田中ロミオをめぐる対話3
そのほか『終末少女幻想アリスマチック』とのシステム的な類似について語ろうかと5秒くらい考えたり、起動時に「18歳以上の人は読めません」といいつつ「ENTER」以外の選択肢を用意していない「後戻り不可能性」について本編と絡めて語ってみたかったり。
2010-03-06 23:17:00ホミ・バーバの多元論批判(多元論は複数の主体から自由に選べるような錯覚を与える)に言及しつつ、他者の呼びかけによって主体が規定され、選択したという事実が事後的に与えられるという話も書きたかったが、だいたい似たような話は書けたのでいいか。
2010-03-06 23:18:35あと、沙也加編「ブチとマルの墓参り」は『イマ』を論じる上で重要だと思い、それなりにメモをとったのだけど、結局引用できなかった。なぜか。悔しいのでここで書いてしまう。
2010-03-06 23:20:17「もし世界で自分一人だけだったら、忍はどうするの?」「難しいね。でも僕だったら……歩くかな」(中略)「今の回答は、自己規定しているだけのものなんだ。僕の内面を観察して、そういう資質が立ち現れてくるわけじゃない。別に自賛しているわけでもないし、性質の問題でもないんだ。
2010-03-06 23:22:50僕は、プロープ(調査機)のようなものだ」(中略)「何が良くて何が悪いのか、人はすでにある何かに従って生きるけど、……僕らはそこから自力で決めていかないといけない。でもいくら考えても、最後には合理的な結論以外を選べなくなってしまう」「……そう」「僕らが今やっていることは、
2010-03-06 23:24:36「沙也加はどう?」「私はかなりの確立で、内に向かうと思う。部屋に閉じこもるように、自らの内面だけで生きると思う。肉体が死ぬまで――」「一人だけが存在するということは、自我と世界が同じサイズになるということだと思う。有効射程は認知限界までだけど、定義としてはそうなる。
2010-03-06 23:26:38ここで忍が沙也加と自分は同じである、と言ったのは、確かにその通りであるように思える。だって、忍の「自己規定」も沙也加の「内面だけで生きる」も、『CC』の太一の両面性そのものだから。
2010-03-06 23:29:06だからこそ、ここで忍が真理を語っているとは思わなかった。自分を自己規定などできない。自分を規定するのはいつだって、予想もできない他者からの呼びかけではないか、と。
2010-03-06 23:30:42書こうと思って書けなかったこととしては、『攻殻機動隊』との類似点について。福嶋氏が攻殻の「ゴースト」と『イマ』の人格を比較して、攻殻は人格を本質主義的に捉えていると批判していたので、私は逆に『攻殻』を好意的に捉えてみたかった。
2010-03-06 22:43:06「最果てのイマ」はやってないけど.@tukinohaさんのイマ論(http://bit.ly/beAnQG)が面白いので、僕もやってみようかな。というか田中ロミオは家族計画(山田一と氏が同一人物ならばという留保付きで)以外やっていない・・・
2010-03-06 23:17:27@kain1173 ONEが長すぎとなると、2作品は厳しいかもしれませんねw しかし@tukinohaさんのイマ論でもたびたび出てきたように、両作品には重要な繋がりがあるので、できればやって欲しいですねー。
2010-03-06 23:38:11ゲームって、確かに現実的に掛かる負荷は本やアニメに比べてデカイんだけど、逆にいえばその負荷や様式が非日常的であって、余計心酔するというか。
2010-03-06 23:57:07とあるエロゲのキャラクターがメタ的にエロゲを「ヒロインたちと会うための神器」と定義していたけれど、そういう感覚は少なからずあるのかなと。 日常とは切り離されたヒロインとチャネリングするための神の道具って感覚で。
2010-03-07 00:02:36