鶯丸友成という太刀
鶯丸は足利家から小笠原家に伝来し、やがて江戸期は越前勝山の小笠原さんちにいきます。 初代勝山藩主小笠原貞信…文化人だけど暗君って言われてる 二代目小笠原信辰…貞信の孫で養子。この辺から財政苦しい 三代目小笠原信成…養子。病死享年26歳 四代目小笠原信胤…養子。病死享年31歳
2015-03-02 02:02:38吉宗台覧はこの中の小笠原さんのいづれかだと思われるんですがいづれにしてもなんか…気の毒…勝山藩で調べてみても土地は小さくて災害が多く凶作にみまわれることも多くて小笠原さんは家計のやりくりにめちゃくちゃ苦労したらしい
2015-03-02 02:04:35ウィキ先生調べだから真偽はわかりませんが生没年に関しては早死にが多いのは間違いなさそうですね。あと藩主自身子供にめぐまれなかったと。
2015-03-02 02:05:33初代貞信と最後の小笠原長守が文化人だったらしいので、鶯丸の茶好きはその辺からもきてるのかもしれない。 あと勝山城って最後まで未完成なままだったのか…とりあえず江戸時代の鶯丸は極貧大名の生活を知ってると思われます
2015-03-02 02:13:31鶯ちゃんの伝わってた家が困窮してたとするなら鶯ちゃんは祖先伝来のありがたい刀として大切にはされていたけどお金がないもんで傷んでしまって鑑賞に堪えなくなっても修復にも出すに出せずただ錆びないように手入れだけはされていたとかそんな感じかもしれないのか……きっついな……
2015-03-02 02:23:40貞信が藩主にすえられた時はお城無くって「いやだよお城ないとか藩主としてっていうか小笠原家として嫌だよ」って親族一同でお願いしまくって死んだ後の息子の代でやっと城作って良いよって許可が降りたらしいんだけどそこから明治迎える8代までお城結局できませんでしたとか悲しい
2015-03-02 02:29:55災害が多い土地に住み常にふりまわされる領民たちを治める未完成の城に住む騒動が耐えない家の中で若くして病み死んでいった領主が最後の矜持として放さなかった既に美術品としての価値が失われつつある病んだ太刀というシチュエーションができあがりました。ご賞味下さい。
2015-03-02 02:44:34えーと政康の死後分裂した小笠原家が長棟の代で再統一して?勝山小笠原家は信貴の子孫?信貴はここで長棟とは対立して?なんだこの泥沼は
2015-03-02 02:42:40たぶん信濃の小笠原家は政康の直系だね。で政康の兄の子孫の方が本家になってるから傍流なのか。つーことは鶯丸は本当に先祖伝来の刀として小笠原家に伝わったんだな
2015-03-02 02:44:33@takayuka_knt だいたいウィキペディア調べなのでアレですがたぶんこうです!本家と言うよりは信濃の方を兄の子孫が継いだみたいです pic.twitter.com/9as13pmusp
2015-03-02 03:05:10◆補足
1442年に政康が病死すると、小笠原家は三つに分かれての家督争いに突入する。鶯丸は政康の息子の一人、光康の家系(松尾小笠原氏)に伝わったと考えられる。
1534年府中小笠原氏の長棟が松尾小笠原氏を打ち破り、小笠原家はおよそ100年ぶりに再統一を果たす。
1691年、松尾小笠原氏の貞信が越前勝山藩の藩主となる。以来鶯丸は越前勝山藩に伝来。
・江戸時代鶯丸の主だった勝山小笠原家は大体財政緊迫 ・騒動が多く藩主も若くして病死が続く(二~四代目まで養子) ・災害にあいやすい土地で当初城も無し なんとか許可を貰い築城を始めたが上記の理由で中断が相次ぎ 焼失もあって明治まで未完成 ・勝山小笠原家初代と最後の八代目が文化人
2015-03-02 03:10:46現時点でわかっている鶯丸ちゃんの刃生まとめと推測メモ。めっちゃ苦労人やないかおまえ……! pic.twitter.com/LGRngNulLx
2015-03-02 03:16:18※単体で古い情報が拡散されているのが嫌だったのでこのツイートは削除しました
将軍家から目覚ましい活躍をした小笠原さんに送られたと思ったらその二ヶ月後とかに将軍暗殺されるし二年後に小笠原さん死んで子孫が百年ドロドロの後継争い始めるし負けたほうに受け継がれて貧乏藩主のところに伝来する間に傷んでるしもうほんと皇室入れてよかったね!?
2015-03-02 03:20:57城もできないし災害はあるし家はごたごただし元々武家の有職故実をつかさどってきた由緒ある小笠原家としては祖先が残した宝だけは手放したくなかったんだろうなぁ城が燃えても財政が傾きまくっても、でもふくれがひどくなっていく刀みるたび自分達をうつす鏡のようで複雑だったかな
2015-03-02 03:56:18小笠原家伝来の宝物たちが病み疲れた藩主の矜持のよりどころだったって重いなぁ。城が焼失しても彼らは燃えなかったってことはそういうことだと思ってる。
2015-03-02 03:57:511736年時の勝山藩主は小笠原信胤さんですね!!! 養父の信成さんが26歳で死去してすぐに家督継いだので14、5歳で藩主。 台覧は20歳のころかな~~~????享年は31。
2015-03-02 05:01:47ウィキ先生によれば1736年付近の勝山藩は災害来るわ築城は中止のままだわ藩主が若いせいで主導権争いは起こるわでなんだこれ暗黒時代か????
2015-03-02 05:05:03