「科学と差別について(2)」個々の選好の問題

Sho Kasugaさんのブログ“Where Angels Fear To Send Trackbacks”の記事「科学と差別について(2) あるいは「低線量被ばく」の問題について」についてのああだこうだ
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水無月 @minadukiG

そんなことは不可能だ。 原発事故がなくとも全国の過疎問題を指をくわえて見ているしかない政府に、事故後の過疎対策など解決できるわけがない。 つまり、政府の責任逃れというのには二重の実態があり、一つは原発事故、そしてもう一つは中央と地方の格差問題、なのだ。 @minadukiG

2015-04-12 03:41:53
水無月 @minadukiG

政府が、責任逃れに住民間の利害対立を利用しているというのは確かだと思う。が、その「責任」とは、当面話題になっている原発事故以上に深刻なものがあると思う。 見方を変えると、帰還政策で問題を放射線リスクの問題に落とし込むことには、格差問題を隠す効果がある。 @minadukiG

2015-04-12 03:49:24
水無月 @minadukiG

以上、なぜ政府は「個々の選好に応じた対応」を取ろうとしないのか、という観点で思ったこと(健太郎さんとの違い)。説明が下手で申し訳ない…。 @minadukiG

2015-04-12 03:53:17
水無月 @minadukiG

まぁそもそも、過去の原発建設自体、政府や受け入れ自治体は(地方への押し付けである反面)「地方対策」「活性化策」だとも(半ば本気で)認識していたはずだ。 その「活性化策」自体も誤りだったわけだが…。それを認めるのも抵抗があろう。 @minadukiG

2015-04-12 04:03:21
iori matsumoto 松本伊織 @impactdisc

RTしたものの、過疎って一言で片付くわけでもないような気がするが、「過疎」という言葉の強さが勝ってしまいそう

2015-04-12 08:14:59
iori matsumoto 松本伊織 @impactdisc

シャッター商店街とかも、過疎「化」の傾向だよね

2015-04-12 08:15:23
iori matsumoto 松本伊織 @impactdisc

住居だけあって産業がないところとかさ

2015-04-12 08:15:43
kentarotakahashi @kentarotakahash

え〜と、ここはちょっと引っ掛かるのだが>「帰還政策で問題を放射線リスクの問題に落とし込むことには格差問題を隠す効果がある」 というのは、そもそも帰還政策を放射線リスクの問題に(のみ)落とし込むこと自体が妥当ではないと考えられるから。 twitter.com/minadukiG/stat…

2015-04-12 09:19:41
kentarotakahashi @kentarotakahash

安全派/危険派という二分は、それこそ「放射線リスク」についての判断が分かれることを示している訳だけれど、春日さんの言うところに「個々の選好」に帰結する判断は科学的正しさを必要とするものではない。

2015-04-12 09:28:41
kentarotakahashi @kentarotakahash

低線量被曝については、科学的に正しい判断を求めることは困難だ。比較的中庸な判断基準になるかもしれないICRPにしても、科学的正しさは担保されていないのだから。にもかかわらず、人々の行動を科学的に正しい/正しくないで裁いたり、無知を非難したりすることが安全/危険の議論では横行する。

2015-04-12 09:35:55
kentarotakahashi @kentarotakahash

すべての人々には幸福を追求する権利があるのであり、原発事故によって、幸福が損なわれた状況下では、いかにして幸福を回復するかが重要で、そこでは放射線リスクの問題は、すでに一要素でしかない。個々の判断はとても複雑だ。かつ、判断のきっかけは身近の小さな出来事であることも多い。

2015-04-12 09:51:17
kentarotakahashi @kentarotakahash

その幸福の回復に向けた個々の判断は最大限尊重されるべきで、そういう意味で、それを「放射線リスクの問題にのみ落とし込む」ことはそもそも間違っている、というのが僕の考え。あるいは、水無月さんもそう考えた上で、それには過疎〜地域格差問題を覆い隠す効果もある、としているのかもしれないが。

2015-04-12 09:55:55

もうれつ先生 @discusao

blog.talktank.net/2015/04/blog-p… 科学と差別について(2) あるいは「低線量被ばく」の問題について ↑「最大幸福 Greatest Happiness」ではなく「悲劇の最小化 Minimization of Misery」を志向する(減算的な功利主義)という話。

2015-04-12 08:32:03
もうれつ先生 @discusao

最大幸福の追求は個人の行動原理の基本だ。功利主義(最大多数の最大幸福)は、個人の行動原理(最大幸福の追求)を集め社会的行動原理を抽出(最大多数化)する試みだが、私事の領域に属するものを社会全体の原理原則にまで拡げられるか?という疑問は常に指摘されている。

2015-04-12 08:56:16
もうれつ先生 @discusao

功利主義的(最大幸福の追求)に行動する個人は(当たり前だが)「個人主義」だけど、功利主義的な規範(最大多数の最大幸福を是とする規範)はまったく「個人主義」と相容れない、とまで指摘するジョン・ロールズみたいなタイプもいるよね(『正義の理論』)。

2015-04-12 09:04:10
もうれつ先生 @discusao

科学と差別について(2) あるいは「低線量被ばく」の問題について blog.talktank.net/2015/04/blog-p… 個人が功利主義的主体として行動・発言することが何故「差別」として糾弾されるのか?

2015-04-12 09:45:45
もうれつ先生 @discusao

それは、糾弾する側が「最大多数の最大幸福」の(集団的な)規範を持っていて、それが個人の功利的行動・発言とバッティングしているからだろう。「差別」というキーワードから類推すると、被曝に関しては、個人の功利主義的な行動は「共感」するルートを欠落させていると見なされているのだろう。

2015-04-12 09:54:25
もうれつ先生 @discusao

もっとシンプルに言っておこう。 「最大幸福 」は個人の快楽追求の指針だが、快楽の質は個々人で異なるので他者と共有しにくい(社会的理念に昇華しにくい)。 社会的理念としては共感の得られやすい「悲劇の最小化」(マイナス方向の功利主義)が有効。

2015-04-12 10:07:31
もうれつ先生 @discusao

これを無理矢理、「最大多数の最大幸福」という社会的規範の中で「他者への共感」も満たそうとすると、「弱者への恩情」とか「偉大な王君の慈悲」という、民主主義的発想から遠く隔たった道徳規範となって個人を抑圧する結果となる。

2015-04-12 10:13:44
リンク twitter.com 菊池さん版「科学と差別」 from もうれつ先生 on Twitter Connect with your friends — and other fascinating people. Get in-the-moment updates on the things that interest you. And watch events unfold, in real time, from every angle.
もうれつ先生 @discusao

“菊池さん版「科学と差別」” - @discusaotwitter.com/discusao/timel…” 個人の選択(個人の選好)について述べてるのでコレクトしました。 pic.twitter.com/9WML67Lohf

2015-04-12 13:30:43
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もうれつ先生 @discusao

”個人の選択を尊重せずに、「こうするべきだ」と押し付けるのも、おせっかいなばかりではなく、害でもある”という指摘はとても同意できるが、他の記述とどうつながってるのか分からない。「食べられない」「住めない」と主張する人が「こうするべき」と押し付け松本さんを批判しているということか?

2015-04-12 13:50:20
iori matsumoto 松本伊織 @impactdisc

今RTした @discusao さんのまとめの中に「個人が食べない選択をするのと、それを敢えて表明する事、それに関して論じる事はまた別問題、という事がいまだにわからない人は、この話題に触れない方が良いと思うけど。」という意見があるけど、そうかなぁ?

2015-04-12 14:38:50
もうれつ先生 @discusao

twitter.com/discusao/timel… 同意できる、とした部分以外よく分からず…。 RT @impactdisc ~という意見があるけど、そうかなぁ?

2015-04-12 14:48:30