半兵衛の言う通りなのだ。三成をはじめ四人は半兵衛の前に項垂(うなだ)れた。 だが、松寿丸の命がかかっているのだ。簡単には引き下がれない。 「では、松寿丸はどうなるのですか」 精一杯の抵抗を試みる。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:23:53「乱世の習いじゃ。松寿丸も幼いながら覚悟はできておる」 四人の顔色が変わるのに気付かぬ態で半兵衛は、一呼吸置き続けた。 「というても、おぬしらは納得すまいな」 四人が一斉に、勢いよく頷く。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:24:43半兵衛は、 「松寿丸は、幸せ者よ」 愉快な溜息をつき 「わしに任せよ。悪いようにはせん」 四人を一人一人見て言った。 「信じてよいのですね」 三成が念を押す。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:25:42「わしを誰だと思うておる。竹中半兵衛じゃ。策はある」 半兵衛はそう言って、爽やかに微笑って見せた。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:26:25(九) 日がずいぶんと傾いた。 四人の若者を何とか納得させて帰したあと、半兵衛一行は、また美濃へ向けてゆるゆると 馬を走らせた。 一見、物見遊山のような、のんびりした歩みは、出発時と何ら変わってはいない。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:01:13だが、何かが違う。よく見ると、一行の人数が変わっている。 騎馬二騎は変わらないが、徒歩が一人だけになっている。長浜城を出て来た時より二人減っているのだ。 それはいったい、どういうことなのか。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:02:36実は、三成たちが出くわした葬列に、半兵衛一行も出会っている。当然のことに、出会ったのは、三成たちより前だ。 葬列に出会って、死んだのが九歳の子供だと知った時、半兵衛も、三成と同じことを考えた。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:03:35身代わり。 子供の死体を手に入れて、松寿丸の身代わりにする。 ただ、違うのは、死体の取得方法だ。 三成は、子供の死体を交渉してもらい受けようと考えた。こじれれば金を渡すことも。 だが、半兵衛は違う。交渉などしない。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:05:07子供の死体など、簡単に渡してくれるはずがない。金を与えたとしても同じことだ。よしんば渡してくれたとしても、そんな変わった申し出が、近在の村々の話題にならないはずはない。 当然噂になり、信長の耳に入る。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:08:52それが何を意味するか、解らぬ信長ではないのだ。 松寿丸は生きている。生きてどこかに匿われている。 必ず探索の手が伸びる。 では、どうするか。 半兵衛は考えた。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:09:59葬列を尾行して、墓のありかを突き止め、夜、密かに掘り出し、首だけ頂戴して、埋め戻す。 墓を暴くなど、普通の人間が考えることではない。だが、半兵衛は、いとも簡単に思いついた。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:11:23案が浮かんだ後、半兵衛は、五人全員で折り返し、葬列を追いぬいて進み、ある程度行ったところで止まり、徒歩ふたりに指示を与えて、葬列をまた先にやり過ごし、そしてそれを追わせ、報告を待っていた。 そこに、三成たちがやって来たのだ。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:12:37若い三成たちの軽挙を止められたことは、幸運だった。 あのようなことをやられたら、噂になり、すぐに御屋形様のお耳に入り、あの四人、ただでは済まぬ。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:13:27目の付けどころは良いのだがな。 半兵衛は、溜息とともに心の中でそう呟き、それに続けて、 やはり、三成殿は誠実すぎる。 と、愛おしげに微笑んだ。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:14:24(十) その後、松寿丸は半兵衛により処刑され信長による首実検が行われた。 だがそれは勿論、表向きであり、その実は、半兵衛の領地で密かに匿われた。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:15:21松寿丸は殺されてはいない。実は、生きている。 そのことは誰にも知らされなかった。 おねは松寿丸の死を嘆き悲しみ、半兵衛を責め、目通りを禁じた。秀吉ともろくに口をきかなくなった。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:16:22三成たちにも半兵衛から何も告げられていない。ただ、あの時の 「策はある」 という半兵衛の言葉を信じるしかない。 三成は、その言葉にすがり続けた。 家政、正則、清正も、同じ気持ちだったはずだ。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:17:11結局、三成は何もしていない。何もできなかった。 これは、 機会さえ与えられれば、自分はできる。 自らをそんな自信家に作り上げてから、三成が最初に味わった、挫折だった。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:18:04これより一年の後、天正七年十月、有岡城が陥落。幽閉されていた官兵衛が助け出される。やはり官兵衛は、織田を裏切ってはいなかった。 官兵衛救出の知らせに、信長は慌てたが、松寿丸が生きていることを知り、ほっと胸をなでおろしたという。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:19:12信長も大したものだ。 気まずさから、秀吉や半兵衛を命令違反で咎め立てするというようなことは、なかった。 官兵衛は事情を知り、半兵衛に感謝した。何をおいても半兵衛のもとに飛んで行って、礼が言いたかっただろう。しかし、それは叶わぬことだった。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:20:06なぜなら、半兵衛はその時既に、この世の人ではなくなっていたからだ。 竹中半兵衛重治、天正七年六月十三日、三木城攻め陣中にて病没。病名は、肺結核とも肺炎とも言われている。享年三十六。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:21:30半兵衛の死後も、事情を知る竹中家の僅かな家臣たちによって松寿丸は守られ続けた。 そして、官兵衛救出後、人質を解かれ、姫路へと帰って行った。 山々はこの年も、見事に紅葉していた。 #石田三成の青春
2015-04-25 19:22:22以上で「石田三成の青春」第三話「軍師の条件~半兵衛と三成」終了です。 今回も お付き合いくださりありがとうございました。 第四話「三成の恋」執筆中です。連載開始日はまだ未定ですが、どうぞお楽しみに!!! #石田三成の青春
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