- nanbashura
- 8410
- 2
- 3
- 7
ある現象の性格づけは、どうやるのが最も適当か? ふつうそれは、当事者の語りに依るのがよい、と思われていよう しかし実はそう簡単ではない なぜなら、本人のことは本人が一番よく分かっている、とは必ずしも限らないからだ
2010-12-13 17:49:26深層心理学や構造主義は、そのことを明確に示した 本人たちにも窺い知れない秘密を、軽やかに暴くことのできる知的な構え! そしてこの理論と技術の制度的優位の確立は、また別の問題を引き起こした
2010-12-13 17:53:17問題は明らかな堂々巡りになっている 《当事者性》に依拠する知識の正統性と、非当事者の《客観性》に依拠する知識の正当性、その間での言説上の揺れ動き
2010-12-13 18:08:01@mittsko 当事者性ばかりを賞賛してしまうと、当事者が言いたくないことは結局調べられないんですよね。オーム事件を調べているのに、ジョウユウの「やってないやってない」というナラティブを分析してもほとんど意味はありません。
2010-12-13 18:13:21このジレンマは普段真正面から問題化されない 言説布置に寄り添うことで、すなわち、功利性の原則に則り実践的に、(解消解決ではなく)処理される
2010-12-13 18:14:49.@mittsko ナラティブ派は性善説に立っているとも言えますよね。彼がフィールドにしやすい被害者・弱者は、真実性にこだわることに一定の利得があるからでもありますが。宗教社会学以外では、社会学が社会的弱者ばかりフィールドにしてきたことについての反省も出てきているようです。
2010-12-13 18:15:53その際の「反省」の度合いと水準が気になります(無反省の五億倍はよいにせよ) 問題は原理的にかなり二律背反的なので、解決策を見出だすには深く哲学に踏み込まねばならないはず… @RAHIEM
2010-12-13 18:35:59僕が研究しているのは、いわゆる「宗教紛争」なわけだが、それが宗教的だとはどうしても思えない 一方、当事者らはそれを宗教的な戦いだと 真 剣 に みなしている 正しいのは僕か彼等か…?
2010-12-13 18:58:18これは必ずしも宗教概念のヌエ的性格の問題に起因するのではない そうではなくむしろ、個人的意識て歴史的構造、およびマニピュレーションとコミットメントという、二組の位相差をもった単一現象―― それを語ることの原理上の困難に起因する
2010-12-13 19:05:49一方、宗教紛争の当事者ではない宗教者は、当該紛争の宗教性をあっさり否定する あれは宗教ではなく政治だ、宗教が権力者により利用されているにすぎない――と この結論もまた中途半端だと僕には思われる
2010-12-13 20:23:22なぜなら、宗教紛争が (宗教を原因としていたり、主要特徴としていたりはしないにせよ) “宗教に深くかかわる” というのは、あからさまに観察されるところであるからだ 己の領域を「宗教」という言葉で囲いこみ、紛争をそこからはじき出そうというわけだから、中途半端で不誠実だ、と僕は思う
2010-12-13 21:31:41不浄の領域としての「政治」、清浄の領域としての「宗教」―― こうした区分を打ち立てようとする試みは、自己正当化、自己保存という意識的・無意識的な動機があるかぎり、発展的な帰結をもたらすことはない、と推察されるだろう
2010-12-13 21:40:15お気づきのように、これもまた一つの近代的宗教言説なのである 「非・世俗」としての「宗教」という近代的言説からの、ごくまっとうな論理的な展開であるにすぎない 《世俗=政治=紛争》に対する、《宗教》という独自の領域―― こうも無批判的な言説が、どうして価値あるものといえようか!
2010-12-13 21:58:03僕の考えでは、宗教概念批判は、単に宗教学の基礎論的な反省にとどまらない それは、法制度上の宗教言説(老婆心ながら、ちゃんとした意味での法=制度=言説)の改変=ずらし=脱構築の実践上の指針を示すものだ(直前の囀り、ご参照ください)
2010-12-13 22:08:15@mittsko 何となく疑問に思ったんですが、当事者と傍観者から100%、宗教が原因と認められる宗教紛争ってあるんでしょうか?宗教以外にも、経済格差、人種差別、資源の奪い合い等々の複数の要因から成り立つ紛争を、敢えて宗教紛争と呼ぶことで溢れてしまった部分があるんじゃないかと。
2010-12-13 22:23:14ものすご~く小さいことに思われましょうが、ものすご~く大事なこととしまして、「戦争」と「紛争」は やっぱり分けたほうがいいと思うんです… 理由はこちらご参照ください ⇒ 「戦争」@ http://amzn.to/iiQ4g6
2010-12-13 22:23:35まったく仰るとおりです その疑問が僕の議論の出発点そのものであります より精確に云いますと、「紛争」と呼ぶことができるような、大規模かつ激烈な諍い事については、そんなことありえない、と @wak
2010-12-13 22:25:28@mittsko やっぱりそうですよね。100%、宗教が原因の宗教紛争があり得ないのならば、ある紛争を敢えて宗教紛争と呼ぶ理由が何故なのか、興味があります。その理由が当事者にあるのか、それとも傍観者にあるのか。自分の意見を正統化しやすいからなのか、その方が語りやすいからなのか。
2010-12-13 22:32:12これは、なかなか実証がむずかしいのですが… イギリスはじめとする西洋列強の植民地的言説の直輸入言説であることは ほぼ間違いないです つまり、特定の紛争を religious と規定することで仕上げられる植民地支配の言説構造、それが《学知》として流通している、と @wak
2010-12-13 22:36:28@mittsko イギリスによるインド統治下でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の間に区別をつけ、宗教紛争を演出することでまとまった反英運動を抑止したことなどでしょうか。
2010-12-13 22:43:29はい、それですそれです 印度大反乱後、1860年代から明確化する「分断統治」ってやつですね ただし、《宗教の國・印度》の表象は、18世紀後半の植民地的言説空間のなかでもう完全に出来上がっていましたから、それを延長する形で、紛争当事者としての宗教共同体、という言説が! @wak
2010-12-13 22:50:52