古事記とか

最終弁当爺の今日のTLに上った古事記などの話題。
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@dedeyoshi

私は史学畑の人間ではなく、文学の出身なので、おっしゃる内容は許容できかねます。史観の都合で実証なく古事記を偽書にするというのは、文学者が積み上げてきた実績を蔑ろにし過ぎですね @finalvent 王朝というレジームの問題として。墳墓を否定するとかではありませんよ。歴史とは物語。

2010-12-23 11:58:52
finalvent @finalvent

中臣氏というのがよくわからない。で、これが鹿島神宮に関与しているのがさらに奇っ怪。出雲大社を西、鹿島神宮を東として伊勢を中点とするコスモロジーが天武朝で成立しているのだが、よくわからない。

2010-12-23 11:22:43
finalvent @finalvent

日本書紀を読むと、あの時代における日本の古代について高麗僧による日本の歴史が参照されている。あの時代の高麗は隋との関連があり、日本側の王朝もその関連だったのだろう。これもよくわからないところ。

2010-12-23 11:28:17
finalvent @finalvent

天智王朝がおそらく日本号の最初の王朝でこれが近江に出来たことが重要。琵琶湖から日本海に逃げたかったのだろうか。

2010-12-23 11:19:15
finalvent @finalvent

壬申の乱で天武が吉野に入り伊勢に抜ける。いろいろ策略はあったけど、伊勢が重要だったのではないか。大津皇子も同じく伊勢に期待していたところをみるとあそこに海軍のようなものがあったのではないかな。

2010-12-23 11:16:29
finalvent @finalvent

額田王は明治時代以降西洋的な恋愛物語の文脈でヘンテコな理解になっているが、普通に見れば、天智朝の中枢にいたことはあきらか。人麻呂は天武朝の中枢にいた。こうした人びとがなんらかの政治理由で「正史」的には上手に抹殺されている。

2010-12-23 11:11:29
finalvent @finalvent

「あしひきの」は、「あしひきの山」というのは、「TokyoのT」というのと同じで、冗長性で弁別性を高めるための状況がある時代に存在したからでは。

2010-12-23 11:07:16
finalvent @finalvent

天智朝の政権中枢でいわゆる日本語が話されていたとは思えない。百済の文法で語彙を百済とポリネシア的な語彙の対照をしていたのではないか。それが詩的な言語としての枕詞に残ったのでは。ただ、これはトンデモ説を誘発しがち。

2010-12-23 11:05:33
finalvent @finalvent

いわゆる日本語が成立したのは、天智期なのではないか。ポリネシア的な語彙を百済語の文法に押し込んで、文芸サロンや宗教行事に盛り込み、いわばデリダ的なエクリチュールの支配から口語が成立したのでは。

2010-12-23 11:03:24
finalvent @finalvent

万葉集の歌も歴史的に構成してみると、いわゆる五七調は天智期ころに発生している。おそらく、額田王のサロンでの創作ではないか(春秋競いは漢詩への対抗)。

2010-12-23 11:01:51
finalvent @finalvent

万葉集に含まれる人麻呂歌集を見ると日本語の表記が漢字の訓読から表音表記への移行であることがわかる。天智・天武期には表音表記はまだ十分に成立していなかった。

2010-12-23 10:59:30
finalvent @finalvent

古事記の表記が奈良時代に似ているのは、平安時代の作者がその時代の古代学者だったから。なので不自然に整合性が高い。擬古文にありがちな特性。

2010-12-23 10:52:40
finalvent @finalvent

王朝というレジームの問題として。墳墓を否定するとかではありませんよ。歴史とは物語。RT @dedeyoshi: その論理で元明の存在まで否定するのはさすがに大まかすぎるのでは……。特に和銅年間の物的記録は正史以外にも山ほど残っているわけですし、そうなると風..

2010-12-23 10:49:48
finalvent @finalvent

そこは反論できますよ。"mo"の整合性が古事記のほうが高いのは人為的だからです。ただ、十分な反証ではありませんが。RT @dedeyoshi: もちろん専門的な話ですが、論点は簡単です。『万葉集』や『歌経標式』に古事記の表記にならった歌が記載されており、少なくとも奈良朝中期~..

2010-12-23 10:48:09
@dedeyoshi

もちろん専門的な話ですが、論点は簡単です。『万葉集』や『歌経標式』に古事記の表記にならった歌が記載されており、少なくとも奈良朝中期~後期に古事記の存在が確認できます。これに対する有効な反証が無い限り、偽書説は成立しません @finalvent だとするとかなり専門的な話になる。

2010-12-23 10:24:20
@dedeyoshi

その論理で元明の存在まで否定するのはさすがに大まかすぎるのでは……。特に和銅年間の物的記録は正史以外にも山ほど残っているわけですし、そうなると風土記の存在も否定しないと…… @finalvent 大まかな図で見ると、古事記なんて文章が聖武以前にあるわけないだろとは思う。

2010-12-23 10:44:53
finalvent @finalvent

トンデモに思われるむきもあるかもたけど聖武以前はわからんという前提。“@nijuusannmiri: @finalvent 朝から面白げな話をされてるんですね。まだまだ自分が追い付けてないですが。”

2010-12-23 07:57:01
finalvent @finalvent

日本の王権はつまり、中世まで商利権を意味してる。

2010-12-23 07:45:58
finalvent @finalvent

平安時代の王権は大陸からの圧力が減って、東国の軍事ばかりしている。ということは東国が日本だから。征夷大将軍でこそ日本統治。

2010-12-23 07:43:48
finalvent @finalvent

三種の神器がある時点で血統は貴族の合議システムじゃん。

2010-12-23 07:40:25
finalvent @finalvent

意味構造はそうかも。“@sonesayaharu: @finalvent 半島という中華文明圏に対し、当時の倭国が「死の国」であり、未文明圏。そこからの反逆として、生と独立をかちとり、中華文明圏に負けない「天皇」を抱いて対抗、というのが、記紀の物語のコアだと思います。”

2010-12-23 07:38:24
曽根 清治 @sonesayaharu3

@finalvent 半島という中華文明圏に対し、当時の倭国が「死の国」であり、未文明圏。そこからの反逆として、生と独立をかちとり、中華文明圏に負けない「天皇」を抱いて対抗、というのが、記紀の物語のコアだと思います。

2010-12-23 07:33:14
finalvent @finalvent

聖武時代に国家の信仰が確立してなく、突然、八幡神とか国家中枢に出てくるあたり、史学者まともに研究してねーだろ観はあるな。

2010-12-23 07:37:47
finalvent @finalvent

知ってる。“@two_boats: @finalvent うーん…かなり通俗的ですけれど、奈良時代は白村江の敗北の衝撃と、持統帝の執念:草壁→文武帝という天武系への執着と、光仁帝での天智系への復帰という持統帝の怨念の敗北で読むと楽しいと思うのですよね。”

2010-12-23 07:33:39
finalvent @finalvent

なんか政治的文脈だと思う。“@sonesayaharu: @finalvent 白村江の戦いに敗北して、威信低下するどころか、のんきに敗戦をなつかしんでいる和歌詠んでるのとか、なんだろうとは思いますね。”

2010-12-23 07:32:45