【開棺】中尊寺金色堂学術調査65周年語り【調査】~第六夜~ 奥州藤原四代の血液型・身長・外見

 1950年(昭和25年)3月22日~31日、中尊寺にて金色堂の棺を開き、奥州藤原氏四代のミイラ化した遺体に対する学術調査が行われた。  その65周年にちなんで奥州藤原氏botでも六夜に渡ってこの学術調査の話題を語り倒す。その記録のまとめです。
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奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「次は四人の容貌や体型だ。まずは清衡だけど、前回言った通り、清衡は高齢で長らく患った末に死んだ状態の身体が保存されている。だから健康だった頃の体型はよく分からない。でも顔立ちの方は、何とかなりそうだ」

2015-03-29 22:46:27
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「清衡の顔は長さがやや短く、頬骨は張っている一方で、顎と頤は尖ってはいない。また鼻梁は現代人と比較しても高く鼻筋も通っている、と。生前は五角形に近い短い顔だったらしい」

2015-03-29 22:48:09

基衡の外見と武士の身体

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

泰衡「次に基衡公ですが、清衡公と異なり急死のため、健康だった頃の面影をよく残していると言えるでしょう。顔は清衡公より長めで、あごが横によく張った六角形に近い顔と推定されました。高い鼻背とよく通った鼻筋は清衡公似と言えます。首は短く太く、肩はいかり肩で、胸は厚く幅広でありました」

2015-03-29 22:49:59
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「さすが基衡様、堂々とした体躯ではありませぬか」 泰衡「……でも……いや何でもない…。それと祖父上にはレントゲン観察で興味深い結果が出ました。やや医学的な話になりますが、『中尊寺』の79頁から該当箇所を引用してみます。具体的な部位が気になる人は後で調べてください」

2015-03-29 22:51:56
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

泰衡「『「頭蓋骨外後頭隆起の著明な突出、肩胛骨腋窩縁の異常膨張、坐骨角の隆起、大腿骨後縁の骨膜性化骨異常増強、背側跟骨棘場等が認められるが、これらの所見は、弓術、剣術、馬術などの武芸の強行と関係がある(略)脊柱には(略)畸形性脊椎症が認められるが(略)馬術の強行と関係を有する」』

2015-03-29 22:54:18
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

泰衡「ここで<異常>というのは解剖学的観点からで、障害に類するものではないでしょう。何が言いたいかというと、この骨格の特徴は武芸を生業とする当時の武士達にも見出せるものかもしれないということ。武士は他集団と比べてこのように骨格や筋肉に違いが生じていたのではないでしょうか」

2015-03-29 22:56:36

秀衡(&基衡)ってけっこう太……

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

清衡「次は秀衡か。あやつも急死であったから、健康だった頃の身体のまま保存された。秀衡と基衡の体型はひどく似ていたらしいな。秀衡も私より長めの顔だが、顎の張ったしもぶくれの福々しい顔だったという。私や基衡と同じく鼻梁は高く、すじの通った鼻であった。」

2015-03-29 22:59:03
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

清衡「秀衡は首は太く短く、肩はたいそう幅の広いいかり肩、胸もじつに幅広く厚かった。腕も太く逞しいものであったことが察せられる」 季春「本当に基衡様と似ておいでです。御二人とも何という王者の風格」 清衡「……確かに逞しい体躯ではあったようだが、はっきり言うとこの二人、肥満でもある」

2015-03-29 23:01:27
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「き、清衡様ぁぁ!!! “堂々たる体躯”とか一生懸命いい方向に持っていこうとしていましたのにそんなぶっちゃけたことをぉぉぉ」 泰衡「さっき私が黙っていたことでした……」 清衡「あのなあ、はっきり書いてあるのだから仕方ないだろう。何を隠す? しかもあいつらめ、これは相当の……」

2015-03-29 23:03:30
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「も、もうやめてください、みなの夢が壊れます。・゚・(*ノД`*)・゚・。」 清衡「何の夢だ」 泰衡「当時はともかく今の世では悪い印象しか……ある意味、前回の『吾妻鏡』と実際の曽祖父上の晩年が著しく違うことより明らかにしてはいけないことかも」 清衡「どういう基準だ、それは!」

2015-03-29 23:06:41

泰衡は生前のまま?

 ………そんなわきゃなかったね………

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「みな盛り上がってるね」 清衡「いや、べつに盛り上がっているわけでは……」 季春「も、もう基衡様達のお話はやめて次の泰衡様に行きましょう! えっと、泰衡様は御首だけなので体格は不明……ああ、これもけっこうアレな話題……」 泰衡「……いやもういいよなんでも……」

2015-03-29 23:09:01
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「や、泰衡様は『保存状態は極めて良好で、顔はほとんど生前そのままのように見える』(『最終報告』329p)、と」 泰衡「……でもこの場合『生前そのまま』とは解剖学的な観点からで、一般の人がそう聞いて想像する姿とは相当異なると思う」 経清「期待して写真見るのは要注意ってことだね」

2015-03-29 23:11:59
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「泰衡様のお顔立ちですが ・『顔は肉附きがよく(略)顔の幅に比して、長さが短く、多少しもぶくれした丸顔』(『中尊寺』30p) ・『顔は丸形で、豊頬で、いかにも若々しい』(『最終報告』329p) ・『鼻梁が高く鋭い』(同481p) となるようですね」

2015-03-29 23:13:58
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「これで全員揃ったけど、こうして見ると清衡から代が下がるにつれて顔が丸くなっているように思える」 清衡「だが四人とも、鼻梁が高く鼻筋が通っている、とあるから鼻の形は似ているのだな」 泰衡「そして祖父上と父上の体型はよく似ており、いかり肩で肩も胸も幅広かったということです」

2015-03-29 23:16:15

御遺体保存措置

奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「さて、最後の話題は四人の遺体は保存されたのか否かについてだ。昭和25年段階で遺体の保存状態は、 泰衡>基衡>秀衡>清衡 の順で良かったわけだけど……」 季春「そもそも寺が調査を受け入れたのも四公の御身体を心配してのことでしたしね」

2015-03-29 23:21:51
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「昭和20年3月30日に学術調査が終わると、四人の棺は寺の本坊に仮安置され、9月に調査団のメンバーを中心に一週間に渡って保存作業が行われたそうだ」 泰衡「固定したり殺菌殺虫したり塗られたり……まあ作業内容と化学的な話は『最終報告』の「藤原四代遺体保存措置日記」に詳しいです」

2015-03-29 23:24:26
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「清衡の遺体はとりわけがんばって措置してくれたようじゃないか」 清衡「はあ……何とかしなければいけないことが多かったようで……」 経清「最後の方なんて担当者は不休で作業してくれて、息子の身体のためにこんなにしてくれておとーさんは嬉しい」 清衡「遺体ですけどね……」

2015-03-29 23:26:49
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

清衡「その後、我々の棺は金色堂に戻され、五年後の昭和30年4月に保存状況の最終確認が行われ、これで調査団の使命は終わったと言えよう」 経清「でもその後から今まで、遺体が無事なのか、時々確認されているのか心配だよね」

2015-03-29 23:29:18
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

泰衡「昭和35年に父上の復元像を造るため棺が開けられています。その頃には調査時に基衡公と思われていた身体が寺側でも秀衡公と改められていました」 季春「その後は以下の論文によれば、1994年に開棺し保存状況が確かめられたようです」 shikon.nichibun.ac.jp/dspace/bitstre…

2015-03-29 23:31:08
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

経清「この論文の実見記録と昭和25年の記録を比べる限り、遺体に変化は無いようだ。最低百年は保存に耐えるとされた処置もうまくいったようで良かった」

2015-03-29 23:33:40
奥州藤原氏bot @ou_fujiwara4

季春「四公の御身体も無事と確認できましたので、長かった『中尊寺学術調査語り』も終わりですね」 経清「本当は、副葬品の話とか寒天培地の話とかもしたかったけど」 季春「奥州藤原氏関連の書物を読んでいたらいきなり寒天培地や化学記号の話が出てくるとかそうそう無いですし……」

2015-03-29 23:36:09