宮城県美術館「わが愛憎の画家たち ― 針生一郎と戦後美術」美術館講座:「戦後の美術と批評をめぐって」講師: 椹木野衣氏
1つはアヴァンギャルド。 2つめは広い意味のリアリズム。現実をどう捉えるか 3つ目はアンデパンダン。アンデパンダン「展」ではなく本来の意味での自主独立。 4つめは反戦・反核。
2015-03-15 13:51:41アヴァンギャルド。 花田に関わることであるが、 政治的というより弁証法だ。 岡本太郎は反弁証 弁償は正反合だが、岡本はそれを否定してて、その点で花田清輝と対立
2015-03-15 13:54:08弁証法は今あるものを拒むことから始まるが、岡本は対象を拒絶したままとどまるというもの。それが最終的に爆発する、ということで芸術は爆発だとなる。
2015-03-15 13:54:52アヴァンギャルドは拒むこと。 最晩年の映像にもあるが、資本主義発展で売れるものが良いものになった。しかしそれを拒絶し新しいものを生み出さなくてはいけない、と
2015-03-15 13:55:23広い意味のリアリズム。 リアリズムというとリアリズム絵画が思い浮かぶがそうでなく、 リアリズムと超現実絵画の対立を超え、人間の想像力を超えそれをありのままとらえるというもの
2015-03-15 13:56:13アヴァンギャルドと一致する。 今あるものを見ないようにして生活しているが、それをまず拒まないと真実は見えない。そのリアリズムにルポルタージュがある。 矛盾が生じているところにでかけ見る。
2015-03-15 13:56:54アンデパンダン。 アヴァンギャルド、リアリズムとなればそれは自主独立とならなくてはいけない。公的助成(税金)に頼ってはアンガージュマンなどできない。
2015-03-15 13:58:00反戦反核。 大きな人類的宿業。人が人を殺しあう。それに対し無力か。 それは政治的なことに矮小化できず、アヴァンギャルド、リアリズム、アンデパンダン全て含むことだ
2015-03-15 13:58:561998年、日本・現代・美術を出したことで針生一郎と縁ができた。 椹木の戦後美術の成立不可能性、その根源には戦争があり、時代ごとに美術家を評論するものだ。
2015-03-15 14:00:34褒められたとなれば、ちゃんと評論として返さないといけない。 針生一郎という作家は最盛期とは57~72年あたり 2010年に亡くなったが、会場都合もあって充実した内容だが本展でも70年代あたりで終わっている
2015-03-15 14:02:19アヴァンギャルド、リアリズム、アンデパンダン、反戦反核がもっとも充実したのがその時代で、だからこそ最盛期だと。 そこで一端なぜ終わったのか。本人が言っている。 出典はきちんと調べきれてないか、彼は現役批評家から退役宣言している。71~72年
2015-03-15 14:03:25美術の運動としてのテーゼ。 美術はかくあるべしという、ある種の現実否定であるが、 それにより引っ張られるはずだが、それをやめた
2015-03-15 14:05:36ハンパク芸術。 70年代安保反対と大阪万博反対。 それらに失敗し、タマビ闘争も失敗した。 とはいえ態度は崩さないが、それでもそれで引っ張れない。 だから退役とした
2015-03-15 14:06:57その後、針生の存在感は70年代以降失われていった。 椹木が80~90年代に評論を書き始めたが、すでに伝説の存在。 活発に議論を交わす存在ではない。 昔何があったかを記録するオーラル・ヒストリーがあるが、その調査対象となっていた
2015-03-15 14:08:34その時期、針生の著書でまともに読めるものは殆どなかった。 しかしかつてアクチュアルの批評家でなく今アクチュアルな批評家として見えたのが、91年の富山近代美術館の仕事だ
2015-03-15 14:11:56日本心中 おおうらさん。 天皇の姿をコラージュした作品を作った人だが、右翼が押し寄せ不敬だと。 そのため作品取り下げ掲載図録を焼却した。 学芸員は県の職員なので反対できない そこに反対をするには外部しかない。
2015-03-15 14:12:34日本には団体という互助会があるが、このようなことが起こると作家は孤立する 針生はそれを助け、裁判を行う。 しかいついに負けるが、
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