。

2015-01-31 10:06:46
もりたま/ayammin @ayammin

ひとりぼっちだった聞こえない世界から、たくさんの仲間がいる聞こえない世界へと出ていくきっかけになれば、それだけでも、手話を覚えてみる価値があると思うのですよ。

2015-01-31 10:07:04