- y2_naranja
- 4918
- 16
- 1
- 1
天心流は、約四百年の歴史を持つ古武術です。
詳しくはこちら
トップ画像用
2015年3月にパリにて演武を披露しました
帰国前の鍬海師家、厳戒のパリより
パリよりボンジュール。 荷物のあまりの多さに、夜出発ですが、早々にエアポートバスで空港を目指しています鍬海です。 空港でのんびりと最後のコーヒーでも飲もうと思います。 さて、旅といえばアクシデント。 まあ大きなものはなにもありませんでしたが、護身というものは様々な段階があります
2015-03-11 20:06:07天心流兵法も護身術としての側面があります。 が、あくまで往時の侍にとっての護身術であり、現代に即したものではありません。 現代でも応用が効きますが、あくまで応用であって、現代護身に特化したものではありませんので、現代護身術のための学習という意味では、お勧めできません。
2015-03-11 20:08:58護身術について語られる時、よく戦闘法など役立たないと論じられます。 それよりそうならない心得、危うきに近寄らずという事が大事だと言います。 確かにそれも大事です。 未然に防げれば何よりですし、未然に防ぐ努力を怠って、危険に備える心は勇気ではなく蛮勇と呼ばれるものです。
2015-03-11 20:12:15しかし、例えば火災時の避難訓練を「火事を起こさない努力が大事だ!」と非難するのもおかしな話です。 避ける努力をしても避けられない時はあります。 起きてしまった時に、想定も訓練もしないのと、しておくのとでは違います。
2015-03-11 20:16:03「生兵法は怪我のもと」と言いますが、これは訓練により気が大きくなり、自ら災厄に飛び込んだり、招き入れるような振る舞いを戒めた言葉です。 それにより却って要らぬ争いを生めば、自ずと生兵法が怪我を招きます。
2015-03-11 20:22:26実戦と練習は異なるというのは、あらゆる物事ぬ通じる事で、護身術にだけ言えるわけではありません。 ただ、護身はあらゆる想定が考えられるため、自ずとパターンは多様化しやすく、適合性が低くなりやすいのが問題です。
2015-03-11 20:42:07合理的な身体運用、普遍性の高い技法が大事で、そうでなければ、いたずらに特有パターンに特化したテクニックを無限に収集するだけになってしまいます。
2015-03-11 20:44:03抜刀術は典型的で、こうきたらこう受ける、こうきたらこう捌くと。 では違う場所を攻撃されて大丈夫なのかどうか。 これが防刀としての抜刀が普遍的なものであるかどうかの境目です。 相手の太刀筋を見切るのにも限界があります。
2015-03-11 20:47:02勢法(型)の稽古は、予めわかっているので防げますが、そうでなければ守る事は容易ではありません。 しかしそれでも防げるようでなければ、実際に如何様にも抜きかかってくる攻刀を防ぐ事は出来ません。 勢法が崩れても、防いで返刃を行わなければなりません。
2015-03-11 20:49:55完璧でなくとも構わないのです。 勢法は理想的で合理的、普遍的なものを学びます。 それを発揮する際は、その時々に応じて変化する。 だからこそ勢法(かた)は鋳型の型ではないと天心流では教えます。
2015-03-11 20:51:20天心先生はよく、「型に嵌まってみんな同じじゃだめだ!」と仰います。 なので入門当初はあまり細かい事を言わない、大雑把な指導、流儀だと勘違いされる事も多いようです。 ところがふたを開けますと、事細かにうるさく、結局稽古においては、型に嵌めるかの如くに指導する事になります。
2015-03-11 20:54:22ただし、攻防剣など、咄嗟の時は崩れて良しとします。 使えれば本物です。 ただ、原則を無視すると、防ぎきれなかったりしますし、ラッキーなだけで、ひとつ間違えると大怪我に繋がります。 ですからやはり勢法を生かすためにこそ、厳しくチェックされます。
2015-03-11 20:59:18ただ、そうなると「それしか出来ない」という危険性が出てきます。 マニュアル以外には対応出来ない。 型に嵌まるのは大変楽ですから、嵌入という、型に嵌まって身動き出来ない状態になりやすいのが人間です。
2015-03-11 21:02:11それをふせぐためには、厳しく諫め続けるのが大事であり、型に嵌まるなというのはそういう事を意味しています。 決して勢法を蔑ろにしたり、自己解釈での改竄を奨励しているわけではありません。
2015-03-11 21:03:34もう一つ言えるのは、使えるかどうかではなく、使えという事です。 使える程に稽古するのです。 それほどに稽古し、自信を自ら得る以外にありません。 空腹な人の代わりに食事しても、その人の腹は満たされません。 指導は食事を提供するようなもので、実際に食べるのは本人次第です。
2015-03-11 21:08:58過信はいけませんが、自らを信じ、頼れないようでは不安から逃れる事は出来ません。 もちろん、現代において刀を帯びて歩く事も、刀で襲われることもまずないのですが、これが往時の天心流の考え方になります。
2015-03-11 21:11:17技法はそのまま通じませんが、現代において護身術を求める心の機微としては、やはりいざという時の安心と自信を得たいという心理はやはり同様のものがあるかと思います。
2015-03-11 21:13:44