THE BOOM 宮沢和史「戦後70年の沖縄と「島唄」の役割」 | 法政大学沖縄文化研究所総合講座第3回講義より
@257antonio ①沖縄のひめゆりの塔に集団自決のことを知った。祖父は硫黄島の闘いに参加した。事実を知らず恥ずかしく感じた。3つの怒りを感じた。県民の4人に1人がなくなる大惨事になったのかその責任者への怒り、この大切なことを教えてくれない教育へ、事実を知らなかい自分への怒り
2015-05-01 15:32:48@257antonio ②東京に帰り島唄をこの怒りをもとに作った。戦争も知らない、沖縄も知らない。それで曲を書いて歌っていいのか。そのときに喜納昌吉氏と出会いヤマトンチュとウチナンチュの壁を超えることを教えてもらった。魂をコピーすることではない。自分自身のこととしてとらえている。
2015-05-01 15:34:44@257antonio ③本土の人間のロック・バンドが三線を持って歌うことが沖縄でヒットするとは思わなかった。そして本土でもヒットした。喜びの声が寄せられる反面想像以上の大きな批判や非難の声もよせられた。
2015-05-01 15:37:31@257antonio ④発売してから長らくこの唄がダブルミーニングということをいってこなかった。日本の事情との兼ね合いで。レコード会社からも歌詞をかえてくれと言われたり暗黙のなかで多くの圧があった。そういったことでダブルミーニングの力を信じていた。
2015-05-01 15:38:58@257antonio ⑤「オマエはこの唄で沖縄を利用している」「沖縄に言って子供をうめば?」という言葉が来て応えた。それでも歌っていかなければならない。数年たってもどこからか民謡酒場や居酒屋、沖縄行きの飛行機から唄が聞こえてきた。 加藤登紀子さんのカバーが始まった。
2015-05-01 15:41:24@257antonio ⑥応援してくれる沖縄の文化人からの声が増えてきた。真意を伝えられるまで歌おうと思えた。いまも、ひめゆりの塔に行くとそこで出逢う若い子らに「島唄の意味はこうですよね?そういう言葉を込めて唄えばいいですよね?」と語られた。僕1人だけでなく多くの人がなしてくれた
2015-05-01 15:44:28@257antonio ⑧唄え続けていけばみんな気づいてくれるだろうとう25年歌ってきた。アメリカにいき風になりたいを歌い始め、南米にいった。日系人の存在が僕を支えてくれた。移民政策も沖縄戦と同じように教えられてこなかった。ということを知った。
2015-05-01 15:50:28@257antonio ⑨日本から南米に行った彼らも奴隷差別と同じようなことを受けた、マラリアにくるしんだ。しかし日本人の結束で信頼を得て行った。日系人の信頼がある。アルゼンチンで沖縄から来た日系人アルフレッドが島唄を日本語でうたっていることを知った。
2015-05-01 15:54:04@257antonio 日系人が故郷を追い出された悲しみ、アウシュビッツの抱えた苦しみ。島唄は沖縄だけの苦しみではなくそういうことも背負っていかなければばらないと感じた。
2015-05-01 15:57:20@257antonio 11:島唄が広がることで三線の伝統が開くと三線の材も届けなければならない人に届かないのではと読谷村でくるちの杜100年プロジェクトを始めた。100年後材を守っていく。
2015-05-01 15:59:20@257antonio 12:来年の世界のうちなんちゅ会議へ恩返しをしたいといま240曲のレコーディングを行っている。そうやって広げたい。
2015-05-01 16:00:14@257antonio 13:アルゼンチンでアルフレッドと沖縄料理屋に行くと、「勝手に島唄はとどくものではない。誰かが伝える、歌うことで届く」と聞いた。
2015-05-01 16:02:19@257antonio 14:今日はアルゼンチン沖縄日系2世の大城クラウディアさんも特別ゲストで来ています。 アルゼンチンでは3万5千の日系人がいるがその7割が沖縄県人であって県人会が盛んで小さい時から沖縄の文化を継承してきた。
2015-05-01 16:05:13@257antonio 15:宮沢さん「僕らが忘れてしまったようなこと文化でも日系人のコミュニティのなかでは伝承されてきている。沖縄社会と沖縄日系社会はリンクしているように感じた。」
2015-05-01 16:07:19@257antonio 16:クラウディアさん「何かを伝えたい。と思う中で言葉がわからない曲がいまだに伝えられ続けるのはわからないけどきっと島唄に込められた意味が心に伝わってくるのかもしれない。」
2015-05-01 16:08:53@257antonio 宮沢さん「アルフレッドをどうしても島唄を作った場所に連れて行きたくて一緒にひめゆりの塔へ向かった。コメディアンでいつも喋りたがりやの彼が口を閉じていた。何かを感じていたんだろう」
2015-05-01 16:13:08@257antonio 18:クラウディアさん「日系社会は歌自慢があったり民謡大会があったり、安里屋ゆんたも歌われていた。いつかはこの文化の日本に行きたいなと思っていた。そのとき宮沢さんのソロツアーに参加し日本を拠点にした」
2015-05-01 16:15:23@257antonio 19:宮沢さん「クラウディアは沖縄民謡のCDをアルゼンチンだけで作った。彼女は沖縄は沖縄だけにあるんじゃないよということを伝えたかったのではないか。アルゼンチンでも同じだと。」
2015-05-01 16:17:04@257antonio 20:宮沢さん「琉歌に宝石のような言葉がつまっている。戦争が終わり戦地に旦那がいて沖縄に妻がいて語り合うような歌です。」と大城クラウディアさんと宮沢和史さんの演奏。
2015-05-01 16:18:32@257antonio 21:宮沢さん「うじの森の歌詞のところはサトウキビばたけで愛し合う二人が自決することを意味します。ここだけは沖縄音階にできずやまとの音階にしました」
2015-05-01 16:28:33@257antonio 22:宮沢さん「彼らの血が流れたことで僕らは生き延びている。戦後70年のいま、もう一度見つめ直さなければならない。あと30年経ったらひめゆり学徒隊の彼女らはいなくなってしまう。そのことをいま一度考えてほしい」
2015-05-01 16:30:11@257antonio 23:宮沢さん「いま辺野古のこともそうです。オスプレイが怖い、軍事施設が怖いというように怒ってるわけじゃない。彼らの琉球の人としての尊厳が踏みにじられてることに怒りを思っているんです。」
2015-05-01 16:32:07@257antonio 24:宮沢さん「島唄の本当の目的そして叶えたいことはこの島唄がもう歌わなくても良いという時が来るときだと僕は思うんです。きっとそうなるときが来ることを願います」
2015-05-01 16:33:15