- quantumspin
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【ギリシア棺論争発掘録 http://bit.ly/g1wkfp 】1993-2001年にエラリー・クイーン『ギリシア棺の謎』の評価を巡って法月綸太郎、笠井潔、飯城勇三が繰り広げた論争をまとめました。これを読めば、キミも後期クイーン問題がわかる! #air_mys_ken
2011-04-10 23:56:23飯城勇三は『「エラリー・クイーンの騎士たち」と三冊の評論書』の中で、『名探偵エラリーが解決した現実(という設定)の「ローマ劇場殺人事件」の犯人は、他の人物かもしれないし、エラリーは重要な手がかりを見落としているのかもしれない』とし、現実の事件における推理の反証可能性を強調している
2015-04-25 10:42:37そのうえで飯城は『名探偵エラリーが、自分の推理が正しいという前提で現実の事件を再構成した「ローマ帽子の謎」に対しては、この可能性の検討には意味はない。(…)「ローマ帽子の謎」は、本来は閉じていない現実の事件を、名探偵が自分の推理に合わせて閉じた世界に再構成したものなのだ』と述べる
2015-04-25 10:47:46最後に飯城はクイーン作品を『「探偵自身による小説化」によって、探偵の推理に合わせたデータの取捨選択を可能にして、「作者の恣意性」が顔を出さないようにした。(…)まさに、ポーの〝形式化〟を発展させた、<後期クイーン的問題>の最高の解決策』と擁護し、後期クイーン的問題の解決を宣言する
2015-04-25 10:58:39さて、以上の議論で飯城は、〝後期クイーン的問題の解決〟とは〝作者の恣意性の排除〟と等しいと考えており、また同時に、「名探偵が自分の推理に合わせて閉じた世界に再構成」する行為に〝作者の恣意性〟は含まれないとも考えているわけである。はたして飯城のこれらの考え方は妥当と言えるだろうか?
2015-04-25 11:34:59まずは仮説、『「名探偵が自分の推理に合わせて閉じた世界に再構成」する行為に〝作者の恣意性〟は含まれない』を検証する。その為に、探偵エラリーが、自分の推理が正しいという前提で現実の事件を再構成した「ローマ帽子の謎」に、実は重要な手がかりの見落としが含まれたという場合を考えてみよう。
2015-04-25 12:00:01つまり、現実の事件と「ローマ帽子の謎」とで犯人が異なる場合である。このような見落としはなぜ起こったか。それは言うまでもなく、現実の事件において名探偵エラリーが、自身の推理が間違っている可能性を検討しなかった為である。飯城の主張は、名探偵エラリーの知性に、一定の限界を前提している。
2015-04-25 12:11:00そしてこのようなケースで〝作者の恣意性〟が含まれないとは、名探偵エラリーは現実の事件での推理の間違いに気づいていないという事になる。つまり、法月が名探偵エラリーの知性を高く評価し、無限階梯の切断は作者の恣意と批判したのに対し、飯城は名探偵エラリーの知性を低く評価しているわけだ。
2015-04-25 16:51:58実際に名探偵エラリーが、現実の事件に対する推理の間違いの可能性をどこまで検討していたかはわからず、〝作者の恣意性〟があったかどうかは我々には判断できない筈である。従って、「名探偵が自分の推理に合わせて閉じた世界に再構成」する行為に〝作者の恣意性〟は含まれないとは断言できないのだ。
2015-04-25 16:57:11では次の仮説、『〝後期クイーン的問題の解決〟と〝作者の恣意性の排除〟とは等しい』を検証する。〝作者の恣意性の排除〟と言われた時、多くの読者は、それは後期クイーン的問題の話ではなく、フェア・プレイ原則の話ではないのか、と疑問に思うかもしれない。実は、読者のその認識は極めて正しい。
2015-04-25 17:10:14飯城の言明は、法月『初期クイーン論』における『メタレベルの無限階梯を切断するためには、別の証拠ないし推論が必要だが、その証拠ないし推論の真偽を同じ系のなかで判断することはできない。(…)この時点で再び「作者」の恣意性が出現し、しかもそれを避ける方法はない』に対する反論と思われる。
2015-04-26 08:07:45では、『ギリシア棺の謎』における無限階梯の切断と、後期クイーン的問題とは同一の問題だろうか。例えば蔓葉信博は『推理小説の形式化のふたつの道』で、『推理小説における形式化の諸問題の極点として生じたメタ犯人の否定不可能性をめぐる創作継続性の問題』と、後期クイーン的問題を定義している。
2015-04-26 08:17:08蔓葉の定義はギリシア棺に限定されていない。他にも小田牧夫は『探偵が推理を殺す』の中で『ある物的証拠や証言が真相究明につながる真の手がかりなのか、それとも狡猾な犯人が探偵役を惑わすため遺した偽の手がかりなのか、どちらにも解釈でき決定できないこと』を後期クイーン的問題の一つと述べる。
2015-04-27 19:28:32或は、Wikipediaを見ると、後期クイーン的問題の第一とは、『作中で探偵が最終的に提示した解決が、本当に真の解決かどうか作中では証明できないこと』とされている。このように、一般的文脈において後期クイーン的問題と言った時、その適用範囲は『ギリシア棺の謎』に限定されるものではない
2015-04-27 19:37:14ならば飯城勇三が『<後期クイーン的問題>の最高の解決策』といった時、その解決策は探偵小説一般に関するものと規定していた筈である。実際飯城は『「エラリー・クイーンの騎士たち」と三冊の評論書』の中で『ローマ帽子の謎』に言及しており、『ギリシア棺の謎』に関する法月の議論を一般化している
2015-04-27 19:44:01その上で飯城は〝作者の恣意性の排除〟と〝後期クイーン的問題の解決〟とは等しいと考えている。これはどういうことだろうか。飯城は、一方では法月論考〝メタレベルの無限階梯の切断〟に対する局所的反論を行いながら、他方では探偵小説一般における後期クイーン的問題の解決を宣言しているのである。
2015-04-27 22:38:22これは想像になるが、恐らく飯城の目的はエラリー・クイーン作品の弁護であり、後期クイーン的問題の解決など最初から考えていなかったのではないか。飯城が〝後期クイーン的問題の解決〟と述べた時、それは探偵小説一般における解決を意味しない。それは法月論考を挑発的に批判する為の方便ではないか
2015-04-29 19:20:34件の文中で飯城は『「初期クイーン論」で「用いずに~」と主張している「作者の恣意性」とは、すべての恣意性ではない。「メタレベルの下降」のことである。私はこれに対する反論として、「未来のメタレベル」という考えを提示したのだ。』とも言う。つまり飯城は作者の恣意性の存在を認めているのだ。
2015-05-01 07:37:51さらに飯城は『クイーン作品では、作者が作中に〝下降〟する(神のメタレベル)のではなく、作中人物が作者に〝上昇〟している(未来のメタレベル)ので、「メタレベルの下降」ではない』と言う。この謎めいた言明の真偽はともかく、飯城にとって、法月の言明の批判がいかに重要であるかが窺い知れる。
2015-05-01 07:44:49飯城にとっては〝後期クイーン的問題〟はおろか〝作者の恣意性〟ですらも、法月論考を批判する為の道具に過ぎないのではないか。彼にとって重要なのは真理の探究では恐らくない。彼にとって重要なのは法月論考を否定する事であり、その為に彼は〝後期クイーン的問題〟でさえ利用する事を厭わないのだ。
2015-05-01 08:01:44