細馬宏通先生のイメージ文化史ワークショップ「フキダシと時間」まとめ
- kintoki_naruto
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会場から、フキダシの「・・・」とはそもそも何だと思うか、というはなしに。 ↓これですね。 ___________ | ・・・ |  ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
2015-05-22 20:05:01伊藤剛先生からの質問。「フキダシが発話主を示す突起物のことをフキダシ口としているが、この典拠を示してほしい」。来るシンポでマンガにおける表現の構成要素の呼び名の調査をしているが、そのDBにないそう。細馬先生はとくに典拠なくつかっていること。伊藤先生によると「しっぽ」が多いそう。
2015-05-22 20:08:31鈴木先生、「フキダシなくてもコマがふくらむのには?」というクリティカルな問い。フキダシといっているが、ほとんど言語の問題になっている、みたいな話かな。
2015-05-22 20:24:07昨日のイメージ文化史ワークショップでの細馬宏通さんの「フキダシと時間」、すでにたくさん感想ツイートが出てるように、今までのこのワークショップでの議論とも呼応する内容で、面白かったです。
2015-05-23 21:47:25細馬さんの「フキダシと時間」、『マンガを「見る」という体験』所収の鈴木雅雄さんの論考や、三輪健太朗さんの『マンガと映画』及び「マンガ、近代のエフェメラ」(『新潮』6月号)ときちんと照らし合わせると、どちらともすんなりとは整合しない気がする。だからこそ考える楽しみがあるんだけど。
2015-05-23 21:51:57改めてゆっくり考えたいと思いますが、要はマンガの中の「時間」の捉え方の問題で、細馬さんの考え方は泉信行さんの『漫画をめくる冒険』の下巻で展開されているそれに一番近い気がする。鈴木さん、三輪さん、細馬さん、泉さん、どれも刺激的で、少しずつ(もしかすると決定的に)違う。面白い。
2015-05-23 21:55:37昨日の早稲田大学ワークショップ「マンガ、あるいは「見る」ことの近代」第四回は、細馬宏道先生の「フキダシと時間」でした。たいへん明晰な内容で、じつに勉強になりました。私たちがマンガを読む際、フキダシの順序や帰属をどのように規則化しているのか? といった話題から入り、
2015-05-23 09:31:15「認知のふくらみ」という考えに至るという内容で、そのなかで、Smolderen”The Origin of comic"から、フキダシ/スピーチバルーン以前の「ラベル」「経札」といったものとの比較検討、Audio-visual stage というアイディア等が紹介されました。
2015-05-23 09:35:04質疑応答も含めて三時間近くの充実した内容を簡単にまとめることは難しいで、ほんのさわりだけにしていますが、本当にすばらしい発表で、たくさんお示唆をいただきました。 写真は、質疑のときにささっとした細馬先生のスケッチ。 pic.twitter.com/IlAFH3HK73
2015-05-23 09:37:47途中参加した細馬宏通さんの「フキダシと時間」(イメージ文化史)、面白かった。マンガの成立期におけるフキダシを使った表現の混沌とした感じも興味深かったが、人がマンガを読むときに経験からフキダシの序列を推定してコマ内に圧縮された時間を解きほぐしているという指摘は明快だった。
2015-05-22 21:21:50また、本来のご専門というジェスチャー論の具体例を示しながら、マンガ表現では如何に動きが絵にされていないか、という論も刺激的だった。が……
2015-05-22 21:45:09僕は逆だと思う。マンガという表現はそもそも、本質的に時間を内包する台詞、言葉をフキダシで括り、例外はあるにせよ基本的には瞬間を捉えた絵に乗せて、あたかもコマ全体が一定の時間を表現しているかのように嘘をついているのだと思う。うまいマンガ家は、上手にその嘘をつくのではないか。
2015-05-22 21:45:45一つないし複数のフキダシの持つ時間の中で起こったであろうことのうち、どの一瞬を選択して描くのか。そこにマンガ家の技量とセンスが現れると思う。フキダシがコマの時間の拡張を行っているのではなくて、コマはフキダシ(内の台詞・言葉)によって時間を与えられているのではないか。
2015-05-22 21:46:27などというのは僕のオリジナルな考えとかではなくて、大友克洋さんに聞いたお話からインスパイアされたものなんだよね。まとまらないと、詳しく説明できないんだけども……
2015-05-22 21:52:44昨晩の一連のツイートで「基本的には瞬間を捉えた絵」と言っている点、少し雑すぎました。絵で時間表現をしようとするものも当然あって、少女マンガのようにそちらで発展したもの、また漫符のように簡単に時間を入れ込む表現ももちろんあります。twitter.com/JunyaTheSphere…
2015-05-23 23:49:43カメラアイを指向する絵作りの場合も、漫符を加えたり一つの瞬間ではあり得ない絵の構成にすることで時間を入れ込むことはできるし、そうされていることが多いんだけど、一つの美学として、大友さんはなるべく漫符に頼らない画面構成にしていた。特に『AKIRA』において。過去には色々試している。
2015-05-24 00:01:13だから昨日の話も「大友さんが指向する王道マンガに於いて」という前提が必要なのかもしれない。ただ、色々そぎ落としていったとき、最後に残る絵とフキダシでは、時間を支配するのはフキダシなんだと思う。という感じか。自分でもまとめてないのに呟いてしまったのでとっちらかってます。すいません。
2015-05-24 00:04:10@GoITO こんばんは。先ほどの細馬さんのワークショップで、フキダシの「シッポ」の名称についてのお話がありましたが、以前こういうまとめを作っています。もし参考になれば幸いです>「マンガのフキダシ、内向きの三角の起源について」 togetter.com/li/305135
2015-05-22 23:45:23@JunyaTheSphere おお。ありがとうございます。同僚の先生は仕事の原稿で、こんなもの(内向きのしっぽ)などない! と編集に強硬に主張され閉口したそうです。
2015-05-22 23:48:50これまた大分日にちが経ってしまったが、先日、早稲田の総合人文科学研究センター「イメージ文化史」の主催による「マンガ、あるいは「見る」ことの近代」第4回として行われた細馬宏通さんの講演を聴講してきたのだった。演題は「フキダシと時間」。これがすごく面白かった。
2015-05-28 15:44:44細馬さんとは長年ニアミスし続けている内に周りからとっくに知り合いだと思われて誰も紹介してくれなくなり(笑、僕はこういう人多い)、ゲンロン批評再生塾の講師をお引き受けいただけたので、遅ればせながらご挨拶も兼ねてと思い。
2015-05-28 15:47:10僕はマンガというジャンルにかんしては、ほぼ素人(以下)である。なにしろ子供の頃からマンガ雑誌というものを全く買ったことがないのだ。もちろん好きなマンガも色々あるけれど、きわめて私的に限定されており、批評家としても古谷実論を書いたことがあるくらいである。
2015-05-28 15:50:48なのでマンガ研究やマンガ批評の基本的なコンセンサスというか常識みたいなこと自体、たぶんほとんどわかっていないのだが、細馬さんの「フキダシと時間」の話はすごく面白かった。非常に刺激を受けた。
2015-05-28 15:53:15