村井聖夜氏が亡くなられたお祖父様を偲んで
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2010年12月24日午前2時、祖父が永眠しました…齢百歳。大往生。 たくさんの感謝と静かな祈りと…。 ありがとうございました、ようやっとまた、おばあちゃんに逢えますね。
2010-12-24 05:54:49健康マニアで、晩年も体調を崩しても、奇跡のような復活を繰り返してきた祖父。 約10年前に祖母に先立たれてからは、自分の健康を恨んでいたようだけど、もう本当に十分生きた、やっとおばあちゃんに逢える、と思ってるだろうな。だから全然悲しくは無い。
2010-12-24 06:06:362ヵ月くらい前からほとんど食事を食べなくなったらしい。 でも最後まで、自分の力でトイレに行ったり着替えたり、寝たきりや病の床ではなかったのは幸せだった。
2010-12-24 06:12:22たくさんのお悔やみメッセージ、ありがとうございました。でも、ホントのところ親族もそして本人も、大病に苦しむこともなく、晩年まで穏やかに終えることができてホッとしているところだと思います。
2010-12-24 13:11:38祖父にはいろんな武勇伝(?)みたいなものがありまして、故人を偲んでダラダラと呟いてみます。記憶を思い返す意味も含めて。 なのでシンミリせず、チョイ読みorスルーでおKですw TL汚しすみませんが。 聞きかじりなので、事実と異なる部分もあるかもしれませんが行ってみましょう。
2010-12-24 13:14:48祖父は明治末期の生まれ。当時村井家は京都だったか大阪だか、着物の組み紐(帯止め等)を作って売る商人だったようです。
2010-12-24 13:16:01時代が大正に移り変わり、着物を着る人も減るに従って、組み紐の需要は減少。一方で電化製品が普及し、電線の被服として組み紐が使われる(コタツやアイロン等)ようになり電線メーカーとして転進します。
2010-12-24 13:16:45昭和の経済成長まで続く電化の波に乗って、電線の需要増大で会社も躍進。芦屋市に大きな屋敷を構え、一時は住み込みの女中さんや運転手まで屋敷内に住んで居たようです。
2010-12-24 13:18:20第二次世界大戦を前後して3男1女の子宝に恵まれますが、電線という軍需産業品製造に従事しているということで兵役が免除され、幸いにも戦場には親族からは誰も行くことはありませんでした。
2010-12-24 13:18:49戦後、子供たちが成人すると祖父が独断でそれぞれの進路を決めました。 「これからは欧米の時代がくる!」長男には戦後間もない頃に米国留学をさせました。航路が再開される前の時代、今横浜にある氷川丸でです。
2010-12-24 13:20:50その長男はその後現地IBMへ就職、日本IBMへと移り、その後compaqの日本法人立ち上げも行いました。その筋では有名人です(^^)
2010-12-24 13:21:25当時叔父がホームステイした先の家の息子を、日本留学へ招いて預かったこともあります。まだ反米感情も抜けきれていない時代です。 その人は後に、アメリカ政府のブレーンにまで上り詰めました。
2010-12-24 13:22:51次男(私の父)には、「これからはコンピューターの時代だ!」と電気関連に進めさせました。父は本当は絵や音楽をやりたいと思っていた事があったそうですがw、明治の父親が言う事に歯向かう子供なんてのは、当時は居ませんでした。
2010-12-24 13:23:543番目の長女は幸せな結婚をしました。夫となった人は車のクラッチを製造する企業の御曹司でした。車社会の拡大を想定して、祖父はその結婚を快く認めました。
2010-12-24 13:25:15私は大学を出てから、しばらくいわゆる半ニート状態wで、親にも親族にも心配をかけていた時期がありました。 でも、どうにか今の会社の内定をもらった時、親戚筋には「ゲーム会社なんて!?」「音楽の仕事!?世の中そんなに甘くないぞ」といぶかられたものでした。
2010-12-24 13:28:05しかし祖父は、ウチの会社が当時神戸のポートアイランドに大きな本社社屋を構えていたこと、株価などを調べて、業界大手でこの先有望な会社である事を判断し、「ええ会社やないか」の一言で心配する親族全員を黙らせたのですw
2010-12-24 13:28:46たぶんゲームの事は詳しくはなかったと思うけど、いろいろ会社情報を調べてくれたみたいで、「きっとこれから盛り上がる業種や」と言って後押しをしてくれました。
2010-12-24 13:29:34祖父自身は結構シャレ者で、新しもの好きだったようです。 息子たちにコンピュータ関連の業種へ進めさせると、自分もプログラムを身に着けようと、当時まだ少なかったコンピュータの専門学校へいい歳した中年が入学したわけです。
2010-12-24 13:31:41自分より年下の学校の先生に「お年を召してらっしゃるのに、物覚えよろしいですなぁ」と言われたというのが、祖父の自慢話のひとつでした。
2010-12-24 13:33:37祖父は電線の会社を経営していたわけですが、社長から非常勤の相談役に落ち着いてからも、しばらくは会社に通勤をしていました。
2010-12-24 23:07:01