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「田舎の戦争体験は、よく語られる都会人視点の体験とは少し違うのではないか」

戦後70年で、戦争体験があらためて様々に語られています。 特に現在は年齢的に、実際に戦地に行った人が90代になりつつあることもあり、当時少年だった世代の「疎開」「空襲」「飢え」体験が多く語られます。しかしその時「疎開した」側と共に「疎開を受け入れた側」の体験もあるはず。そちら、地方・田舎側の戦争体験はまた違うのではないか?という問題提起が面白く、まとめさせてもらいました。
軍事 歴史 食料 第二次世界大戦 太平洋戦争 戦後 近代史
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蛙腹 @to_sakai
@gishigaku @_unigmo @KOMA_MUGEN 空襲もないような市街からはずれたところの裕福な家の子だったため、焼け野原も空腹も経験してないというわが母親。 愛知三河地方の出身なので「地震が怖かった」というのが戦争中の一番の思い出だそうです。少数派でしょうが。
月餅 @geppeeee
田舎の富農の子には、こういう戦争体験を語る人が多い。「伯父が戦死した」という一方で、「父は土間にビリヤード台を置いて玉突きをしていた」とか。あと、都会の富裕層だと「戦後日本が復興するにつれてスキー場が混んできて参った」なんてのも。 twitter.com/to_sakai/statu…
月餅 @geppeeee
やはり、マスコミで繰り返し語られた戦争体験は都会の人のものばかりだったのだ。疎開をする小学生の体験談はあっても、疎開を受け入れる側から発信されたものはめったにない。
月餅 @geppeeee
戦後、農家に高価な着物を持って行ってわずかな芋と取り換えたという都会人の恨み節は繰り返されたが、必要以上の着物を押し付けられて食べ物を強く求められた農家の困惑は顧みられることはなかった。
倉瀬美都 @clausemitz
奈良県だと、戦争中は大阪方面が花火みたいになっててキレイやった、って証言があるんだけど不謹慎すぎて、どこも放送しないよね。(´Д` ) twitter.com/geppeeee/statu…
ひとやすみ @dandonban
@geppeeee 横ですが、ここで言うマスコミは全国ネットを持つキー局のことですよね。地方局や地方紙は地方の戦争体験を記事にしており、たとえば児童疎開を受け入れたお寺、企業疎開受け入れ(戦後中核企業となる)や商品作物から穀物への転作などやっていますね@SagamiNoriaki
伊藤淳子@ @junco
うちの祖父は、戦争で家がなくなった人たちに畑を貸したり、家を与えてあげたりしたそうです。その後、孫子の世代になり、借地権を盾に取られてしまったところも。 twitter.com/geppeeee/statu…
🍊ねりタケ🏍️🔰 @neritake
@geppeeee 地方だと食料にも困らなかったとか、軍でも装備がなくて暇なので漁に出たら大漁だった、なんて話もありますね……あと厳しい情報統制や取り締まりとは無縁な世界とか 戦後の都市視点、それも創作的な『戦時体験』にはちょっと辟易しますねえ
HeptapodB @heptal
激しい空襲被害があるでもない田舎の農家側の体験と、 激しい空襲から逃げるよう疎開した都会人の体験の、 その体験の厚みの違いを考えれば当然のような気がする。 twitter.com/geppeeee/statu…
ひろぽにゅ @hiropo8
広島、長崎、東京大空襲しかり、人口が集中する都市部は米国の攻撃目標だったわけで、攻撃の濃淡があるから避難先も存在出来たのでは。(´・ω・`) twitter.com/geppeeee/statu…
月餅 @geppeeee
@neritake 都市部の視点だけで「日本全国が」という捏造記憶になるのがダメなんですよね。
🍊ねりタケ🏍️🔰 @neritake
@geppeeee その都市記憶にしても、創作部分にかなり塗り替えられてますしね… 仕方のない事とはいえ、ドラマや小説が史実的に扱われているとちょっとモヤモヤします

コメント

gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2015年6月12日
カテゴリーをどこにしようか迷ったが「軍事」としました。
未知神明(みちがみ・あきら) @ontheroadx 2015年6月13日
まあハリウッド映画を作る人たちの「田舎(でイジメられてた)体験」みたいな情報操作はあるんじゃないかな。
barubaru @barubaru14 2015年6月13日
戦争体験が一律的に悲惨なものだったというなら、「隣組」の替え歌がテーマのドリフ大爆笑が国民的人気番組だったりパチンコ屋で軍艦マーチが鳴り響いたり「明治天皇と日露大戦争 」なんて映画が超絶ヒットしたりしたのは何故なのか、と言う疑問。記憶の塗り替えは何回行われたんだろうなあ。
月餅 @geppeeee 2015年6月13日
学童疎開していた子は当時の国民学校初等科学童のうち10数%なんだけれど、「疎開を迎え入れていた子」というのはどのくらいの割合になるんでしょうね。
もるだでぃ(・灬・ )ノ @morudaddy 2015年6月13日
どこまでを田舎と言うのかわからんが半農半漁の村で育った母によれば、終戦間際は米軍が上陸してきたら皆首だけ出して埋められてブルドーザーで轢かれるという噂でもちきりだったそうな。疎開してきた子もなかなか馴染めなかった様子。後は食物の話が多いな。
こざくらちひろ @C_Kozakura 2015年6月13日
うちの田舎は戦時中空港近くで宿屋をしてたので、ろくに離発着訓練すらしてなさそうな若い航空兵たちと毎朝のように無言の別れがあって何とも言えない気分だったと聞いてます。
Muji @ togetter憲兵隊 @643Myshelf 2015年6月13日
戦争が悲惨なのは確かだけど、あらゆる面で悲惨だったら多分人類社会からとっくに無くなってるわけでね。先の戦争も例外ではないと。
赤間道岳 @m_akama 2015年6月13日
311で東北全体が津波にのまれたり、放射能汚染されたかのような錯覚にとらわれそうな報道もあったけど、大抵の地域ではもう普通に暮らしてるどころか真新しいピカピカの家から家族の幸せそうな笑顔が溢れているところだってあるのと微妙にかぶりますねぃ(´・ω・`)
虚無 @matu_bon 2015年6月13日
ウチは貧乏農家で家族も多かったから食べ物で苦労したらしい。色んな体験があるわな
ずんどこべ @zundokobe 2015年6月13日
まぁド田舎はアメからすりゃ戦略的価値薄かったかもしれんね
ずんどこべ @zundokobe 2015年6月13日
しかし、じゃあだからと言って「戦争は必ずしも悲惨なものではない!」って結論に至るのはいくら何でも…と思うがね。世間一般に浸透してる戦争体験とはまた違った視点の戦争体験が語られること自体は意義のあることだけども
如月 宗一郎 @S_kisaragi 2015年6月13日
山本夏彦が対談で語ってたな。向田邦子の『父の詫び状』を読むと、終戦直後の仙台にはコメがいっぱいあって、どぶろくも作っていた。仙台がこうなのだから、他の地方でもそうだろうと思って尋ねてみると、やはりそうだという。ではなぜそれを言わなかったのか聞くと、「何となく言い出しづらかった」と言われたって。
LcK @LcK0812 2015年6月13日
長崎の田舎の方にいてた祖母は、戦時中はやっぱり食物が少なかったて言ってたけども
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2015年6月13日
流通が、インフラも情報も滞って、足りないところはものすごく足りず、産地ではせっかく収穫してもその地に積まれるばかりで…みたいな状況もあったのかという気がします(現在でも、飢餓は絶対量より流通の麻痺、破壊でおきることが多いとか)
Yoshiteru Kawai @yoshikun2009 2015年6月13日
私の父は1945年時点で堺在住の小学生でしたが、学童疎開が有耶無耶になってるうちに空襲を食らったとのこと。祖父も二人共徴兵されずじまいだったので戦場や復員の話はなかったですね。
きゃっつ(Kats)⊿11/17乃木坂大阪個別 @grayengineer 2015年6月13日
ああ、これはわかる。父親は大阪で商社の創業家の育ち、母親は田舎の育ちなので、それぞれの経験にかなり大きな差があった
neotoro @dogmuse00 2015年6月13日
そら戦中戦後、都市部が悲惨なことになってるのをいいことに、焼け出された連中から金目の物巻き上げた上に人身売買までやってたんだから、田舎の連中がそんなこと自分で語るわけないわな。http://www16.plala.or.jp/senso-koji/frame1.html もちろん田舎の都市部に対する感情はそれまで飢饉等で辛酸を舐めた経験の上にあるわけで、交通やメディア等のインフラが現代より弱かった時代の各地域間の感情の差って、今だと想像つかないぐらい深かったんじゃないかな。
26歳高等遊民 @ujmtjmtjmtgwta 2015年6月13日
gryphonjapan 戦争末期、本土は甘いものなんて食べることができませんでしたが台湾には腐るほどあって、敗戦時に処分して本土に帰って来たら甘いものがなくて驚いたなんて話がチラホラ
しろがねさん @whitebellsweet 2015年6月13日
別府で没落士族のお嬢として育った亡き母は昭和五年生まれ。ドイツの若い水平さんを港までアイドルのように見に行ったとか敵機が上から手を振ったとか、起床ラッパやあれこれの思い出を楽しそうに語っていた。寧ろ戦後の更なる貧乏の方が辛かったらしい(´・ω・`)
石井 顕勇 @IshiiAkio 2015年6月13日
都市部「空襲で街が焼かれ、多くのお年寄りや女子供が犠牲になった」農村部「働き手の男性がみな出征して戦没し、働き手が居なくなり生活が困窮した」死者数で考えれば戦場で死んだ将兵が圧倒的に多いのですが、戦後は空襲の悲惨さの方がメインに語られます。戦場の将兵も農村出身者兵卒より都会のインテリ学徒兵が悲劇の象徴として語られてきたのでは。
26歳高等遊民 @ujmtjmtjmtgwta 2015年6月13日
戦中も物によって自給率8割とかあったし、戦前は100%とかもあったけどそれは台湾や東南アジアからの輸送(輸入にあらず)に頼ってた面が大きいので、戦中戦後とインフラや通商が破壊されるようになると徐々に(他の要因もあるけど)食糧危機に陥るようになったと。
neotoro @dogmuse00 2015年6月13日
ここのコメント見てても「わたしの親が~」なのはだいたい気楽な話なのな。悲惨な話って語りづらいし語られづらいから文献にも残らないし、今まで語られてきた戦争の悲惨な話がステロタイプ化してるのだって、サヨクガーとかいうんじゃなくて、そういう型を借りないと辛すぎて自分の体験を語れなかった人の多さがあるんだと思う。
とり名古屋さん(三重出荷) @hatsuhominami 2015年6月13日
メディアじゃなくても情報発信してまとめられる時代なんだし、身近な情報源があるうちに色々聞いて残しておきたいもんだと思った。ただ、うかつに聞いて良いものかわからなくて、訊ね方が難しいんだよなぁ…。まとめられた方々はどんな機会に聞いたんだろう。
barubaru @barubaru14 2015年6月13日
寧ろ気楽な話が残らず悲惨な話ばかり文献化されてる気が。奴隷は風景なり、というやつですかねえ。
長峯明子 @xshochanx 2015年6月13日
面白い視点ですね。
熊谷杯人☆あにまるらんど・さが @kumagaihaito 2015年6月13日
あるところにはあったし、ないところには無かったという感じだと思います。遠野のお婆さんの体験談では「縫い糸」すらなかったので古着を解して使ったとか。
くすき @kusuki_xx 2015年6月13日
祖父は自ら志願して出兵し、その先で飛行機の整備士として働き、休暇中に凍った湖?池?でマイスケート靴でスケートしてたとか。任期終了しても再度志願して出兵したとも聞いた。親が教師だったので、教師の子供として出兵しなくてはいけないという世間体もあったみたい。激戦化する前に任期が切れて田舎に戻って悲惨な状況は体験していないみたいだけど。
くすき @kusuki_xx 2015年6月13日
違う祖父は出兵中に“しこり”の除去手術をする事になったんだけど、物資不足で麻酔なしで手術したっていってたな。夜は禁止されてた賭博をするのに隠れて花札してたとか。
@NekochaQB @NekochaQB 2015年6月13日
母方の祖母は三河の山の中でバリバリの軍国婦人として鳴らし、葬儀も軍歌で送られた人であった。思えば戦争の時代だけは 彼女の人生が唯一、世界につながった瞬間であったのかもしれない。
1053式二脚走行型戦車男(社畜) @Type1053tankman 2015年6月13日
この辺は良スレ回収機構でもほんの少し取り上げて入る
江頭キチジロー @yanagomi 2015年6月13日
ある地方都市で蕎麦屋を営んでいた祖父は、蕎麦業組合を代表して(というか戦時統制のあおりを喰って)、炭鉱で報國する栄誉にあずかったらしい。そのころ祖母は今でいう山の手地区でカボチャを栽培していたという。
nekosencho @Neko_Sencho 2015年6月13日
伊賀地方だと田舎だけど飛行機などにとっては都会が近いせいか、子供が機銃掃射うけたとか、B29が落ちて乗員がそのへんにつながれてて通行人が石投げてたとか、けっこう戦場だったりする。出征した人がそれなりに戦死したり負傷してたりは他と変わらず、まあ食料はそこそこあったみたいだよ
nekosencho @Neko_Sencho 2015年6月13日
barubaru14 気楽な話は、おそらく戦争がないほうがたくさんあったでしょうし、悲惨な話は戦争があったほうが多かったでしょうから、悲惨な話が多く伝えられえるのは何の不思議もないと思いますよ。
パンターF@C58難民 @PanthertypeF 2015年6月13日
都会の人がやってきて、刈り取った稲を運ぶ後ろを付いて来て、落ちた穂を拾っていたとじいちゃんが言ってたな
Ka-Ka @ka_ka_xyz 2015年6月13日
この辺、戦前だと田舎と都会で生活格差が激しかった(それこそ凶作時に娘を売りに出すしかないレベル)けど戦時中はかえって田舎のほうが相対的に食糧事情が良くなり、闇市場で都会者をぼったくって恨みを晴らすとか色々修羅の世界。
newgascooker @newgascooker 2015年6月13日
「商品」として売りやすい戦争体験だけが脚光を浴び、そうでないものは、いくらたくさんあっても見向きもされなかった。って事なんでしょうねぇ…。
Ka-Ka @ka_ka_xyz 2015年6月13日
学童疎開で田舎に来た都会っ子が地元の子供にいじめられるとかそういう話も、この辺の戦前の超格差社会が一気に逆転した事情が絡んでくる。
muramasa @muramasa931 2015年6月13日
dogmuse00 へぇへぇ戦争中でもないのに税金たんまり巻き上げて、人身売買とまくりで貧乏人の娘を女郎にしまくってた連中がそれをよくいえるね。
三月レイ@内調39課ニコ技室 @mitsukirei 2015年6月13日
ローカル放送局だって、空襲のあった所ばかりクローズアップするよ。焼夷弾被害が無ければグラマンの銃撃跡まで探し出したりして。田舎で耕作地余ってんのにわざわざ校庭で芋作りってのは政策だったのかねぇ?ちなみに今年の中国地方はどこもかしこもヒロシマです。
s_matashiro @glasscatfish 2015年6月13日
戦争や他の理由で働き手が亡くなって、他人に貸してた農地が農地改革で一挙に他人の物になってしまい、遺族が困窮生活に、というのも「あまり喧伝されない負の側面」ってやつですかね。
三月レイ@内調39課ニコ技室 @mitsukirei 2015年6月13日
ちなみにその銃撃跡ってのは、新川飛行場(大社航空基地)への銃撃の名残なんだけど、原因?となる飛行場に関してはあまり語られない。
simo@ネコと和解するのデース @simoMC3 2015年6月13日
大変学ぶことが多かった。ここ函館なので、空襲と言っても昭和20年7月14・15日くらいだけだttみたいでそれも標的は青函連絡船。もちろん市街地にも落ちたり機銃掃射されているようなのだけど、祖母に聞いても「手榴弾作ってた」くらいの話です。食糧に困ったとかあまり聞いてないです(すいとんを作ってもらったことはありますが)。
simo@ネコと和解するのデース @simoMC3 2015年6月13日
それで、これはどうかなと思ったけど、一応。https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480038166/ 現代民話考 6 銃後 思想弾圧 空襲 沖縄戦 松谷みよ子 筑摩書房。この本一回だけ読んだのですが確かそういうあまり触れられないような話もかかれていたような気がします。そのうち読もうと思います。
ウメ(モッコス) @ume_86 2015年6月13日
親戚が宮崎県五ヶ瀬町に居るのでこの手の話は曾祖母などから色々聞いた事がある。
りそーすななじゅう @resources70 2015年6月13日
地方都会だけでなく、中国前線に派兵されたら食糧事情がよくて終戦時に太って帰ってきたってのはよく聞く話ですね。
関野武志 @midorikurage 2015年6月13日
1945年7月。父祖の地、青森は空襲を受けた。記録には死傷者1767名。焼失家屋18045戸(市街地の88%)。罹災者70166名とある。親に聞いた話では焼け残った家に複数の家族がたいへんな思いをして住まざるを得なかったという。 田舎と一口で言わないで貰いたいものです。
毛利は医神の蛇になりたい @mourisuiko 2015年6月13日
田舎な筈なんだけど、家から見える場所にある戦前からの造船所でも駆潜艇をつくってたらしくて二度空襲にあっているが、空襲のあとに爆風で魚が浮かんだのを皆で取りまくった、って話は非常にリアルだった。あとは芋を作ったら作っただけ持っていかれるのでめったに使わない防空壕に隠していた。とかどぶろく作って祭りでふるまったとか。食に苦労したって話は聞かないけど芋は嫌いな人多いね。
松平俊介@暑い @matu2syun 2015年6月13日
マスコミがこの手の戦争記憶を操作した例として、保阪正康氏の「『きけわだつみのこえ』の戦後史」(文春文庫)は是非読んでもらいたいものです。
小川靖浩 @olfey0506 2015年6月13日
ka_ka_xyz ただ、当時の「嫁入り衣装を二束三文同然に」とされる話も「同様の取引が求められて相対的に価値が下がった」という事情もありますからなぁ…。農家とて住込み小作人やら手間取りを養う立場でもあったわけだから「気前よく交換した」という構図がなりにくいわけですし…。都市部という事から記録者が見やすい視点を中心に語られたことで「困窮した市民に対して足元を見た農家」という戦後史観ができたというのがあるんでしょうなぁ
たちがみ @tachigamiSama 2015年6月13日
戦時の思い出=悲惨な話しか求められていないから自分からは発信しないんじゃない? 子供たちに戦時中の話をっつったらつらーいひどーい話してくれること期待してんだろし
たちがみ @tachigamiSama 2015年6月13日
ま、どっちの話も聞いてりゃ興味深いのだけども「辛くない戦争体験」を無視したり無かったこととして扱うのはやめて欲しいねぇ(そういう事実があるのかどうかは知らない)
PYU(抽選洩れ) @PYU224 2015年6月13日
攻撃を殆ど受けなかったし、食料も作ってたからそこまで悲惨でなかった所は確かにそうだよね。
有芝まはる殿下。 / 𝕴.𝕳. 𝕸𝖆𝖍𝖆𝖑 𝕬𝖑𝖞𝖘𝖍𝖊𝖇𝖆 @Mahal 2015年6月13日
これ、確かにそういう温度差はあるけど、一方で逆に個人的にすげー迫る戦争体験として、千葉の茂原に住んでた年寄りが「大空襲の炎で東京の方の空が夜に明るく染まってた」という話も聞いたことはあったり。
kkitmur @kkitmur 2015年6月13日
どこか気楽な兵隊生活を語る体験談がイマイチ取り上げられないのに似ている。
ashen@一週間のご無沙汰でした。 @Dol_Paula 2015年6月13日
学生時代に「新兵さんよもやま話」という新兵さんのどっか笑ってしまうエピソードを集めた本を読んだけど、今だと不謹慎とか言われちゃうのかしら。軍人勅諭を覚える為にお経の節で覚えた話とか「突撃一番」の話とかw
CD @cleardice 2015年6月13日
まあ別に戦時じゃなくたって人に話を聞かれたら盛り上がる「事件」を話したくなるもんだよね。「普通に飯食って寝てた」が面白くなるのは他所で大きな事件が起きたときの逆張りだし。
霜雪/ユ/ア@そっちであっち @Hoarfrost_Snow 2015年6月13日
田舎というか、田舎の農村部とかな。曾祖母に聞いたことあるけど、食料事情とかは戦前とそんなに変わらんかった感じらしい。で、他の人も書いてるけど、農地改革で煽り受けたって話も聞いた…。ただ、地方都市とかは場合によるけど結構空襲の被害受けてるってのはある。
岡一輝 @okaikki 2015年6月13日
ステレオタイプな戦争のイメージを離れるのに良い作品って何があったかな。自分は犬養道子『花々と星々と』を読んだ時とか、映画なら『警察日記』や『拝啓天皇陛下様』とかあのへんを観た時、いわゆる「変遷平和教育」的な戦争のイメージが、ずいぶん揺らいだのよなあ。
有村悠%1/22砲雷撃戦・に-10 @y_arim 2015年6月14日
爆撃機による空襲が無かったかわりに戦闘機による機銃掃射が行われた地域はけっこうありそう。
真田 光 @ksanada 2015年6月14日
信濃国では「満蒙開拓で分村して現地でえらいことに」と、「大戦末期に起きた地震の諏訪地域での被害状況をまとめておかないとヤバいのでは」という話が、たまに信濃毎日新聞に出ているな……あと松代大本営はマストである。
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2015年6月14日
NekochaQB のちに漫画「フイチンさん」を描く上田としこは満州時代に、普通ではできない女子の待遇改善運動を「私たちも国のために働くのは同じだから」という大義名分で展開できたそうです。 「そんなことをしたらアカだと思われるわ」の声に「いいえ、私たちはアカじゃなく赤と白(日の丸)です」と返したとか。 http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20140519/p2
zwanzigst @zwanzigst 2015年6月14日
藤沢に当時いたと思われる祖父母から聞いた範囲では、爆弾が落ちたことも機銃が振ってきたこともなく、食料に困ったこともなかったと。孫を気遣っての表現だった可能性もあるけど。
zwanzigst @zwanzigst 2015年6月14日
でも、大陸で部隊が壊滅した際の銃創を見せたり狙撃のコツをマイルド語ってくれた祖父は、晩年入院して認知症が始まってからはフラッシュバック的に心が50年前の戦場に度々戻ってしまい、やはり凄絶な体験だったんだろうと思わされた。
石井 顕勇 @IshiiAkio 2015年6月14日
matu2syun 政財官・教育・マスコミといった社会的に影響のある人達が語る戦争はどうしても同じ立場の「学徒出陣」「インテリ兵士」のことが中心になりがちですが、そういった人は従軍者の1割程度、結果的に一方的な見方になってしまうことは否めません。
月餅 @geppeeee 2015年6月14日
いろいろ書きましたが、「戦争は悲惨ではなく、銃後のほとんどはお気楽なものだ」と言いたいのではないです。戦中戦後の体験談があまりにも都市部の人の話に偏っていないかということが気になったのです。
月餅 @geppeeee 2015年6月14日
また、着物と芋を取り替える話は「それまで経済的な格差で下とされていた農村が一時的な優位に立ったことが許せない」という都市生活者の驕りが垣間見えて、あまり気持ちの良いものではないです。「着物が芋に変わったおかげで生き延びられた、良かったなあ」という感覚が感じられなくて。
石井 顕勇 @IshiiAkio 2015年6月14日
geppeeee 結局,戦争のイメージを定着させたのは、社会への影響力、発信力のある人達(政財官界、学界、教育界、マスコミ界)の体験談であり、それらが都市部(の知識層)に偏っていたということでしょう。
Rogue Monk @Rogue_Monk 2015年6月14日
「個人的な体験談を過大評価してはいけない」 と、まとめたいと思います(何様だよ>俺)。
ななよう @nanayoh 2015年6月14日
震災後に都会が反原発だ東電つぶせと大騒ぎしてたときは、「今度は都会モンがリュック背負って汽車に乗って電気を買出しに来るのかなあ」と思ってましたよはっはっは
SHINJing @yshinjing 2015年6月14日
どちらかというと「悲惨」「印象的」な方向に振れてしまうのは人の心の常かなあ。終戦の8月15日が「抜けるような青空」だったってのと同じ…。
月餅 @geppeeee 2015年6月14日
yshinjing 「私の疎開していた地方では薄曇りだった」(by小林信彦)。
石井 顕勇 @IshiiAkio 2015年6月14日
geppeeee 疎開先で受けたつらい体験が理由で農村部に対する怨念を後年まであからさまにする人もいますが、「疎開者のためにその地方の人が食糧その他を供出した」ことへの感謝を忘れている人が多いですね。それ以前に「疎開したからこそ空襲で死なずに済んだ」人も万単位でいるでしょう。
cinefuk 🌀 @cinefuk 2015年6月14日
山村の百姓の家でも「働き手が出征・戦死して母子家庭として困窮し、また差別された」という話は父から聞きました。
石井 顕勇 @IshiiAkio 2015年6月14日
小学6年生相手に教師が各年米の収穫高のグラフを見せて「昭和20年の収穫高が大幅に減っている理由は」と問題を出したところ、「原爆など空襲で田畑が焼かれたから」という回答が大半で「働き手が兵隊に取られ農作業が出来なかったから」と答えたのは1人だけ。「都市の空襲」という一面ばかり強調されてきた結果、こんな印象になったのですね(「機械化前の農業は若い男性がいないと無理」なことを現代人が実感できないともいえますが)。
kartis56 @kartis56 2015年6月14日
田舎だと農地解放で半強制で土地を切り売りさせられた戦後のほうがひどい目に合ってたり
カイト(左党靖) @ryuryu444 2015年6月14日
小学校でお年寄りに戦争体験を聞いたのだけど、軒並み『山の向こうで焼夷弾がとても綺麗で』って話ばかりで、教師が困っていた。
西 @jtmhtm 2015年6月14日
私の地元は福島の山間の小さな町ですが、祖父たちにも大規模な空襲はどこか遠い場所の出来事という印象でした。出征して亡くなった方も大勢いますし金属の供出などもありましたが、畑でほぼ自給する農家も多かったはずなので、少ないながら食物はあっただろうとは想像します。 東京から大勢の学童疎開がありましたが、今でも小学校どうし交流したりしていますね。個人的には「疎開した都会人に冷たい農村」という見方自体が全国的なステレオタイプではないような気がします。
Masaaki Katori @masa_shimofusa 2015年6月14日
35年前に亡くなった養祖母は「銚子の方向の空が真っ赤だった」って生前言ってました。ちなみに当方佐原で育ってます。市街地では攻撃は受けたけど、空襲はありませんでした。
もするさ§( •̀ᴗ•́) @mosurusa_0806 2015年6月15日
実はこっちの方が風化早そうだから、積極的に残しておきたい。
ええな@豚バラ🐽ばらまくニャ @WATERMAN1996 2015年6月15日
ちょっと前にツイッターで流れてきたのだが、皆着物というと絹ばかり持ってきよる、モンペを縫える木綿を持ってきて欲しい、なんて話もあったようで。都会と田舎の着物に対する感覚の違いがわかる話。
青木アキト(さんま) @akttt 2015年6月15日
田舎でも食糧難はあったらしく、ウチの祖母はその頃の体験がトラウマになってて、食べ物は腐ってもカビが生えても絶対に捨てようとしない人でした。
言葉使い @tennteke 2015年6月15日
私の母は仙台郊外の生まれでして、兵隊さんを一時住まわせることが決まったんだけど、兵隊さんたち荷物を仙台駅に置いて人間だけ先に家に着いたら、その晩仙台空襲があって荷物が全部焼けてしまったって話しをしていました。
もこ @mocomb 2015年6月16日
郷土史みると小規模な空襲はあったっぽい。戦闘機が飛来して銃撃、程度の。あと食糧確保が難しかったってのも書いてあったな。
言葉使い @tennteke 2015年6月16日
どこのツイートだか忘れたけど、挙げられた機種にたいして「それ戦闘機だろ!爆弾積んでねーよ!」とpgrするレスがあったんだけど、機銃掃射は空襲に入らないかな。
ポポイ @popoi 2015年6月16日
「沖縄が如何に酷い目に遭わされたか」って認識が、日本本土側に薄いのも気になる処。然るべき其れが有らば、現在、基地問題で、あそこまで無神経に成れる訳が無い。#戦争
name @unagi_anago 2015年6月17日
WATERMAN1996  それは、木綿の着物は自分らで普段着るからでしょう。まずその時点で不要なものから売るのは、今でも一緒
キカイザー @kikaiser 2015年7月30日
戦中はひもじかったとか言わなきゃいけない風潮が有るらしいな
repunit @FlatSharp 2015年8月27日
福島県相馬市だって艦載機による攻撃受けてるし南相馬に飛行場あったりしてるけどどう考えても都会ではないんだよな……
龍一/えんまんが @enmanga 2016年12月3日
昔、地元(田舎)のじいさん達に戦争中の話を聞いたけど、農家ばかりのせいか普通に飯食ってた。都会の戦争悲惨秘話みたいなのが、日本全国であったと考えるのはおかしい。
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