宮城県美術館「わが愛憎の画家たち ― 針生一郎と戦後美術」美術館講座:「戦後の美術と批評をめぐって」講師: 椹木野衣氏

宮城県美術館 「わが愛憎の画家たち ― 針生一郎と戦後美術」美術館講座:「戦後の美術と批評をめぐって」講師: 椹木野衣氏(美術評論家・多摩美術大学教授)演題: 美術批評の現在進行形3月15日(日) 午後1時半~http://www.pref.miyagi.jp/site/mmoa/exhibition-20150131-s01-01.html … についての実況つぶやき。 注意!)内容はあくまで、視聴者の主観的なまとめですので、講演者の実際の発言や意図そのものとずれていることがあるかもしれませんが、その辺りはご了承ください。
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みそむーおでん @misoni_2013

1つはアヴァンギャルド。 2つめは広い意味のリアリズム。現実をどう捉えるか 3つ目はアンデパンダン。アンデパンダン「展」ではなく本来の意味での自主独立。 4つめは反戦・反核。

2015-03-15 13:51:41
みそむーおでん @misoni_2013

5つ目として、国際的連帯、、、これは1~4を踏まえれば必然的に至るのではぶいた

2015-03-15 13:52:11
みそむーおでん @misoni_2013

これが針生一郎の核心を21世紀に生き返らせるのか、ということになる

2015-03-15 13:53:21
みそむーおでん @misoni_2013

アヴァンギャルド。 花田に関わることであるが、 政治的というより弁証法だ。 岡本太郎は反弁証 弁償は正反合だが、岡本はそれを否定してて、その点で花田清輝と対立

2015-03-15 13:54:08
みそむーおでん @misoni_2013

弁証法は今あるものを拒むことから始まるが、岡本は対象を拒絶したままとどまるというもの。それが最終的に爆発する、ということで芸術は爆発だとなる。

2015-03-15 13:54:52
みそむーおでん @misoni_2013

アヴァンギャルドは拒むこと。 最晩年の映像にもあるが、資本主義発展で売れるものが良いものになった。しかしそれを拒絶し新しいものを生み出さなくてはいけない、と

2015-03-15 13:55:23
みそむーおでん @misoni_2013

アヴァンギャルドは最後までてばなさなかったもの

2015-03-15 13:55:32
みそむーおでん @misoni_2013

広い意味のリアリズム。 リアリズムというとリアリズム絵画が思い浮かぶがそうでなく、 リアリズムと超現実絵画の対立を超え、人間の想像力を超えそれをありのままとらえるというもの

2015-03-15 13:56:13
みそむーおでん @misoni_2013

アヴァンギャルドと一致する。 今あるものを見ないようにして生活しているが、それをまず拒まないと真実は見えない。そのリアリズムにルポルタージュがある。 矛盾が生じているところにでかけ見る。

2015-03-15 13:56:54
みそむーおでん @misoni_2013

それがアンガージュマンになる。 芸術と生活の亀裂は埋まらないが橋渡しをしたい、と。 それがリアリズムということ

2015-03-15 13:57:14
みそむーおでん @misoni_2013

アンデパンダン。 アヴァンギャルド、リアリズムとなればそれは自主独立とならなくてはいけない。公的助成(税金)に頼ってはアンガージュマンなどできない。

2015-03-15 13:58:00
みそむーおでん @misoni_2013

反戦反核。 大きな人類的宿業。人が人を殺しあう。それに対し無力か。 それは政治的なことに矮小化できず、アヴァンギャルド、リアリズム、アンデパンダン全て含むことだ

2015-03-15 13:58:56
みそむーおでん @misoni_2013

この4つの観点にたって話をしたい

2015-03-15 13:59:07
みそむーおでん @misoni_2013

1998年、日本・現代・美術を出したことで針生一郎と縁ができた。 椹木の戦後美術の成立不可能性、その根源には戦争があり、時代ごとに美術家を評論するものだ。

2015-03-15 14:00:34
みそむーおでん @misoni_2013

褒められたとなれば、ちゃんと評論として返さないといけない。 針生一郎という作家は最盛期とは57~72年あたり 2010年に亡くなったが、会場都合もあって充実した内容だが本展でも70年代あたりで終わっている

2015-03-15 14:02:19
みそむーおでん @misoni_2013

アヴァンギャルド、リアリズム、アンデパンダン、反戦反核がもっとも充実したのがその時代で、だからこそ最盛期だと。 そこで一端なぜ終わったのか。本人が言っている。 出典はきちんと調べきれてないか、彼は現役批評家から退役宣言している。71~72年

2015-03-15 14:03:25
みそむーおでん @misoni_2013

戦いを通じてきた作家には論考を深めるが、新人をもう取り上げない。 美術を運動としてひっぱるテーゼは出さない、と

2015-03-15 14:04:07
みそむーおでん @misoni_2013

未知の作り手を発見する。これは大変な仕事だ。 既知の作家を深めた論考をするのは簡単だ。

2015-03-15 14:04:47
みそむーおでん @misoni_2013

美術の運動としてのテーゼ。 美術はかくあるべしという、ある種の現実否定であるが、 それにより引っ張られるはずだが、それをやめた

2015-03-15 14:05:36
みそむーおでん @misoni_2013

この二つを踏まえないまま美術批評家を名乗る人がいるが、針生はそれをちゃんと踏まえていて、そしてやめた

2015-03-15 14:06:01
みそむーおでん @misoni_2013

ハンパク芸術。 70年代安保反対と大阪万博反対。 それらに失敗し、タマビ闘争も失敗した。 とはいえ態度は崩さないが、それでもそれで引っ張れない。 だから退役とした

2015-03-15 14:06:57
みそむーおでん @misoni_2013

その後、針生の存在感は70年代以降失われていった。 椹木が80~90年代に評論を書き始めたが、すでに伝説の存在。 活発に議論を交わす存在ではない。 昔何があったかを記録するオーラル・ヒストリーがあるが、その調査対象となっていた

2015-03-15 14:08:34
みそむーおでん @misoni_2013

その時期、針生の著書でまともに読めるものは殆どなかった。 しかしかつてアクチュアルの批評家でなく今アクチュアルな批評家として見えたのが、91年の富山近代美術館の仕事だ

2015-03-15 14:11:56
みそむーおでん @misoni_2013

日本心中 おおうらさん。 天皇の姿をコラージュした作品を作った人だが、右翼が押し寄せ不敬だと。 そのため作品取り下げ掲載図録を焼却した。 学芸員は県の職員なので反対できない そこに反対をするには外部しかない。

2015-03-15 14:12:34
みそむーおでん @misoni_2013

日本には団体という互助会があるが、このようなことが起こると作家は孤立する 針生はそれを助け、裁判を行う。 しかいついに負けるが、

2015-03-15 14:12:42
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