続・イデオロギーとしての後期クイーン的問題
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笠井の説、『探偵小説形式一般において、結論をひっくり返す手がかりを新たに提出することなく、そこで物語を終わらせてしまうことは、作者の恣意』をもう少し検討する。即ち、作者=神である探偵小説にて、作者が偽の手掛かりを配した真犯人を予め認識しながらも、それを覆す手掛かりを創造したとする
2015-02-21 08:11:35この場合、作者がねつ造した手掛かりによって、真相は掻き消されてしまう。こうなってくると確かに、メタレベルの無限階梯は不可避だろう。作者は、作者の恣意と言われないように、永久に(真相とは異なる)手掛かりをねつ造し続けなければならない。この時笠井の望む無限階梯構造はねつ造可能となる。
2015-02-21 08:20:52ではなぜ、笠井は作者のねつ造を前提してまで、無限階梯の切断なる作者の恣意性を、探偵小説形式一般にまで拡大解釈し喧伝しなければならなかったのだろうか。もし笠井が真摯に探偵小説形式一般の無底性を危惧し、その回復を念願していたならば、恐らくこのようなねつ造など前提しなかったのではないか
2015-02-21 08:59:35探偵小説の真の魅力は「終わらない」ところにある。この「終わらなさ」を際立たせるために、結末の真相が要請されるにすぎない。探偵小説は読者に呪いをかける。いったん読んでしまった以上、真相の次には別の真相があるに違いないという強迫観念から、もう逃れられないという呪いに。
2012-01-27 05:35:11ここにあるように、笠井は探偵小説形式一般の無底性に魅力を感じているのである。笠井にとって、後期クイーン的問題の正面突破とは、探偵小説形式一般の無底性の回復を意味しない。むしろ、その不安を主題とした作品をそこ切望しているのだ。笠井にとっては、探偵小説形式一般は無底でなければならない
2015-02-21 09:44:00笠井の探偵小説に対するこの切望が、元来エラリー・クイーンの特定作品に対して行われていた筈のギリシア棺論争を、探偵小説形式一般に関する論争に誤認させる要因となったのではないか。そして、ミステリ批評家達は、笠井のその誤認に、もしかしたら確信犯的に、便乗してしまったのではないだろうか。
2015-02-21 11:24:51後期クイーン的問題として論じられてきた難問を正面突破することなしに、21世紀探偵小説の地平は拓かれないだろう。もちろん理論的にでなく、実作で突破すればいいのだが。この問題を回避して手堅い本格に戻ろうとしても、時代はそれを許さないだろう。
2012-01-27 06:18:34もはや、笠井にとって後期クイーン的問題はイデオロギーなのではないだろうか。21世紀探偵小説なるものが存在するとして、後期クイーン的問題の正面突破なくしてその地平は拓かれないと笠井は言う。笠井のそうした姿に、数学の危機の克服を叫ぶ、ヒルベルトの雄姿を重ねてしまうのは私だけだろうか。
2015-02-21 11:56:26誤解の連鎖の末に、言説としての『後期クイーン的問題』は、本来の用法を離れひとり歩きを始る。『たとえにすぎない』という言い訳で、ゲーデル的問題の本質は顧みられる事なく、『フェア・プレイ原則の不成立性』、『探偵小説形式の無底性』といった、刺激的な用語が誤用され続けたのではないか。
2015-02-21 12:33:22