支援を当然と思う子どもたち 「かわいそう」を探す大人たち

木瀬公二「被災した日常とボランティア 被災地支援ネットワーク「遠野まごころネット」の四年」、『震災学』vol.6 (2015年)、pp. 176 - 185.の一部を抜粋して、子どもたちの支援に関わる課題をとりあげました。
支援 震災
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被災した子どもたちへの支援をめぐって
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
『震災学』vol.6収録、木瀬公二「被災した日常とボランティア」より抜粋。「震災当時に幼かった子どもは…物心ついたときから、食べ物や着る物は誰かが勝手に持ってきてくれるものだった。それが当たり前だった。」「生活が日常に戻り始めてから、物資を含めて、無料であることは正常ではない」→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
→「と思い出す大人が増えていった。 … 多くの人が平時に戻る中で、最後まで残ったのが小学校に入学前に被災した子どもたちだった。異常事態だった当時を知らず、タダで物をもらうのが普通だった世代の平時は、そういうものだった。 彼らがこのまま成長して、大丈夫だろうか。」この危惧は深刻…
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
(さらに続けて)「[教員や保育士が]「物をもらうことは」非日常のことだと理解できず、それが当たり前になっている子どもが増えている」と言い出した。…支援する側も、そこへの配慮が欠ける例が目立っていた。…「家を流された子ども…仮設住宅に入っている子」と招く子を指定してくるのだ」→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
→「学校には、被害に遭った子も遭っていない子も、同じクラスに混在している。それを「かわいそうな子」だけを支援するので選んでくれ」とある支援団体は依頼してきた。この話は遠野市近辺のことで、以下、木瀬氏のボラの理念と実践の話題が続く。長期支援が必然的に生み出す問題がまさにこれである。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
判断のつかない子どもたちが、成長の過程で「支援漬け」(支援を当然と思う気持ち)になってしまうこと。それを平常に戻すことの大変さ、教育現場や家庭がにかかる膨大な労力。こういう側面まで考えて、支援側は子どもたちと接してきただろうかという反省は、今後も折に触れてしていかねばなるまい。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato
そもそも「かわいそうな子」などと特殊な呼び方で括られるべき子どもは、被災地にはいない。もちろん境遇の不運、経済的な困窮という事態は現実の問題として存在するが、「かわいそうな」という言葉を支援の現場で口にして使うことは、その子どもの存在と尊厳を踏みにじるものでしかない。

コメント

桜浴衣王さん✬ @Dr_sakura 2015年5月20日
与えることは当然であっても、もらうことは当然ではないんだということを、教えていかないとですね。 災害支援のみならず、生活保護などの「支援」もですが。
neologcutter @neologcuter 2015年5月20日
老子の「人に授けるに魚を以てするは、人に授けるに漁を以てするに如かず」とあるように、支援より教育(特に放射性物質がらみ)の充実の方が重要ですね。
瑞樹 @mizuki_windlow 2015年5月20日
まっ、「この子はこんなに可哀想で、そんな可愛そうな子を支援する立派な私たち」って言うのは非常にわかりやすいし、金を集めるにも好都合だからねぇ~わかりやすい構図を描かないと寄付が集まらないのは、某八月の最終週末にやってる番組を見ても解るよ
岡一輝 @okaikki 2015年5月20日
遠くのかわいそうな人しか見ぃへんのは、身近な問題から逃げたいからなんや。だけどソレでは、自分も相手も、しまいには不幸になるだけや。だからあのお婆ちゃんも、「まず家庭の中で不幸な人を救いなさい」「愛はまず手近なところから始まります」と説いたんやで。
土橋詩歩(Dobashi Shiho) @shiisuke1217 2015年5月20日
興味深いタイトルでついアクセス。一連のツイート内で、同課題についてどのような議論をしていけばいいのか?といった点に触れたらより盛り上がったかもなあと思いました。
itiyo22 @itiyo22 2015年5月21日
子供が支援を受けたことに対して特別な感謝を抱くよう教育するなんて端的に言ってイカレてると思いますが、それ以上にそれを要請する人らの腐りきった性根に引いてしまいます。
toge_comment @toge_comment 2015年5月21日
恩着せがましい教育になってしまいそうだw とはいえ、それが要請されるのは腐りきった性根とやらではなく、「普通」の認識がずれて普通に戻った時に苦労するからだ。ちゃんと読もうよ。
ぼんじゅ〜る・Fカップ @France_syoin 2015年5月21日
子供なんて支援だろうが親からだろうが、感謝をせずに物をもらうのが当然だと思ってるがなwwだから餓鬼って言うんだよww
しぶのら @shibunora 2015年5月21日
佐藤先生が二段目から三段目にかけて書かれている点、三年目に入った頃だったと思いますが現地の友人がかなり危惧していました。 話を聞かされた私は「まさか?」と思いそう反応したのですが、「いやいや結構深刻ですよ」と言われたのを思い出しました。
kazumyagu3 @kazumyagu3 2015年5月22日
私は教師ですが、こんな生徒がいたら問答無用で張り倒しますがね(^^)v
こがねい(兼業家事見習い) @KoGaNei_KaGeN 2015年7月27日
海外の例は聞くけど、日本でもこうなるとは盲点だった。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2015年7月27日
2ヶ月前に作成したまとめですが、どうもありがとうございます。木瀬氏の記事を広く読んでいただきたく、これを作りました。ぜひ全編をご参照ください。『震災学』Vol.6に収録されています。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2015年7月27日
この記事の紹介事例は岩手県内ですが、自分も支援絡みで少し関わっている宮城県内でも同様の事例を見聞きしました。被災地支援の仲間内では結構話題になり、折々に発信してきたのですが、なかなか広くは認知されなかった問題でした。
はんぺん @hanpensky 2015年7月28日
こういうの、そこそこの労働なりで相応の対価がもらえるっていう「そこそこの労働」の部分を容易に入手できるよう用意することに注力しないと、簡単にシバキ理論になりうると思っているの。
はんぺん @hanpensky 2015年7月28日
ほんで、そこそこの仕事を皆が容易に入手できるほど沢山つくるって、モノ金だけ支援だけするより手間隙金もずっとかかったりするからね。そこに責任持ってコミットする決意なしにモノ金だけ与える支援を批判して縮小すると、本当に地獄になると思う罠。
きゃっつ(Kats)⊿5/5乃木坂大阪個別? @grayengineer 2015年7月28日
物的な面だけでなく、災害支援として被災地のみを対象とした一種の優遇措置のようなものというのも公私それぞれにいろいろあるけど、それも成長して他の地域を知るようになると戸惑ったりするのかもしれませんね
りそーすななじゅう @resources70 2015年7月29日
なんかアフリカ難民支援みたいな話になってる→
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2015年7月29日
今になってこの話題が注目されるのは、やはり被災地と被災地外の間に情報の不均衡が大きく横たわっているからでしょうね。現地では以前から話題になりながら、東京などで報告する支援団体はあまり触れてこなかった事も一因かと
紺碧 @Konpekin 2015年7月29日
阪神淡路の被災当時5歳でしたが、支援が当たり前なんて思った事はなかったな。被災時は勿論その後も何年も「支援してくれた人達のおかげで暮らしていけるよ、ありがたいね」って教えられたから。ただ兄が一時転校した先で「地震の怖かった話を全校集会でスピーチさせられて、皆からのプレゼントって靴もらった!なんか俺すげぇ可哀想な子扱いだった(笑)」とケロリと話していて、『私らは可哀想な子でいないといけないんだな』とは思いました。周囲の扱いの問題ではないでしょうか。
ピッコロ大魔王 @piccolo_daimaou 2015年7月29日
これは非常に重要なポイントだよなー。大人の公的サポートにしても、この支援と自立の按配が難しいわけだから。
ちょこ☆ @nijiiromikan11 2015年9月15日
今一度、大事なことを読み返す。
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato 2016年4月20日
熊本地震ではこれほど避難生活が長期化するとは思っていないのですが、「支援漬け」の一端が問題視されたケースを見てみました。
白乃狐 @chivi_105 2016年4月23日
コメ欄の紺碧さんの仰るように、周囲…特に大人達の言動や振舞いの影響はかなり大きいのでは…と思った。
毒吐き自転車好き 生まれも育ちも福島県 @LOVEJITENSHA 2017年1月26日
ちょっと論点は違うかもしれないけど、「かわいそうを探す大人」ってワード見て、あ!これ昨年話題になった24HTVに対する世論を思い出したよ。ひょっとしたら既に、かわいそうを「探す」から「作る」になりつつあるんじゃないかっていう。かわいそうを消費する社会が一瞬頭をよぎってしまった。しかもそれは当事者たちを抜きにしてただ感動に飢えた者達の娯楽として。
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