湘南、夏

湘南の夏。僕としおいと僕らの娘の物語。
3
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

鎌倉しおいに会いたいから夏になったら湘南に行く

2015-04-25 15:59:04
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

しおいに子供が生まれたと連絡を受けて湘南に電車で向かった。僕も随分年を取ったなぁと思いながら、しおいとの恋を思い出す。僕が本気で人を好きになったのは後にも先にもしおいだけだったと気が付いた。自分の事のように嬉しいよ。自分の事だったらもっと嬉しかったけど。

2015-04-25 16:02:34
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

しおいの子はしおいにそっくりだった。まだ父親は仕事中で遅くなると言う。西日が射す部屋からは海が見えた。波が聞こえた。この子は海の子なんだという気がした。誰の子でもない、海の子。

2015-04-25 16:06:26
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

「しおい、覚えてる? あの夏を」 「うん、もちろん……忘れないよ」 僕は窓を開けた。 「君の子の名前はもう決めたかい?」 海の方から塩辛い風に乗って、海岸で遊ぶ笑い声が流れてきた。 「名付け親になりたいの?」 「そうかもしれない」 僕はベッドのしおいに振り返った。

2015-04-25 16:22:42
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

しおいは出産で疲労していたが、あの夏と変わっていないように見えた。髪をほどいているくらいしか違わない。 「夏海……がいいと思う」 「夏海……ナツミ……うん、いいね……いいと思います」 赤ちゃんは女の子だった。夏の子だった。しおいの子だった。海の子だったのだ。

2015-04-25 16:26:05
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

僕はしおいに今の住所を書いた紙を渡した。 「もう行くよ……幸せそうでよかった」 しおいは紙を受け取ってあの夏みたいに微笑んだ。 「ありがとう」

2015-04-25 16:28:10
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

家にはレンタカーで帰った。 さて、これからが大変だ。僕はインターネットで必要なものを調べた。 「ひとまず通販かな……」 ボタンを何回もクリックしているうちに、泣き声が聞こえてきた。 「今行くよ、夏海」

2015-04-25 16:32:31
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

しおいからは毎日哺乳瓶に入れた母乳が冷凍便で送られてきた。病院は赤ん坊の失踪を隠すため父親には流産したと告げたという。二人目を作るのがいつか、あるいは作らないのかもしれないが、しおいの初めての子は僕の子になった。子供じみた嫉妬と願望だが、僕はしおいの初めてを手に入れたのだ。

2015-04-25 16:36:38
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

夏海を拐ってからというもの、僕はしおいと連絡を取らなかった。もっとも、今までだって20年近くそうだったのだから、やはりあの湘南に行った夏の日が特別だったのだろう。

2015-04-25 16:39:53
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

しおいから母乳が送られなくなった日から、夏海の親は僕としおいになった。しおいが誰かの子を宿した故の分泌を終えたのだから。 夏海が最初に喋った言葉は「パパ」だった。僕を見て言ったのだ。 拾い子として夏海の戸籍も得て、僕は僕らは本当の親子だと信じきっていた。

2015-04-25 16:48:31
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

夏海は年々しおいにそっくりになっていった。娘に欲望を抱くことはないが、しおいの面影には涙した。そんな僕を夏海は優しく励ましてくれた。

2015-04-25 16:56:03
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

夏海が小学生に上がり数年、あの夏のしおいと同い年になった日、僕の家のチャイムが鳴った。夜、夏海の年齢だけケーキに蝋燭を立て、吹き消す直前だった。 「お父さん?」(夏海は小学生になってからは僕をお父さんと呼んだ) 「誰だろう、ちょっと出てくるか」

2015-04-25 16:56:29
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

「はいはい、どなたで……」 玄関扉を開けると、そこに立っていたのは。 「夏海? いや、しおいか?」 夜遅くに、私服姿のしおいが立っていた。10年が経ってもしおいはしおいのままだった。それはとても奇妙な光景だった。 「迎えに来たよ」 しおいは言った。声まであの夏のままだった。

2015-04-25 17:00:19
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

「夏海をか?」 しおいは首を横に振った。 「じゃあ誰を」 「あなた」 しおいが僕の手首を掴んだ。あり得ないほど強い握力に骨が悲鳴を上げた。 「お父さん!」 「来るな夏海!」 夏海は廊下を走ってきて僕の腰に手を回した。 「お父さんを奪わないで!」

2015-04-25 17:04:44
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

しおいの力が弱まった気がした。 「しおい! 手を放せ! しおい!」 僕は強引に腕を引いてしおいの体勢を崩すと、そのまま逆に腕を思い切り振ってしおいを払った。 「あっ……」 しおいは玄関先の闇へと倒れ込んで消えた。

2015-04-25 17:08:22
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

夏海にしおいの話をする時がきた。しおいにこちらから連絡を取るのが先決だった。台所に戻ると、誰が消したのか蝋燭は全て煙のみを吐いていた。 「○○さんのお宅ですか? しおいさんは?」 「しおい……あぁ、亡くなりましたよ。子供が流産してそのショックでねぇ……」

2015-04-25 17:25:14
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

僕はしおいのお墓の場所を聞いて電話を切った。そこは湘南の海が見える場所だった。 「夏海、話す事がある。それから行く場所も。でも今はまず、生まれてくれてありがとうと言わせてほしい」 「お父さん?」 「生まれてくれてありがとう……夏海」

2015-04-25 17:28:11
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

僕は夏海に全てを話した。しおいのいた証がいまや僕と夏海の他にはない事が僕にはわかった。夏海の本当の父親は、夏海が僕に拐われた日にしおいの中では死んだのだと僕は確信に近い予感を得た。 「こんな僕をお父さんと呼んでくれるか?」

2015-04-25 17:31:11
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

「うん!」 夏海は間髪入れずに頷いた。 「本当にいいのか?」 「うん!」 夏海はもう一度笑顔で頷いた。 「だってお父さんはお父さんだもん。夏海はお父さんが夏海をどれだけ大切に思っているのか知ってるんだよ!」 「……そうか……そうか……」 僕は泣くことしか出来なかった。

2015-04-25 17:53:07
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

しおいのお墓には次の日の朝早くに家を出て向かった。夏海の好きな音楽をかけながら高速道路を走っていくと、僕としおいがあの夏を過ごした街が海沿いに見えてきた。 高速道路を下りてしおいのお墓を目指す。街のあちらこちらに僕の夏の思い出がよみがえっては去っていった。

2015-04-25 17:56:22
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

「着いたようだな」 車を止めると一目散に降りて草原を駆けだした夏海を見守りながら、僕は途中で買った花束を持ってエンジンを切った。 「お父さーん!」 夏海が青空と入道雲を背に手を振っている。ワンピースと麦わら帽子、それから小麦色の肌までしおいそっくりだ。 「今行くよ」

2015-04-25 17:58:57
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

海からの風は心地よく、夏特有のじめじめした暑さもあまり感じない、実にいい日だった。 しおいのお墓は海が見える丘の上にポツンと建っていた。訪れる人もいないのか何も供えられていないが、太陽を背に影を落とした先には満開の向日葵畑があった。 「久しぶりだね……いや、昨日ぶりかな」

2015-04-25 18:01:29
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

夏海と一緒に花を供えて手を合わせる。僕は確かにしおいを感じていた。きっと夏海も感じていたに違いない。僕らの前に、しおいは確かにいたのだ。満面の笑みで僕らを祝福していた。とても嬉しそうだった。 暫く僕らはそうして向かい合っていたが、やがてしおいは「もういくね」と僕らに背を向けた。

2015-04-25 18:03:38
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

「お母さーん!」 夏海が海に向かって大声で叫んだ。 「しおいー!」 僕も海に向かって大声を上げた。 「「ありがとうー!」」 僕らは同時にそう言って、顔を見合わせた後で笑った。向日葵畑が揺れていた。それはまるでしおいが僕らに答えてくれたようだった。

2015-04-25 18:05:48
洲央@土曜西“は”45a @laurassuoh

「ねぇ、お父さん」 「なんだ?」 夏海はしおいのいる海の方に背を向けると、車の方へ歩き出した。 「夏海、先に行ってるから。もういいよって思ったらきて。それからお家に帰るまでずっと、お母さんのお話を聞かせて。大切な思い出を聞かせて」

2015-04-25 18:07:50