2013年8月大阪ウテナ展ファイナル幾原邦彦×さいとうちほトークショー&9月ワタリウム美術館でのJ・Aシーザー×幾原邦彦の対談のレポート

2013年8月大阪梅田阪急で開催されたウテナ展ファイナル幾原邦彦×さいとうちほトークショーと9月にワタリウム美術館での寺山修司に関するJ・Aシーザー×幾原邦彦の対談のレポートです。サルベージがあまりに面倒なので一緒にしました。例によって資料性はありませんがこうしてみると俺の記憶力もなかなかです。
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戸田 @9889141

幾原監督、さいとう先生、池Pのトークショウも面白かったけど体調面がかなり危うく、且つうろ覚えなので大したレポは出来ないなあ。ユリ熊嵐のプロモは流れなかった。さいとう先生がいらしたからうすうす分かってたけどさ・・・。

2013-08-26 00:43:47
戸田 @9889141

まずは幾原監督の毎度おなじみアニメポリスペロと地元界隈のお話があって、ウテナの企画が始まったのが93年の劇場版Rの後位からだったっけな?当時監督はアニメの業界に入って2年目くらいで〇〇ムーンの監督を任され大ヒットし、正直天狗になってたと。

2013-08-26 00:48:44
戸田 @9889141

今までは会社の大人たちが敷いたレールに乗って作品を作っていたけど、そろそろ自分の企画で作品を作りたい。「俺が作れば絶対当てられる!ボクはもう大人なんだ!ビーパパス!」と思ったそうな。そこで親しいひとに新しい企画の相談をしてた。その相手が榎戸、長谷川、小黒の三人であった・・・

2013-08-26 00:54:40
戸田 @9889141

書店の表でさいとう先生の表紙を見てほれこみ少女マンガはもういいと思ってた企画を180度転換、さいとう先生に会うための画策を始めた。フツーに出版社に掛け合えば先生と会うことは出来るが、監督は出版社の恐い大人たちの仲介で会いたくなかった。なぜなら・・・

2013-08-26 01:00:49
戸田 @9889141

きっと会談の後で編集がさいとう先生に「あなたは幾原にダマされている!話を聞いてはいけない!」とか言われると思い込んでいたと。さいとう先生曰く「その編集は小学館でも異端なほどフワフワ?した人で全然恐くない」だそうだが、幾原監督は当時、恐い大人たちと色々あった(イジメ?)そうで・・・

2013-08-26 01:06:33
戸田 @9889141

・・・とにかく監督は当時、「大人たち」に対する警戒心が強かった。色々と考え、アシスタントのツテで会うことも出来るとわかったそうだが、結局は正攻法で出版社経由でさいとう先生に会った。はじめは先生をノせるため、「ワルツは白いドレスで」みたいな絵を描いてもらった。

2013-08-26 01:11:36
戸田 @9889141

さいとう先生を企画に入れ、なお且つ先生が売れっ子漫画家であることを知った幾原監督は、その時点で東映動画に辞表を叩きつけた。それからほどなくして監督は「後ろ盾が無い事」の恐ろしさを味わうことになる・・・

2013-08-26 01:15:56
戸田 @9889141

企画書を売り込むとき、「自分はセー〇ームーンの監督だったのだから皆お金を出してくれるに違いない」と思っていた監督に対して、スポンサーたちはとても冷淡であった。・・・

2013-08-26 01:21:12
戸田 @9889141

90年代に映画的なアニメ作品に多く出資していた某社のプロデューサーに企画書を見せた時「幾原さん、アナタの企画はコンテンツになってないよ。」といわれ、当時幾原監督はコンテンツという言葉を知らなかったため、知り合いに「コンテンツってどーゆうイミ?」と聞いて回ったそうな。

2013-08-26 01:24:32
戸田 @9889141

話の文脈から察するに、コンテンツになる作品とは今で言うジ〇リのようなもので、「堂々たる映画作品のようなもの」らしい。要するに幾原さんは「アナタの企画はオモチャの宣伝でしかない」と言われたようで、あまりにもショックで一週間くらい寝込んだという・・・(良く寝込むヒトだ)

2013-08-26 01:29:07
戸田 @9889141

さいとう先生曰く、その頃幾原監督はかなりのプレッシャーを感じていたらしく、そのタイミングで大晦日から正月まで企画合宿が行われ、「ユリ嫌だ問題」の果てに監督はぶっ倒れたらしい。先生は「だから恐らく私のせいだけではない」と言いたかったようだ。

2013-08-26 01:35:17
戸田 @9889141

ユリ嫌だ問題がきっかけで、監督はさいとう先生を怒らせてはならないとかなり気をつけたらしい。なぜならさいとうちほ先生は「ウテナ」と言う企画の「いのち綱」であり、さいとう先生が書く気になれなかったり企画から降りてしまったら確実にポシャると思ったからだそうな。

2013-08-26 01:40:43
戸田 @9889141

そこで起こった事象の一つに、ウテナのイラストがちゃおに掲載され、ウテナはピンクの学ランで発表されたが、幾原監督は製作中に「学ランを黒にしなきゃこの企画は終わる!!」と思ったそうで、さいとう先生を説得するためウテナ学ラン赤タイプ・黒タイプをセルに起こし・・・

2013-08-26 01:48:33
戸田 @9889141

しかもさいとう先生に「黒が良い」と言わせるために監督は、黒タイプはきっちり塗って、赤タイプはぞんざいに塗るという工作を行って会談に臨んだ。こうすれば先生は「黒が良いですね」と言い、「さいとう先生が黒が良いとおっしゃったのだ」という状況を作り出そうと画策したわけだ・・・

2013-08-26 01:51:36
戸田 @9889141

結果、さいとう先生は白黒原稿ではトーンを使ってたのが黒学ランではベタにするしかなく、ゴマかせないので「赤がいい」と言ったそうな。その時幾原監督はものすごい無表情で「・・・わかりました・・・さいとう先生は黒が良いんですね?」と、言ったそうな。

2013-08-26 01:59:13
戸田 @9889141

ウテナ学ラン話はコミックスでさいとう先生が描いてたね。

2013-08-26 02:10:28
戸田 @9889141

監督が味わった「後ろ盾が無い事の恐ろしさ」のもう一つが、当時2クールの作品でも3~4億円もの制作費がかかるという事だった。・・・

2013-08-26 02:16:00
戸田 @9889141

東映というデカイ会社の中で大きなお金が動くなら特に感じないけど、自分がそのお金をコントロールする段になって感じた印象を言うと「百万円単位のお金を串に刺して焚き火で焼いてるような感じ」だったらしい。制作費はかさみ、目の前でみるみる金は無くなってゆき、放送日は待ってくれない。

2013-08-26 02:20:36
戸田 @9889141

幾原監督は今思い出しても「当時の俺スゴイな!!」と思うそうな。

2013-08-26 02:21:15
戸田 @9889141

あと、製作当時、スポンサー側とさいとう先生と幾原さんのなかで作品イメージの齟齬がひどかったと言う話があった。

2013-08-26 02:25:02
戸田 @9889141

スポンサーに作品を説明すると「タカラズカみたいなキャラね」「タカラヅカみたいな話ね」「ベルバラのパロディーね」等々、自分の企画がすべて何かのパロディーでしかなかった。幾原監督は「会社に辞表出して独立して作った作品がパロディーで良いのか!?」と悩んだ・・・

2013-08-26 02:33:03
戸田 @9889141

ウテナは漫画とアニメでは別物とよく言われるし、実際違うけど、ウテナという作品のキャラクター(のパーソナリティー?)はほぼ全てさいとうちほの作品から持ってきている。なぜなら、当時の自分には作家と呼べるほど内実が無かったため、さいとう先生から借りるしかなかったのだという。

2013-08-26 02:37:48
戸田 @9889141

・・・ちなみに、「今は多少は作家の内実がある」とも言っていた。

2013-08-26 02:38:03
戸田 @9889141

・・・で、自分がパロディーしか出来ないとすれば、自分という人間の芯になってるものから持ってきたい。自分の内実と合致していれば、たとえパロディーであっても本気でやれるから。そこで寺山修二に行き着いた。

2013-08-26 02:44:01
戸田 @9889141

自分が十代(ティーンエイジャー)の頃、天井桟敷の演劇を見て頭をバットで殴られるような思いがした。衝撃でクビが180どころか360度まわって一回転するくらいの衝撃だった。そこで幾原監督は「そうか、自分が作品を作る理由はこれだ!」と叫んだそうな。

2013-08-26 02:51:07