大連甘井子埠頭の川崎車輌製電気機関車と満州港湾整備史にかんする延々と続くつぶやき (過去からのまとめ)
@hiro_hrkz @hokuman_hailaer @MoonCottage @Nanase_Scarlet @Rabbit_Kumoya 川崎車輌製電機の成れの果てかも f.hatena.ne.jp/SY1698/2010120… これときちんと整合させてませんが
2012-11-23 01:48:40@SY1698 @hokuman_hailaer @MoonCottage @Nanase_Scarlet @Rabbit_Kumoya ・・・といいますか、このタイプ。まだ現役なんですか?
2012-11-23 01:53:19@hiro_hrkz @hokuman_hailaer @MoonCottage @Nanase_Scarlet @Rabbit_Kumoya 2009年までは現役でしたが2010年では死んでます 今までずっと放置プレーかも
2012-11-23 01:59:44さっき言及した大連甘井子の電機始末記が、自分の中国鉄道研究のきっかけだったりする さらにいうと満州港湾史から戦時海運史までの地獄変に踏み込みかけて暫停
2012-11-23 02:03:35@SY1698 @hokuman_hailaer @MoonCottage @Nanase_Scarlet @Rabbit_Kumoya そうなんですね・・・それはちょっと残念です。ちなみに何処なんですか?
2012-11-23 02:05:11@hiro_hrkz @hokuman_hailaer @MoonCottage @Nanase_Scarlet @Rabbit_Kumoya 大連市内の甘井子区(貨物駅)で、駅北側の塀から覗いたものです
2012-11-23 02:20:07@SY1698 @hokuman_hailaer @MoonCottage @Nanase_Scarlet @Rabbit_Kumoya ありがとうございます。そんなところで使われていたとは・・・奥が深いですね。
2012-11-23 02:25:04「大連甘井子石炭埠頭」と「羅津港」は南満州鉄道が建設を行った港でして、また敗戦時の引揚港として知られた「葫蘆島港」も張学良「満鉄包囲計画」の基軸となった色々な因縁のある港です。
(1) 「富士車輌製LPGタンク車 → 対中車輌輸出統計 → 国交樹立前の日中貿易史」 (2) 「大連甘井子電機 → 満鉄技師来歴調査 → 満州港湾史 どころか 戦時海運史」 なにこの泥沼
2012-11-23 02:36:38然して羅津港の建設は従来満鉄の把持し来れる大連一港主義を改めて二大港主義を採用する帰結となり(建設途上にある大羅津P.105)
2013-01-11 07:22:51大連市甘井子站で見かけた「川崎車輌製電気機関車」 @Ayukawa_Reiji #お前らが満洲国に致命的にハマった元凶挙げろ
2013-01-19 21:28:49化成品の知識はタンク車から入っていき、鉄鋼業は中国向鉄道車両輸出統計から、港湾史は大連甘井子埠頭から、パルプ工業は葦から入るとかなんたるこの趣味の成れの果ては
2013-01-29 23:33:20柏原兵太郎文書はガチで資料が膨大なので(リール数十巻、1リール400コマ超)観るのも大変だと思う ただし一括許諾になったので有効活用したほうがいいよ(・∀・) 前は筆写しなければならず地獄だった
2013-02-27 00:45:50ぼくがこの結論に至ったのは、元満鉄技師(~日満倉庫常務・鉄道省嘱託)桑原俊英氏の来歴を追っていった結果なのだが、2009年12月に大連甘井子で電気機関車の生き残りを偶然見かけたのがそもそもの発端。「III」を「補遺」としたのはそういう理由
2013-03-28 00:49:32ちなみに日満の港湾政策については『満鉄労働史の研究』柳沢遊「第6章大連埠頭」は必読 「大連港滞貨問題」な。あとは『柏原兵太郎文書』R70 386-410 桑原俊英「機帆船ニ依ル北海道炭輸送ニ関スル件」も戦時海運政策を語る上では必読
2013-04-03 23:49:10だいたい満州事変直後に葫蘆島を視察した満鉄技師(桑原利英・関根四男吉)が「一ヶ月以上氷結する使いものにならない」港湾だと断を下して違約金払って整備するのを止めたというのに「壺蘆島築港方策」かい!
2013-04-16 22:00:49それは終戦間際の「機帆船に依る北海道炭輸送」も同じで、冬になれば荒れるあの地域で機帆船大量に回しても意味ねーだろという話。技術屋がレポートしても「視察」の前には無力
2013-04-23 20:36:20当然ながら、貨車が荷役施設にどのような影響を与えるかはすでに戦前に「欧州港湾施設」の報告がある 甘井子埠頭の建設所長が書いたレポートだよ(『港湾』誌所収)
2013-05-21 21:51:20あと「満州国政府公報日訳」の「彙報」にも北鮮三港を扱った条があるのだが、これはぼくが調べた内容とそんなに変わるものではないので複写を割愛した。そもそも「建設途上にある大羅津」がNDLにあるので、それを手にとって見たほうが早いかも
2013-06-12 22:11:50@gezeweiwen ありえそうです inbound.exblog.jp/19752579/ こんなかんじですから
2013-06-12 22:47:34あと大連港のカーダンパーは、甘井子埠頭の完成後、1934年には解体されていたらしいぞ(満洲日報19340515)意外に知られざる事実
2013-06-15 23:39:06(承前3)それでも「柏原兵太郎文書」に「機帆船」の報告書が残っていたことは(それも鉄道省嘱託という立場で)、どういうことを示すのだろうか。「作れと言われたから作ったけど、もっとまともなものを実地調査させて作らせろ」という心の叫びを後半のあとがきにみた
2013-06-30 13:38:19例えば、1931年の葫蘆島調査に桑原利英氏と共に赴いた「関根四男吉(しおきち)」氏の場合、神戸商船/東京商船 と卒業校の記載が異なる、日本郵船勤務が片方では伏せられている、などの気になる内容が判明する
2013-07-07 03:40:20いや今更ながらで恐縮ですが「桑原利英と満洲の港湾」、来歴調査のうち没年調査がほんとうになけたんですわ。東洋埠頭社史にも名前はない(前身の日満倉庫で1943まで役員だったことはわかった)、これほんとお手上げに近かったのです
2013-08-29 23:08:14