新市場論。一般客が中央地方卸売市場を便利に使う方法と、市場から見る日本の歴史と未来

世間ではあまり知られていない事だけど、今の市場は僕のような普通の一般客でも自由に買い物が出来るので、とても便利だ。 一体どれだけ便利なのか、僕の実体験を紹介した後に、市場から見る日本の歴史と、今の日本の政治・社会・経済の諸問題を、超ミクロ視点(一人の日本人の実体験)から超マクロ視点(日本国全体への提言)への大展開を試みる。
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数との対決。 @vs_kazu

他のほとんどの店はどこだって景気は悪い。「時代に合わせた方法で頑張らないと・・・。」社長連中はストイックだ。周りに弱音は吐けない。「自己責任」を自分に言って聞かせる。社長がストイックだと、社員もストイックになる。社員も自分自身に「自己責任」を強いる。

2015-03-05 06:56:34
数との対決。 @vs_kazu

こうして、より弱者に自己責任が下りて来る。弱者に厳しい時代になった。市場の会社に限らず、日本中のどこの会社だって同じだ。家庭だって同じだ。「自己責任」が個人にまで及ぶ。

2015-03-05 06:57:31
数との対決。 @vs_kazu

では、そもそも何に対しての自己責任なのか。現代の個人は「自己責任」を求められるのと同時に、「みんなの為」も求められる。みんなの為は「より多くの数の為」だ。

2015-03-05 06:58:40
数との対決。 @vs_kazu

「より多くの数の為」の広がりには際限が無い。際限の無い広義に対する自己責任だから、「何があっても全部自己責任」だ。恐ろしい時代だ。

2015-03-05 06:59:24
数との対決。 @vs_kazu

前述した漁師の一家意識は、「みんなの為」が船乗り全体の為だった。船から降りて家庭に戻れば「みんなの為」は家族の為だ。その「家族の為」には船乗り全体の「みんなの為」があった。船が沈めばみんな死ぬからだ。

2015-03-05 07:09:31
数との対決。 @vs_kazu

漁師のケースは極端な例だが、漁師に限らず、つい最近までどこにでもあった、かつての日本の普通の会社の「会社全体の為」も同じことだ。本来、個人が配慮できる空間など、個人、家庭、地域、会社までが限界だ。国のことなんて考えられないのは当然のことだ。

2015-03-05 07:10:30
数との対決。 @vs_kazu

そもそも、一国全体が抱える政治全体や経済全体のことなんて、親も教師も知らないのだ。誰も知らないんだから自分も知らなくて当然だ。個人の責任では無い。例えば今の学校教育で言えば、日本の愚民政策にこそ責任が有る。

2015-03-05 22:02:53
数との対決。 @vs_kazu

昔の日本人は、いざ凶作になれば、領主に向かって神頼みして、拝んでも拝んでも、何もしてくれなかったら「ダメだあいつ、やっちまえ!」で手のひらを返した。さっきまで神様として拝み倒していた相手に突然牙を向けた。理由は「領主のくせに良政を働かなかった罪」だ。

2015-03-05 22:03:56
数との対決。 @vs_kazu

当時は民主主義なんて無かったから、投票にも行かないのだから、政治の責任が自分に返って来なかった。良政治を働くことは強者の義務だった。強者に責任があった。歴史を紐解いてゆけば、古より日本は女子供などの弱者が強い国であった。今の日本と正反対だった。

2015-03-05 22:04:25
数との対決。 @vs_kazu

だからと言って、昔を懐かしんでも仕方ない。今を生きる現代人は、今の時代に合わせることを求められる。 (本来は産業(前述した市場などの、普通の会社の経済)に対して、時代の政策を合わせることが国家として当然なのだが、国がそんな配慮をする気配は全くない)

2015-03-06 23:01:44
数との対決。 @vs_kazu

今の日本は「国のその時々の政策(これを【時代】と言っている)に合わせろ」と強制している。 実際に市場の社長連中も「今の【時代】に合わせた方法で頑張らないと・・・。」と悩んでいる。

2015-03-06 23:02:55
数との対決。 @vs_kazu

ただでさえ景気が悪化し続けた長いデフレ時代から、さらに円が下がって輸入物価が上がってスタグフレ状態になったのだから、みんな景気が悪いのは当然だ。

2015-03-06 23:03:43
数との対決。 @vs_kazu

ほとんどの市場の会社は国内の内需の、地域の内需に依存している。日本中のほとんどの会社も内需に依存している。つまり、あなた個人の景気もこの内需に依存している。この内需を「実体経済」と言う。

2015-03-06 23:04:21
数との対決。 @vs_kazu

この「実体経済」が国の政策によって作為的に縮小させられているのだから、多かれ少なかれ、みんな景気が悪くなっていて当然なのである。これも個人の自己責任とは言えない。

2015-03-06 23:05:00
数との対決。 @vs_kazu

市場の社長であれ、どこの社長であれ、務めるスタッフであれ、バイトであれ、パートであれ、主婦であれ、ニートであれ、学生であれ、まずは自己責任論を自身に課さないことが自身と周りを不幸にしない第一歩だと思う。自分が罪の意識を感じて責任を担うと、

2015-03-06 23:28:38
数との対決。 @vs_kazu

あなたの下の者にも自動的に自己責任を課すことになってしまう。自己責任を課すことを止めることで、気持ちが少しだけ楽になる。少しだけ楽になると、楽しくなる。今後の自分の人生を良くする為のアイディアが浮かぶ。これは気持ちの持ちよう一つで簡単に出来ることだ。

2015-03-06 23:29:11
数との対決。 @vs_kazu

今は2015年。今後の流れの大局を見極める為には、法律一つ一つを見ていても意味がないし、その時々の首相の言動一つ一つを見ていても意味はない。首相が変わっても、政党が変わっても意味はない。そもそも、日本の政治家に大局を変える力は無い。

2015-03-07 21:52:51
数との対決。 @vs_kazu

テレビも新聞も意味はない。過去10年間のテレビや新聞を念入りに読み返したところで、何も分からないどころか、かえって分からなくなる。

2015-03-07 21:54:20
数との対決。 @vs_kazu

この大局を読むためには、日本をバブル経済の絶頂期へ繋いだジャパンアズナンバーワンと言われた時代から、今日の不況に至るまでの対極に至る流れを見渡すことが、この大局を知るための手掛かりだ。何故かと言うと、戦後間もなくから国の政策の大局の流れは、一貫して何も変わっていないからだ。

2015-03-07 22:02:45
数との対決。 @vs_kazu

まず、今の日本から説明すると、こんなに景気が悪いのにも関わらず、バブルなのは事実だ。今のバブルは株主にとってのバブルだ。今の日本が株主の為の経済だから。それも、上場している大きな会社の株主の為の経済だ。

2015-03-07 22:05:05
数との対決。 @vs_kazu

今の日本のバブルは、より多くのお金を持っている金持ちの為の政策を続けています。それは、より多くの「数」が支配する政策です。

2015-03-07 22:05:44
数との対決。 @vs_kazu

ところが、つい30年前、一昔前のバブルは、今のバブルと違って、みんな豊だった。いつでもどこでも就職できて正規雇用だった。お父さん一人で家族みんなを養えて当たり前の時代だった。

2015-03-07 22:06:15
数との対決。 @vs_kazu

日本を絶頂期へ繋いだジャパンアズナンバーワンの時代は、かつての日本のお家芸、優秀な職人を育成する為に、お家制度に習って一人をお家(会社)の家長(社長)とした制度だった。これを「家職制度」と言う。

2015-03-07 22:17:28
数との対決。 @vs_kazu

「家職制度」下での仕事は金じゃなくて人生だった。人生の「質」の高さが、お金などの「数」の大小を支配した。言わば、「精神」の「質」が、「現実」の「数」を創った。

2015-03-07 22:20:28
数との対決。 @vs_kazu

かつての日本は「質」を高めたことで世界を席巻した。ジャパンアズナンバーワンの政策は、戦前の時代から準備が進められた。かつての日本は、膨大なお金や暴力の物量「数」で支配を進める欧米列強の植民地帝国主義に対抗する為に、

2015-03-08 00:05:11