2015年5月14日

史実寄りで荀彧とか袁紹の話

あくまで個人的見解
5
ばび @BBanr

自分から皇帝を名乗ってしまう袁術も愚か者だけども、それでも袁紹よりはと思った袁氏の者も結構いたかもしれない。結束不能な袁氏には、やっぱり天命は下らないのかも。

2015-05-14 02:51:43
ばび @BBanr

叔父の袁隗が現役で高位の官僚やってて、彼に従う一族の者も数多くいるのに、正面から喧嘩を売っておん出てきてしまっては、その全員が殺されるのは目に見えている。自分の身の安全しか考えなかったとしてもたいがいだけど、彼の性格を考えたらわざとだったのかもしれない

2015-05-14 02:44:07
ばび @BBanr

ほんでちょっと時代は戻って袁紹。彼もものすごい名門の頭領なのだけど、どうも、一族の不和の責任は彼にあるし、本人も名門であることを利用したくはなかったんじゃないかなという気がする。何でかというと、董卓が権力を握った時に、彼は自分の一族をかなりの人数見捨てている。

2015-05-14 02:39:24
ばび @BBanr

その後の南朝みたいな、皇帝は挿げ替え可能で王朝が変わっても貴族たちは今までの地位を確保したまま、みたいな求心力の弱いものではありえなかったんじゃないかと。彼の描く理想国家実現のためには、むしろ自分が邪魔になったとすら考えたかもしれないと思ってる。

2015-05-14 02:35:18
ばび @BBanr

自分を「王佐」と定めていたから。「我が子房」と言われて迎えられた日から、彼の中にあるイメージは劉邦と張良の関係だったとしたら(実際のところ彼のポジションはどっちかというと蕭何だけども)多分二人で築く新しい国家も、漢王朝初期のような皇帝の強い、軍事力も高いスタイルで

2015-05-14 02:32:31
ばび @BBanr

個人的に思うのは、荀彧の頭と地位と人脈があれば、曹操を追い落として自分が成り代わることは、多分出来なくはなかっただろうということ。ただ彼はそれを選ばなかった。そうやって成り代わっても戦の実績がない荀彧の権威は曹操よりも低くなってしまうし、そんな帝国は彼の理想に遠いし、何しろ彼は

2015-05-14 02:26:49
ばび @BBanr

貴族文化勃興の時期に曹家は文化的素養は十分だったけど、家柄として皇帝にはそぐわなかった。穏当に行けば最初に一番その地位に近かったのは袁家だったけど、内部でごたごたしたしうっかり曹操に致命的な負けを喫した。そんで次に近かったのはきっと荀家だったのだけど、ここは彧が死んでしまった

2015-05-14 02:20:44
ばび @BBanr

曹魏は多分、その流れに逆らおうとした国。皇帝権力を強化して、異民族を北へ追い、家柄ではなく実力重視で人事を行うというスタンス。 それが短命に終わるというのは、やっぱ大きな流れには逆らうことは出来ないから、なのか?

2015-05-14 02:11:00
ばび @BBanr

三国以降の中国の歴史の流れを見ると、晋による統一期間はちらっとあったものの、漢族は南に追われ、長江以北は大体異民族の土地になってしまう。そんで次の大陸統一を成し遂げる隋・唐は異民族の国。南に追われた漢族はと言えば、貴族文化最盛期で皇帝権力はどんどん弱くなっていく。

2015-05-14 02:02:56

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?