殷王朝の十王族

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巫俊(ふしゅん) @fushunia

新聞の書評欄見てたら、中公新書『殷』を紹介していて、「紂王の本名は帝辛」って書評で説明されてたけど、帝辛って紂王の死後に使用された諡号とされるから、本名ではないのでは?甲骨文には「王」としか書かれていなかったと思います。

2015-04-06 01:07:47
望月うさぎ @usagitan

@fushunia 持井康孝の論考によれば、殷の王族は10の氏族(甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸)から構成されていており、このうち直系王は甲・乙・丁族に限定されていたとします。ちなみに、帝辛は紂王の本名ですが、卜辞は先王を占いますので生前に甲骨に帝辛の名はありません。

2015-04-06 01:54:12
望月うさぎ @usagitan

@fushunia 「帝辛って紂王の死後に使用された諡号とされるから」←これって昔の説です。持井説を参考にされることをお薦めします。つまり帝辛(紂王)は傍系王であり、異常事態の中で王とならざるを得なかったとみるべきしょう。 なお、話題にされた落合淳思の著作ですが、ダメ本です

2015-04-06 02:00:20
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan ひょっとして「十干諡号」って現在は西周史の用語としてのみ使用されています?諡号の定義の問題だと思うのですが、「死後、選定された号」だと理解されるときには「生前から用意されている」可能性が見落とされがちだと思っていました。それが本名なのかはなお慎重なのですが

2015-04-06 02:38:35
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 持井氏の論文はすぐにアクセスできる環境に無いのですが、大きな図書館に行ったとき探してみます。殷の十氏族説については、「丙族とかにも「西周後期の冒姓諸侯」に類する「殷代十干号の冒集団」があったのでは?」「殷王は一系統がのぞましく(現実は乱立)、十干は養育氏族名」

2015-04-06 02:48:19
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan と考えた方が、私的には胸のつかえが取れる感じがします。従来の十氏族説では各王の血縁的父子関係を否定していますが、丁族とか乙族から「若い王位継承者」を選定するなら丁族長とか乙族長の方が真の権力者になるはずです。しかし、そうした出自は不明ですし、

2015-04-06 02:54:44
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 丁族の有力者がそのまま王位に就くなら、歴史上の他の王室と違って各王に親子ほどの年齢差が認められないはずなのですが、甲骨文の父称を見ると、「同世代、親世代(父世代を父と称)」の区別があるようです。父子相続ではないのに次の世代から王を選んでいたなら、

2015-04-06 02:59:58
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 形式上の養子とか、養育関係が王位と関わっていたのだろうと推測しました。帝辛であれば、生まれたときかもしくは即位時までに「辛集団」に加入した王子(そして王位に就く)なのだろうと思います。日本では「山部親王」など養育氏族の名前を本名にしていましたが、

2015-04-06 03:03:57
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 日本では著しく形式化が進んでいき、山部親王(桓武天皇)と山部氏族にはあまり関係は無かったようです。山部氏族は天皇に遠慮して山部姓を改称してしまうほどでした。殷についても形式化していた可能性がありますが、派閥を継承するために十干集団が維持されていたと考えました

2015-04-06 03:11:32
望月うさぎ @usagitan

@fushunia まずは持井論文「殷王室の構造に関する一試論」(『東京大学東洋文化研究所紀要』1980年)をご覧ください。当該論文による上掲の結論は、第15次の殷墟発掘で発見された甲骨群を分析したもの。この論文が入手できない場合は、小沢『中国天文学史研究』第12章を参照ください

2015-04-06 10:39:17
望月うさぎ @usagitan

@fushunia 「従来の十氏族説では各王の血縁的父子関係を否定していますが」← まことに失礼ながら、持井論文を紐解かないで、「従来の十氏族説では云々」と仰られても、何とも答えようがありません。 また、殷の王族を日本の皇室と比べて議論しても、それはあまり意味がないと思います。

2015-04-06 10:48:43
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@yakata22 殷王朝の王室やその末裔が「子姓」だとされたのは、周代以降に生まれた認識でして、そういうものは殷代に無かったようです。

2015-04-07 00:44:34
やかた @yakata22

@fushunia ああ、そうなんですか(・∀・) となると、周室の姫姓が初めなんですね。

2015-04-07 01:45:04
やかた @yakata22

国姓が「姫」ってすごいよね。周王朝、さては萌系王朝なのかなぁ?(・∀・)b(オタク脳)

2015-04-07 01:46:26
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 第12章はコピーして手元に置いています。第12章が依拠する持井論文が手元に無いことは何とも窮しますが(^_^;)「従来説」というのは主に張光直説をイメージしていました。張光直さんと持井氏の間には交流関係や、張説への影響関係などあるのでしょうか?

2015-04-07 00:58:42
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 落合氏の論文「西周代の姓」に「張光直氏と持井康孝氏は(中略)印王室内部で内婚制が行われたと主張する」とあります。内婚を前提にする以上、夏と殷(周も?)が同系になるのは必然ですが、殷代中期の王権弱体化と組織の新陳代謝による中興を考えると、同系説に慎重な気持ちです

2015-04-07 01:27:30
望月うさぎ @usagitan

@fushunia 「従来説」というのは主に張光直説をイメージしていました。← 了解しました。私こと張光直氏と持井氏の間の交流関係については寡聞にして知りません。ただ、持井説は15次発掘の甲骨文から着想されたもので、張説とは全く無関係に成立したと理解しています。

2015-04-07 01:39:45
望月うさぎ @usagitan

@fushunia 内婚であったからこそ、卜辞では夏において10氏族による王位迭立だったものが、殷(商)になって、主に「甲・乙・(丙)・丁」族の迭立になったとも考えられます。とか何とか言っても、文献が出てこないのですから、どのみちこれに関する議論は深入りできません

2015-04-07 01:46:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 中~後期の殷は、帰参と寝返りを繰り返す外諸侯に悩まされてます。本来なら外婚をして外諸侯を身内に取り込むべきですが、(乗っ取りを警戒した)殷に内婚の傾向があるのは、王朝内部だけで通用する擬似氏族「十干」を使うことで、外部からの影響を減らしているものだと思います

2015-04-07 01:52:17
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan (承前)擬似だから、一見本物っぽく見えるのであり、そうすると夏殷が氏族統合されているように見えるのですが、それは国家を統合するために用意された「殷代後期の人たちの確かな認識」ではあっても、歴史的事実では無いと思います。外部出身者や混血氏族を十干加入で濾過したと

2015-04-07 01:58:41
望月うさぎ @usagitan

@fushunia 巫俊さんが「帝辛って紂王の死後に使用された諡号とされるから、本名ではない云々」と記したので、私はその十干は諡号ではなく氏族であるという持井説を披瀝した次第です それを「外部出身者や混血氏族を十干加入云々」と言われると、何を考えているのか?と思います

2015-04-07 10:24:27
望月うさぎ @usagitan

@fushunia 殷墟の15次発掘から導きだされた持井論文をいまだ紐解かず、①「外部出身者や混血氏族を十干加入で濾過した」とか②「歴史的事実では無い」という発言には当惑します。①については裏付けのない単なる思いつき、②は反証材料がないのにどうしてそんなことがいえるのかと

2015-04-07 10:34:51
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 「(落合氏は)諡号とされる(のに評者が落合説=本名と書いた)」です。あと落合説と私の考えは一致しない点があります。「帝辛」は死後の呼び名ですが、その中の十干の「辛」は生前説もあると先述しました。どちらにせよ甲骨文の十干人称は死者を祭る記念日と関連しています。

2015-04-07 19:27:24
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@usagitan 十干十二支は、60進法から作り出された概念ですよね。10日で1旬するのも前提になるのは60進法です。その数学的理念にかなう10氏族迭立が先にあり、現実的な甲乙・丁迭立に落ち着いたというお考えだと思いますが、王を擁する対立が甲乙・丁表記に反映され、

2015-04-07 21:28:59
望月うさぎ @usagitan

@fushunia 先述したように〝卜辞〟とは、祖霊に対してお告げを頂くためのものでなのですから、甲骨文としての卜辞で十干人称が祖霊(死者)であることは当然です。 ただし、巫俊さんの発言をを見る限り、巫俊さんは殷周代の金文にも十干人称があることを認識していないのではと思います。

2015-04-07 21:35:13