近代的自我をめぐって ロマン主義・ダダ・ユンガー

山本桜子(ダダイスト)と千坂恭二(思想家、戦後日本におけるエルンスト・ユンガー研究のパイオニア)氏の対話
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山本桜子🐓 @saqrako

@Chisaka_Kyoji 「信頼できない語り手」でたとえば『ねじの回転』とか『アクロイド殺し」とかもっと広く言えば一人称の語り手は皆信用できないという話になるのですが『労働者』の語り手は市民にとっては最も信用できないし、一人称に「我々」がでてくるのも不気味だと思いました

2015-05-04 12:46:29
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako イメージや表象代理で外部を捉えようとする場合、それはイメージや表象代理が作り出す像となり、現前的なものとなる。目の前に現わすこと(現前化すること)は、自我=内部=主観の産物であり、他人をあれこれ想像するのに等しく、外部としての他人は、想像された他人の外にいる。

2015-05-06 19:58:16
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako 「表象代理以外の表現が可能か」、現代の表現が直面している問題とは端的にこれだと思う。つまり表現は物理力の表象代理なのだけれど、物理力が表象代理をも不可能にしてしまう場合、表現はどうなるのか。表象代理による表現は、革命におけるグラムシ主義の表現版ではないだろうか。

2015-05-06 19:58:57
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako 現実問題として、外部を捉えたり表現したりは出来ない。出来たものは全て内部の延長、表象代理の枠内だから。これは人間の在り方の存在論的な被拘束性であり、これを無視するとオカルトになる。表象代理に満足せず、オカルトを拒むなら、表象代理のバケツの底を抜くしかない。

2015-05-06 20:00:44
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako 生物がいない、その意味では死の世界でもある銀河宇宙の太陽系に浮かんでいる地球は、死の海に浮いている舟のようなもので、人間の生はその舟のようなもの。しかし、その死の海は生きている間は像でしかなく、死んでしまうと何も無い。というより、分からない。

2015-05-06 20:01:31
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako 「外部」とは端的にいえば分からない。しかし、分からないとは、どういうことなのか、それ自体が、実は分からない。表象でいえば、表象出来ないというのはどういうことなのか。近代的自我でいえば、記憶喪失の生のようなものだ、メインストリームではこの問題に取り組んでほしい。

2015-05-06 20:03:21
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako そもそも一人称というものが疑わしい。同じ一人称でも、古代と近代は違う。古代の「私」は近代的な自我ではない。ユンガーの一人称は、市民(近代的自我)ではないため、一人称ではなく一人称の他者になる。『労働者』の難解さもここにあるが、これはこれから共に考えていこう。

2015-05-06 20:04:44

第三部

山本桜子🐓 @saqrako

近代的自我は人間の生物的な機能(他の個体の内面を即時共有できないとか体と心が別とか)に規定されてるところあると思うけど共産主義の人から私の理解する限りの人間の生物的機能では無理な話(作戦をひとりでに共有するとか)を聞いて共産主義て発想宇宙人ぽいし近代的自我なくていけるのかと思った

2015-06-11 14:24:55
山本桜子🐓 @saqrako

ダダの出自は近代的自我なんだから20年代くらいに元パリダダが共産党に入るのは彼らの文脈的にはやっぱちょっとおかしい

2015-06-11 14:27:12
山本桜子🐓 @saqrako

他人と内面的に身体的にシンクロできる共依存関係って考える限りでは人間の生物的機能的にムリだと思うけどやれてる人がいるぽいのでわからん

2015-06-11 14:49:57
山本桜子🐓 @saqrako

共産主義の出自と近代思想の関係を確認したくて『社会主義の歴史』めくっててあれれでも社会主義は近代思想だよなと思ってるところに「社会主義は近代思想ですが共産主義はちょっと違いますね」と共産主義の人からメール届いてうわやっぱテレパシーとか使えるのか

2015-06-11 15:54:17
中川文人 @NakagawaFumito

近代的自我なんて持ってたら、お風呂の王様に行けないだろう。

2015-06-12 00:14:53
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako 社会主義は、先発近代の近代思想であり、後発近代の近代思想が国家社会主義であり、共産主義は、前近代の近代思想。

2015-06-12 13:09:35
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako 例えば、多重人格というものがある。近代的視点では人格は自我に基づく単一のものだが、実は、その近代的自我に基づく単一性には根拠がない。しかし、人間の近代的秩序は、その単一性を基礎としており、そこが問題の焦点でもある。

2015-06-12 13:14:22
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako ダダの秩序への破壊的挑戦は、近代的自我への破壊的挑戦になるが、その出生地のチューリヒが持っていた限界がある。それはチューリヒが戦場ではなかったこと、戦場からの逃避地でもあったこと。ダダの問題はチューリヒの地政学と無関係ではない。

2015-06-12 13:17:41
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

@saqrako 近代的自我は、何処で誕生するのかというと、自己意識が自分を反省し、自分とは何かと問う処に生まれる。つまり自己意識についての自己意識が、近代的自我。2つの鏡を反射させるように自己意識についての反省は無限に可能であり、それが近代的自我の独我論的な隘路となる。

2015-06-12 13:22:11
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

近代的自我の無い人間は、無自覚で、はた迷惑な人間になり、近代的自我しか無い人間は、憂鬱を抱え込んだ人間になるだろう。しかし、近代的自我の無い人間は、そんなことは言わないだろうし、近代的自我しか無い人間は、問題に気づかないかもしれない。

2015-06-12 13:28:41
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

16歳のユンガーの家出と、アフリカ行き、そして人間未踏の赤道地帯へ行こうとした趣旨は、近代からの脱走だった。父親によって実家に引き戻された少年ユンガーは、第一次大戦に直面し、戦争にアフリカや赤道地帯の代わりを見出すことになる。

2015-06-12 13:33:07
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

近代的自我の密室から外に出るには、倫理的秩序のバケツの底を抜くこと、そしてそれに代わる秩序様式としての美的形態に依拠しないこと。「美」ではなく、あくまでも「物理」に拘ること。しかし実はそんな物理など実体として無いことをも踏まえておくこと。この二重の不在を何処まで維持出来るかだ。

2015-06-12 13:43:01
千坂恭二 :『哲学問答2020・ウィルス塹壕戦』 @Chisaka_Kyoji

破壊が美に絡め取られるのではなく、物理となり得るには、破壊に理念が無いことか、破壊に人間の死が介在することだろう。戦場の意味はこの物理性にあり、その物理性こそが戦場の光景だ。芸術による破壊が戦場に敵わないのは、破壊が物理ではなく美であるところにある。

2015-06-12 13:59:54
山本桜子🐓 @saqrako

@Chisaka_Kyoji 有難うございます。未来派らと比べたときのツァラらの徴兵忌避は私の知る限り好意的に紹介されており、後年のツァラの対フランコ活動は「平和の為の正当防衛」として理解されてるように思います しかしその価値観によって見えなくなるものもあると思います

2015-06-12 16:37:31
山本桜子🐓 @saqrako

@Chisaka_Kyoji ユンガーが「防衛戦争しかしらない」と言った市民的価値観と被るのではないかと思いました

2015-06-12 16:37:36
山本桜子🐓 @saqrako

@Chisaka_Kyoji 今考えると私が近代的自我と呼んでいたものは「意地」とかなんとかもっと簡単に言える別のものでないかという気がちらとしました でも多分これのせいで何の憂いも疎外感もなくやってきたのでたとえ虚構でも俄かに手放し難い気もします

2015-06-12 16:54:05