支援を当然と思う子どもたち 「かわいそう」を探す大人たち

木瀬公二「被災した日常とボランティア 被災地支援ネットワーク「遠野まごころネット」の四年」、『震災学』vol.6 (2015年)、pp. 176 - 185.の一部を抜粋して、子どもたちの支援に関わる課題をとりあげました。
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被災した子どもたちへの支援をめぐって

佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

『震災学』vol.6収録、木瀬公二「被災した日常とボランティア」より抜粋。「震災当時に幼かった子どもは…物心ついたときから、食べ物や着る物は誰かが勝手に持ってきてくれるものだった。それが当たり前だった。」「生活が日常に戻り始めてから、物資を含めて、無料であることは正常ではない」→

2015-05-20 15:23:16
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→「と思い出す大人が増えていった。 … 多くの人が平時に戻る中で、最後まで残ったのが小学校に入学前に被災した子どもたちだった。異常事態だった当時を知らず、タダで物をもらうのが普通だった世代の平時は、そういうものだった。 彼らがこのまま成長して、大丈夫だろうか。」この危惧は深刻…

2015-05-20 15:27:25
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

(さらに続けて)「[教員や保育士が]「物をもらうことは」非日常のことだと理解できず、それが当たり前になっている子どもが増えている」と言い出した。…支援する側も、そこへの配慮が欠ける例が目立っていた。…「家を流された子ども…仮設住宅に入っている子」と招く子を指定してくるのだ」→

2015-05-20 15:32:33
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

→「学校には、被害に遭った子も遭っていない子も、同じクラスに混在している。それを「かわいそうな子」だけを支援するので選んでくれ」とある支援団体は依頼してきた。この話は遠野市近辺のことで、以下、木瀬氏のボラの理念と実践の話題が続く。長期支援が必然的に生み出す問題がまさにこれである。

2015-05-20 15:36:46
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

判断のつかない子どもたちが、成長の過程で「支援漬け」(支援を当然と思う気持ち)になってしまうこと。それを平常に戻すことの大変さ、教育現場や家庭がにかかる膨大な労力。こういう側面まで考えて、支援側は子どもたちと接してきただろうかという反省は、今後も折に触れてしていかねばなるまい。

2015-05-20 15:41:24
佐藤賢一の中の人 @ke_1sato

そもそも「かわいそうな子」などと特殊な呼び方で括られるべき子どもは、被災地にはいない。もちろん境遇の不運、経済的な困窮という事態は現実の問題として存在するが、「かわいそうな」という言葉を支援の現場で口にして使うことは、その子どもの存在と尊厳を踏みにじるものでしかない。

2015-05-20 15:45:31