細馬宏通先生のイメージ文化史ワークショップ「フキダシと時間」まとめ

早稲田大学総合人文科学研究センター研究部門「イメージ文化史」主催・2015年度ワークショップ、細馬宏通氏「フキダシと時間」【「マンガ、あるいは「見る」ことの近代」第4回】(2015年5月22日)
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佐々木敦 @sasakiatsushi

さまざまな具体例と歴史的参照を挙げながら語られた細馬講演の論旨を僕なりの言い方にすると、要するにマンガにおけるコマは、写真や、あるいは動画のコマ=フリーズフレームとは、まったく異なるものであるということだ。それは瞬間の静止=提示ではない。それを端的に表すものがフキダシである。

2015-05-28 15:57:02
佐々木敦 @sasakiatsushi

最初にレジュメが配られて、そこにあしらわれた幾つかのマンガの抜粋はフキダシの中身が全て空白になっており、聴講者は1コマ内の複数のフキダシの時間的順序を番号で記すように指示された。で、それを回収して答え合わせをしつつ、近代的マンガ読者、日本のマンガ読者の一般的傾向性が指摘された。

2015-05-28 16:00:29
佐々木敦 @sasakiatsushi

すごく簡単にいえば、横一列に並んだ人物たちが順番に号令を発する際、「1」「2」「3」「4」というのが左右どっち向きになってるか、みたいなことである。だが興味深いのはもちろん、そのパターンの違い以前に、明らかにそのコマには時間的継起自体が畳み込まれているということである。

2015-05-28 16:04:08
佐々木敦 @sasakiatsushi

当たり前といえば当たり前のことなのだが、マンガの場合、そこに描かれた人物同士の会話がそれぞれのフキダシに収められた1コマというものがある。それはだから静止画像ではありえない。絵としてはスタティックだが、そこには時間が流れている。これを細馬さんは「時間のふくらみ」と表現していた。

2015-05-28 16:06:14
佐々木敦 @sasakiatsushi

で、ここからは僕の感想になるのだけど、最初に空白のフキダシ群に順番を振らされたわけだが、そこで問われているのは「マンガ世界内の出来事の順序=時間的継起」である。だからそこにはそれを描いたマンガ家の時間意識や操作性が示されている。だがそれとは別に、読者の側の時間=順序もある。

2015-05-28 16:09:39
佐々木敦 @sasakiatsushi

はっきりしているのは、私たちは、1コマに複数のフキダシが浮かんでいる場合、そこに書かれた台詞やテキストを同時に全て読むことは出来ないということだ。そこには必ず順序が生じる。そしてそれはマンガ内世界と同じとは限らない。本当は3番目のフキダシを最初に読んでしまうことだってありえる。

2015-05-28 16:13:04
佐々木敦 @sasakiatsushi

もちろんそれは時間にすれば一瞬のことであり、すぐに読者は前後のコマや物語の文脈から自分が間違っていることに気づき、順番を修正し、正しい時間的継起を把握することになる。だが、ここには明らかにフキダシによって膨らんだ時間とは別の時間が介在している。しかもその時間は複数である。

2015-05-28 16:16:19
佐々木敦 @sasakiatsushi

また、面白いのは、フキダシによって付加される時間性の問題だ。たとえば、フキダシの順序から或る持続が畳み込まれていることがわかるマンガから、フキダシ自体を全消去してしまった場合、そのコマからは時間性もなくなってしまうことがありえる。

2015-05-28 16:19:54
佐々木敦 @sasakiatsushi

とすると、まったく同じ1コマでも、フキダシがゼロ、フキダシが1個、フキダシが2個以上では、そこに流される時間が異なることになる。フキダシがゼロなら時間もゼロになるわけではない。前後のコマとの関係で、それはやはりフリーズフレームではなく、ある持続や継起を含んだコマとして理解される。

2015-05-28 16:22:15
佐々木敦 @sasakiatsushi

だからマンガの1コマは、映画やアニメの絵コンテに相当するものだと言える。絵コンテの1コマには、そのカメラポジションやフレームにおいてこれから起きる/生じる或る具体的な時間性を含んだ出来事が、あらかじめ潜在している。

2015-05-28 16:28:25
佐々木敦 @sasakiatsushi

だが、そこでは、映画やアニメのようにコマが継起的に連ねられていって、運動が、すなわち時間が生じるかわりに、フキダシが添えられているわけだ。

2015-05-28 16:29:23
佐々木敦 @sasakiatsushi

初期のマンガでフキダシの複数のセリフが対話/会話としては妙にチグハグだったりするのは、本来、画面外の説明、キャプションとしてあったテキストがフキダシ内に回収されているからじゃないのかな。それゆえ人物の発言としては説明的になってしまう。下手な小説やシナリオでも同様のことは起きがち。

2015-05-28 17:40:02
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

マンガのコマが瞬間をとらえてるというのは幻想に過ぎないよね、と言ったのがマクラウドなのだが、では、読者はその幻想に淫しているだけか、でないとしたら瞬間からわたしたちの読みはどう深まるのか、深めるための規則は何か。ここからが話が長いのだが、それはまた別の機会のココロなのだ〜

2015-05-23 00:59:46
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

というわけで、「フキダシと時間」無事終了。コメントも本会、懇親会でたくさんいただき、ありがたい限りでありました。この3日ほどフキダシのことだけ考えすぎて知恵熱出そうになってましたが、この熱で何ができるのか。なんかしよう。

2015-05-23 01:02:29
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

昨日の発表を準備するうちに、フキダシとは単なる「ことば」ではなく、声を空間的に分節したものであり、その分節の形式自体が、マンガ表現の基本問題だということに改めて気づかされた。それにしてもこれは登りがいのある問題で、どこまで行けるか。

2015-05-23 13:00:54
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

これから少しずつ、こういうのを書いていこうと思います。「今日のフキダシ(1)大今良時『聲の形』」 12kai.com/wp/?p=3124

2015-05-26 11:43:35
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

今日のフキダシ(2)貸本マンガ版『河童の三平』 12kai.com/wp/?p=3140

2015-05-26 22:16:38
細馬宏通(『フキダシ論』) @kaerusan

【更新】今日のフキダシ(3)杉浦茂『少年児雷也』 12kai.com/wp/?p=3170

2015-05-27 11:13:36