フクシマ本(一義的ではない「フクシマ」の文脈)

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もうれつ先生 @discusao

引用文(これは表紙カバーにも印刷されいている)から推測すると、開沼の使う「フクシマ」は、3・11以後の福島県および福島県に限らず原発行政に関わる事象全般で事故によって変化したことを指すと思われる。それは補章タイトルが「福島からフクシマへ」となっていることからも補強できる。

2015-04-16 01:13:10
もうれつ先生 @discusao

開沼の『「フクシマ」論』は3・11以前に執筆された部分が多く、当然、住民の避難や収束作業、補償問題や訴訟問題、被曝問題についてはほぼスルーされている。まえがきに倣えば「その現実を理解するための前提」を提示することが眼目となっているとも解釈できる。

2015-04-16 01:21:06
もうれつ先生 @discusao

もう少し拡張すれば、3・11以前の「前提」を提示することが自分の仕事の範囲であり、その「前提」を身につけフクシマに向き合うのは、それにインスパイアされる者の仕事である、という考え方をしているのかもしれない。

2015-04-16 01:25:42
もうれつ先生 @discusao

“クリエネ評「はじめての福島学」” - @discusaotwitter.com/discusao/timel…” ↑クリエネさんが、「はじめての福島学」には福島原発の収束がどうなるかという観点が全くない、と言っているが、「それは他者の仕事」と考えているとすれば整合性がとれる。

2015-04-16 01:29:41
もうれつ先生 @discusao

ま、ただ、この本は『はじめての福島学』なので、「フクシマ」論とはまたちょっと変化したのかもしれないですが…

2015-04-16 01:31:57