カタカムナとヌーソロジーまとめ

kohsenさんのカタカムナに関するツイートをまとめました。
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半田広宣 @kohsen

またまたカタカムナ関連。ミスマルノタマが11種の双珠(フタタマ=対だということ)になっているのも面白い。ミスマルとはバラバラのものを統べるという意味を持ち、OCOT情報ではψ11とψ11*の統一の意味を持っている。これは人間の無意識が「22」の次元で成り立っているという意味だ。

2015-02-21 13:33:39
半田広宣 @kohsen

カタカムナ関連。アマとカムのムカヒというやつだけど、アマを「幅」に、カムを「奥行き」にダイレクトに当てはめていい。ヌーソロジーでいう人間の内面と外面の対向性。これらはアカ(現象性)とアオ(潜象性)の関係でもあるね。つまり、NOSとNOOSってこと(^^)

2015-02-23 11:27:02
半田広宣 @kohsen

現象の把握はアカとアオの混合から成っている。これをカタカムナは「アヤ」って呼んでいる。「アヤしい」のアヤ。綾取りのアヤでもある。要は混ざり合ってよく分からなくなっているということ。これはベルクソンが言ってたことと同じ。アカとアオの区別を認識に上げることが、いわゆる「差異」。

2015-02-23 11:32:21
半田広宣 @kohsen

たとえば、目の前に3次元座標を「イメージ」する。この時点ですでに幅と奥行きは回転して互換重合して、混じり合っている。ただ、人間の意識ではカム=奥行きの方は潜在化してしまって、アマ=幅が作り出す3次元空間だけが想像的対象として浮上してくる。カムのほうはミチ(持続)として働いている。

2015-02-23 11:40:38
半田広宣 @kohsen

「考える=カムカヘルとカムカエル」とはくだらないダジャレのようでもあるが、本質をついている。人間に思考を強制させているもの、つまり、考えたくなくても考えざるを得なくさせているものとは、まさに、この潜象化している「カム」の力によるものだ。

2015-02-23 11:48:32
半田広宣 @kohsen

アマは膨張性、カムは収縮性として働く。アマがカムに方向を持つことは「アマナ」と呼ばれ、「アマナ」はそのまま原子核の意となる。幅として生まれでた現象性はカムのミチを通じて物質の根源へと回収されているのだ。もちろん、この流動は人間の意識においては無意識化されている。

2015-02-23 12:02:47
半田広宣 @kohsen

OCOT情報は「カタカムナ文明とは前次元の覚醒期の知識です」と言っていた。楢崎さんはなぜそれが滅びたのは分からないと書いていたが、それもまた「アマとカムの交替性によるもの」というのがOCOTの言い分である。

2015-02-23 12:08:37
半田広宣 @kohsen

まもなく、時代空間はアマウツシ(幅支配の世界)からカムウツシ(奥行き支配の世界)へと交替化を起こしていくのではないかと思う。そうすれば、新しいカタカムナ文明が立ち起こってくることだろう。ヌーソロジーの作業もまたその一つの息吹のように強く感じている。

2015-02-23 12:11:31
半田広宣 @kohsen

カタカムナを学んでいる人は、是非、現代物理学やドゥルーズ哲学をゆっくりでいいので並行して学んでいってほしい。そうすることによって明確なカタチ(構造性)と思念(新しい主体性)が生まれ、君自身がカタカムナとなる。ヌーソロジーが目指すのもそうしたカムナガラノミチとしての身体性の獲得だ。

2015-02-23 12:29:03
半田広宣 @kohsen

●今日から、君がカタカムナだ!!(笑) 今日もカタカムナ関連で少しだけ。... fb.me/45r6f2vwj

2015-02-23 13:03:13
半田広宣 @kohsen

表象は自我だね。表象の同一性と自我の同一性は無意識構造の始まりと終わりでガッチリと結びついている。問題はこの無意識のメグリのミチ(実体の持続構造)を認識に上げること。これがカムナガラノミチ。ありゃま?カタカムナの影響が(笑)

2015-02-26 11:42:25
半田広宣 @kohsen

物質的太陽と霊的太陽というのがあってね、カタカムナはこれをアサヒとフトヒとして区別してる感じだね。フトヒとはフたつのものをトうごうするヒ(霊)のような意味だけど、その統合のプロセスが物理学的に表現されているのが太陽の中のpp連鎖と考えるといいよ。要はカムウツシにおける太陽。

2015-02-26 12:06:15
半田広宣 @kohsen

このカムウツシにおけるフトヒの生成を象徴化したものが物部の十種神宝だと思うよ。

2015-02-26 12:08:02
半田広宣 @kohsen

ゲージ対称性の拡張性はカタカムナの言葉で云うと「トコタチ(互換重合の繰り返し)」に対応させることができそうだね。

2015-03-02 22:28:28
半田広宣 @kohsen

身体と体は全く別の物だよ。身体にはミ(実体)があるけど、肉体とは体だけ。だから、カラダ(殻だ)というわけだね。身体が触れているのが奥行き。体が触れているのが幅化した奥行き。君は身体を意識化できているかい?

2015-03-02 22:55:54
半田広宣 @kohsen

物理学がいう時空の一点一点に張り付いた複素空間というのはね、時空がこのミを伴っている状態のことを表現しているんだよね。カタカムナの言葉で云えばアマヒを持っているということ。アマヒとはアマが持ったカムへの指向性のことだね。

2015-03-02 23:14:43
半田広宣 @kohsen

ゲージ対称性の拡張性はカタカムナの言葉で云うと「トコタチ(互換重合の繰り返し)」に対応させることができそうだね。で、トコタチは二つある。いわゆるクニトコタチとアマノトコタチ。国つ神が持ったトコタチと天つ神が持ったトコタチ。これは自己側と他者側からのアマヒの運動の様態を表している。

2015-03-03 11:33:46
半田広宣 @kohsen

これら相互の変換性が物理学でいう超対称性変換に当たるのかもしれないね。

2015-03-03 11:35:13
半田広宣 @kohsen

カムナガラノミチとは、古神道においては天照大御神の樹立された道とされるんだけど、カタカムナにおいては「カム」はカタチが見えないという意味でもあるので、「カタチの見えぬものであるけど〈ミチ〉はあるのだ」という意味。〈ミチ〉とは実体の持続という意味。いわゆるタオに同じ。

2015-03-03 11:47:02
半田広宣 @kohsen

そして、この〈カム〉が〈アマ〉を生んでいる無限の潜象とされている。唐突だけど、これを現代思想の中で展開しているのがドゥルーズなんだよね。ドゥルーズはカムのことを縦座標(オルドネ=強度、内包量を示す形式)と呼び、アマのことを横座標(アプシス=外延量が示される形式)と呼んでいる。

2015-03-03 11:55:30
半田広宣 @kohsen

そして、言うまでもなく、縦座標とは〈奥行き〉のことであり、横座標とは〈幅〉だということ。アマ主体の意識から、カム主体の意識へと変換を行なうのがヌーソロジーの作業です。

2015-03-03 12:00:39
半田広宣 @kohsen

楢崎さんは「カタカムナ人にとって〈トキトコロ〉は現代人の時間空間の概念とは関係ないもので、それは物質の中に〈マリ〉(粒子)としてある」と言ってますね。これは認識がアマ主体ではなくカム主体へと反転すると、時間空間もまた内部空間へと巻き込まれてあるものとして見えてくるということです。

2015-03-04 11:38:12
半田広宣 @kohsen

「反転する時空量」「トキトコロは潜象の重なりによって生まれてくる」といったような記述もありますが、これなどもSU(2)×SU(2)のイメージにビッタリです。

2015-03-04 11:46:55
半田広宣 @kohsen

今回、講演会のために、カタカムナ関連本の何冊かを20年ぶりに読み直して感じたのは、カタカムナの思考がやはりユダヤ=キリスト教的な「ある」の論理ではなく、「なる」の論理に徹底して貫かれているということ。これはほんとに素晴らしいと思った。

2015-03-04 14:45:27
半田広宣 @kohsen

そして、ライプニッツ=ドゥルーズのいう〈ヴィンクルム=襞〉の概念をいともスマートに日本語の音声と絡め合わせて表現していること。ヴィンクルムとは絶対的な内部性が全体的な外部性へと裏返されてきて生じる関係のことを言うのだが、ここにおいて、この内部は外部に対して非局所的な関係を持つ。

2015-03-04 14:53:41