- misonikomioden
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生物/エイ 高松次郎の作品に描かれる。 一個の表面=形態により自己を構成し外界から区別する。 表面のアイデンティティがそのまま意味である。
2015-04-29 20:28:39以前話したが、皮膚病により精神を病む。 つまり表面にアイデンティティが宿っている。 ゲシュタルト心理学、形態により自身のアイデンティティがある、ということ
2015-04-29 20:29:59高松次郎/題名(#1060) 1971-83 複合体前史。加工・未加工があり単体っぽい。しかし一つではなくなりつつある。とはいえ良い作品とは言いがたい これが重要→本シリーズの最初の作品は鉄板の上でなく直接床の上で発表されました
2015-04-29 21:02:32「不在」が「ある」という指摘があったが、 これは「場」の概念があるからいえる。 集合という装置があるからいえる。 これを考えるのは、ビットマップという空白は空白があるのでなく、白というキャンバスで覆われているのであり空白が何も無いのでは無い。 一方、ベクターは何も無いといえる
2015-04-29 21:08:47高松次郎/赤ん坊の影 No.122 1965 これで有名。 これは「不在」を「文学的」に表現していると思ってて、否定的。 子供の頃見た時はこれが現代美術か、と関心したが、大人になり考えると、、、
2015-04-29 21:10:52高松次郎/光と影 1973 1-1-=0、あるいは1+1=2のようにも見える。 天体の皆既日食に似ている。 ・・・皆既日食は見た目が「零」に見える・・
2015-04-29 21:12:08カジミール・マレーヴィチ/白のカンバスの上の「白の正方形」 1918年の作品。 循環史観的に高松に先んじる作品ともいえる
2015-04-29 21:13:12光と影は指示書に「板」でも「棒」でも良いと。 それは二次元でも一次元でも良いということだが、それは 光の光源が零次元だから、ともいえる
2015-04-29 21:16:04レオナルド・ダ=ヴィンチ/モナ=リザ 1503-10頃 キャンバスの話。作品屹立についてタブロー自体が屹立する、がそれ自体が中世には無かった。建築デザインの一つであり、 ジョットの時代はそうだった。 つまり場所がアイデンティティ。植物と同様
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