宮城県美術館「わが愛憎の画家たち ― 針生一郎と戦後美術」美術館講座:「戦後の美術と批評をめぐって」講師: 椹木野衣氏
宮城県美術館 「わが愛憎の画家たち ― 針生一郎と戦後美術」 美術館講座:「戦後の美術と批評をめぐって」 講師: 椹木野衣氏(美術評論家・多摩美術大学教授) 演題: 美術批評の現在進行形 3月15日(日) 午後1時半~ pref.miyagi.jp/site/mmoa/exhi…
2015-03-15 13:29:25先日こちらに入った。 仙台市市民事業団であたん考香学 といってもあたんの匂いを元に過去をアーティストと共に蘇らすもの。 あたん炭鉱後などを見て回った。
2015-03-15 13:34:031回目は、 皮肉なファンタジー 和田学芸員による企画 20年前の94年。 村上隆、奈良美智、森麻里子など ナカノワタリヤスタカ、太郎知恵蔵、 彼らをかなり早く紹介
2015-03-15 13:35:52その時はシンポジウムだった。 今話した作家はほぼ同世代。 50歳前。 当時の若い作家を話したのがこの美術館とのきっかけ
2015-03-15 13:36:34今回が三度目。 若い同世代、もの派世代、今日は針生一郎と、前二回とは心構えが違う。 これまでは作家について語った。 同じもの書き同士、美術批評に携わる者同士、だから語りにくいところはある。
2015-03-15 13:38:26美術批評の現在進行形。 針生一郎の名前はないが当然意識している。 その心構えはとして、彼を回顧的、研究者として分析的にはしにくい
2015-03-15 13:39:35連続講座はそれぞれ特色がある。 池田龍夫は同時代のアヴァンギャルドを生きたもの。 針生一郎全盛期だが、その話は私はできない
2015-03-15 13:40:16光田由里は富山から松濤美術館に移り、川村記念美術館で学芸課長しているずっと学芸員。美術批評家連盟で同じだが、学究的に針生一郎を分析していると、思う
2015-03-15 13:41:41私は特別な扱いを受けた。 自分より若い世代の評論家の中では唯一認めるのが椹木野衣だ、と。 2000年東京都美術館で北澤憲昭が連続講演したが、その時だ。 当時、LRという美術批評詩がありそこで再録された
2015-03-15 13:43:23評論をし合う媒体がなく(現在、美術手帖も危機に陥ったが)、その点で貴重な雑誌だった 99年、日本ゼロ年を行った これまでの日本美術像をリセットしようと打ち出し、反発を受けた。 その急先鋒が千葉成夫に堀浩哉だった。
2015-03-15 13:44:39その雑誌で議論の応酬していたが、そこで、針生一郎が乱入してきた。 すでに終わった講演の内容だったので、応酬ともなりにくいのだが、それでも再録をそこにした
2015-03-15 13:45:22日本には戦後美術史もないしその思想的枠組みもない、と それは批評家研究者が怠惰ではなく、構造的にそうなっている、と 歴史とは蓄積と発展という進歩史観だが、それがない
2015-03-15 13:46:49日本の戦後美術は祭りのように盛り上がるが継承されず消える。 また同じように祭りのように、、、と 忘却と反復、という呪縛。 そこには蓄積も発展もない。だから歴史も作れない
2015-03-15 13:47:38