- misonikomioden
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植物を移動するにあたり土という周りを移動することになる。 それは場がアイデンティティの作品も同様で、建築デザインもそうだ。 それは「高松次郎/題名(#1060) 1971-83」のいやな感じと同様だ
2015-04-29 21:33:59ルネサンスの発明として重要なのがタブローだ。 壁画はどこからどこか絵かわからない。一方タブローは区切りができ一個のものとして存在できる。それを発明したのがダヴィンチ。 一つのキャンバスに一人が描かれる肖像が「1」を表現でき群像でない、つまりそれがモナリザだ、と
2015-04-29 21:35:30シュポールシュルファス、絵画から表面を取り去って布だけ追求する。 そこで何を描くか、クロードヴィアラは空豆のような形を追求した。 風景や人を描いた瞬間に表面追求にならず、白だと布になる、表面を屹立するには多数を追求することとなり、そうなった。 ビットマップの画素。
2015-04-29 21:37:34空豆。エイでない。植物。 マルとか四角ではない。それにするとイデア的になる。 単純な方程式という数式で記述できないものを求めることで、空豆となった、のではないか
2015-04-29 21:38:48高松次郎/カンヴァスの複合体 #971 1973 キャンバスの複合体としてこれが一番素晴らしい。 二個のキャンバスを筆の一筆でコラージュ的に成立させている。
2015-04-29 21:47:04高松次郎/平面上の空間 1978 一つあるのと違い、線が複数あると「場」が形成される。 キャンバス上に複数の線が出され、領域も出ることで色も塗られる。 複合体から色面構成へ
2015-04-29 21:50:29パブロ・ピカソ/牡牛の頭部 1943 コラージュの代表例。 こういう造形のものとみるのでなく、「ハンドル」と「サドル」、それを組み合わせることで作っているが、その元々の素材を知っていると面白いとされる作品。
2015-04-29 21:52:12フォンテーヌブロー派/ガブリエル・デストレとその妹 片方の女性の腕が片方の乳の乳首をつかんでいる。 これが、高松次郎のコラージュにちかい。 一個の作品に二つ描いているというだけで重要な事件となる
2015-04-29 21:54:13中ザワヒデキ/「430個の変曲点のある単一曲線」と「680個の変曲点のある単一曲線」の二作品同所配置 1997 2なので、パール地がひかれておりそれが背景となる。
2015-04-29 21:55:05琳派の風神雷神。 二個あることで間も重要となる。 宗達は風神雷神が離れており間が開いてるが成り立つ。 その後の模写は間が近くなりそうでないと緊張感が保てない
2015-04-29 21:56:26光琳は別の形でそれをした。 それが紅白梅図屏風。 光琳はビットマップ派。多数。川の存在で空白を保たせている。 宗達はベクター派。
2015-04-29 21:58:49生物/結合双生児(シャム双生児) 動物は単体をアイデンティティとする。 動物は複数性は怖い。ミケランジェロにつながる。 しかし植物は異なる。複数単数はおかしくない。
2015-04-29 22:02:05形以前の晩年の絵画は、諸要素の多数性が不定形性と色彩の快楽として現れる。ヴェネチア派から点描に至る色彩の系譜。 違反の重層は形態と意味の喪失となる
2015-04-29 22:08:03高松次郎/万物の砕き 単体から何でも入ってる万物の砕きへ。 当初は複合体と題されていたが、自分で変えた。 多数であるため、つまり本人の自覚として複合体は違うと思ったのだろう。
2015-04-29 22:08:59高松次郎/重なりのドローイング 19?? 要素の多数性を視覚化するというは、要素間の際が強調される必要がある。点描画が色彩画として追求される必要があるが、本人はドローイングレベルで止めている
2015-04-29 22:10:20