じゃぽにか× 佐塚真啓× 藤田直哉 「"前衛のゾンビ"は地域アートに夢をみるか?」
- misonikomioden
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じゃ「有から無が繋がるのは他の思想もある。 佐塚「それぞれのレイヤーに美がある。作家が自分の世界に入って生を肯定する美が、美にはレイヤーが、形があって、それをごっちゃにしてるから、、
2015-03-22 14:47:17佐塚「でも、美術という言葉が、でもその言葉を思いついた人が素晴らしい。芸術でなく。僕には芸術より美術がでかい。でも芸術の中に美術があると言われる
2015-03-22 14:47:57藤「美という言葉のレイヤー分け、そんな概念的ビックワードは使うべきでない。しかし使うのは、一般的な日常用語としての美は近代における美。調和、寛容する役に立てるということ
2015-03-22 14:49:39藤「テリーイーグルトンによれば、美とはその当時の社会的哲学的問題が解決しないとき投げ入れておけば解決するだろうというのが美だ。
2015-03-22 14:51:06藤「地域のシャッター商店街など日本の社会問題がぶっこめばなんとかなると期待されているもの、芸術装置であり、美にしておけば何か解決するだろうという期待の再定義であり、それがあの本の本当の問題提議だ。
2015-03-22 14:52:15佐塚「何でもかんでも美術っぽいねというのは寂しいし、それではブラックボックスのほうになんでのかんでもいれてるだけだ。 まだ可能性がある方がいい。
2015-03-22 14:53:29じゃ「運営側の意思だとおもう。お金目的・地域振興が主であればそちらに寄るし展示の弱さになる。 藤「じゃぽにか(じゃぽにかたち?)は芸術変化に対しどう意思を持ち対応するか?
2015-03-22 14:57:35じゃ「じゃぽにかの統一見解はないし、じゃぽにか個人で意思あり、有賀自身にも意思がある。で、美は何でもいいのであれば、じゃぽにかの活動は社会というかシステムにおける冗長性だ。
2015-03-22 14:58:41じゃ「奥多摩で遊んでいるのは何かが起きた時に、その時に発揮しなくてはいけないクリエイティビティを貯めこんでいるんだ、と。 社会からクリエイティビティが必要とされるのであればそこだ
2015-03-22 14:59:25じゃ「美の話でつなげれば、ひとつの作品を共同で作るが、役割分担がある。アニメのように1人のディレクションにそれをサポートすることで一つの美を生み出すためのプロセスが組織化されてる。しかし我々は適当にやっている
2015-03-22 15:01:09じゃ「ツイートであれば個々人が言いたいと思った時に勝手にツイートしてしまい、他の人(構成員?)としては良いの?みたいに思う。 ディレクション型でないアートワークで作品を成立させたいと思う
2015-03-22 15:02:19藤「じゃぽにかはtwitterアカウントを複数の人があやつる。ネットでは1人の生身の身体が複数のアカウントを持つことあるが、じゃぽにかは逆だ。
2015-03-22 15:03:12