三成は黙っていた。 だが黙っているからと言って、松寿丸の処刑を受け入れたわけではない。 官兵衛殿が、殿を裏切るわけがない。仮に、仮に、万が一、そのようなことがあったとしても、松寿丸に何の罪があるというのか。 #石田三成の青春
2015-04-22 19:29:00これがもし、全く面識のない少年の身に起こったことなら、 乱世の世の習い、気の毒だが致し方ない。 で済ませたかもしれない。 #石田三成の青春
2015-04-22 19:30:17でも、松寿丸だ。いつも、自分の話を興味深く聞いて、時に質問し、答えてやると、憧れと尊敬の目で自分を見た。可愛くも思い、愛しく感じた。 その松寿丸が殺される。 黙って見ていられるはずがないではないか。 #石田三成の青春
2015-04-22 19:31:35三成は立った。 他の三人も、ほぼ同時に立っていた。 部屋を出て。廊下を駆けた。 厩に行き、四人それぞれ馬にまたがり、鞭を入れた。 #石田三成の青春
2015-04-22 19:32:28(七) 竹中半兵衛は、紅葉した山々を眺めながらゆっくりと馬を進めていた。前に松寿丸を抱くような形で一緒に馬に乗せている。従う者は騎馬武者二騎と徒歩が三人、領地の美濃へ向かっていた。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:02:25安土で秀吉は、半兵衛に、 「御屋形様から松寿丸の処刑を命ぜられた」 と言った。だからどうしろとは言わない。言わないが、半兵衛に、お前が殺せと言っているも同じだ。 半兵衛は無言で秀吉の顔を見つめ、頷いた。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:04:27そのまま馬に乗り、長浜へ向かい、おねに挨拶もそこそこに、松寿丸を連れ出した。 松寿丸には、 「事情があって、わしの領国にうつることになった」 と言った。おねに挨拶をと言うのに、 「寂しがられる故」 と急ぎ連れて来た。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:06:01賢い子だ。何かあると感じたのだろう。緊張した面持ちで半兵衛を見つめた。しかしまた、人質となるにあたって、父親の官兵衛から万一の時の覚悟をよく言い含められてきたのだろう。抗うことなく素直についてきた。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:06:55半兵衛は、松寿丸を殺すつもりはない。 実は、半兵衛は自分の寿命がもうすぐ尽きると感じている。生来病弱だったが、ここのところ頓に体調が良くない。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:07:37もう、長くはない。 そう覚(さと)った時、己亡き後、自分に代わり秀吉の傍で軍配を取るのは、官兵衛をおいて他にはいないと思う。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:08:39官兵衛は絶対に秀吉を裏切らない。 なぜなら自分と同じように官兵衛も、この乱世を終わらせ戦のない世を築くのは秀吉だと信じているだろうから。 官兵衛は秀吉のもとへ絶対に帰って来る。その時のために、松寿丸は、何として守らねばならぬ。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:09:40と、自分の領地である美濃の不破に匿うべく連れて来た。 信長の命令に、秀吉は従い、半兵衛に松寿丸殺害を命じた。だから、信長の命に背くのは秀吉ではなく、半兵衛だ。 半兵衛は、自分が全責任を取る覚悟だ。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:10:32松寿丸を抱くようにして、ゆるゆると馬を進める半兵衛の肩に、どこからか紅葉が一葉舞い落ちた。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:11:15(八) 馬を走らせながら、三成は考えた。 半兵衛殿は、本当に松寿丸を殺すおつもりなのであろうか。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:12:19半兵衛も官兵衛が裏切ったなどと思っていないと三成は信じる。その半兵衛がいくら信長に命ぜられたとはいえ、十一歳の子供を殺せるとは思えない。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:13:03半兵衛殿のことだ。何か策を考えておられるに違いない。 そうだ。そうに違いない。 無理にでもそう信じ込もうとした。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:13:53前を行く、清正の 「縁起でもない」 と言う声に、三成が前方をみると、葬儀の列が近づいてくる。三成たち四人は、端により道をあけた。 葬列とすれ違う時に、 「まだ、九つなのに」 と言う声が聞こえた。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:15:44死んだのは、子供なのか。 三成はぼんやりと葬列を見送った。 「こんな時に子供の葬列に会うなんて、縁起の悪い」 今度は、正則が怒っている。 皆、松寿丸の身に迫る、死の影を思うのだろう。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:16:42その時、 はっ 三成の頭に、ある考えが浮かんだ。 身代わり。 今の葬列の死体を、貰い受け、その首を打って松寿丸の首として御屋形様に差し出せばよい。御屋形様は、松寿丸と一度しか会っていないはずだ。身代わりの首でも判らない。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:18:05「どうした、佐吉」 自分の考えに、興奮した三成の様子を訝って、家政が声をかけた。 「身代わりだ」 「え、何だと」 家政が訊き返す。清正、正則も三成を見た。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:19:03「今の葬列。死んだのは九つの子供だ」 「それがどう……、あ、そうか」 家政が叫び、清正、正則の顔がぱっと明るくなった。 四人は、葬列を追おうとした。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:19:33「待て」 突然の声に四人が一斉に振り向くと、そこに半兵衛が厳しい顔で立っていた。少し離れた木に繋いだ馬には松寿丸の姿があった。 「おぬしら、何をしようしている」 #石田三成の青春
2015-04-24 19:20:18三成は、松寿丸を助けようと半兵衛一行を追ってきたこと、今すれ違った葬列で死んだのが九つの子供だと知り、身代わりにしようと思ったことなど、包み隠さず話した。 黙って聞いていた半兵衛が、大きく溜息をついた。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:21:20「で、死体はどうやって手に入れるつもりだ」 「葬列に追いつき、頼んで貰い受けようと」 「どう言って、頼むつもりだ」 「それは……」 「子を失った悲しみの中、見ず知らず者に大切な子供の身体、渡してくれると思うか」 #石田三成の青春
2015-04-24 19:22:02「金を与えます」 「金で渡すとは思えんがな。それに、おぬしらが死体を貰いうけたことが、御屋形様の耳に入ればどうなる。類は殿にまで及ぶのだぞ」 「……」 三成は返答に詰まった。 #石田三成の青春
2015-04-24 19:23:03