富山大学人間発達科学部の林衛先生に学ぶ科学
核物理学
励起、共鳴
「分子にシンクロする」と書かれていますが、
「励起」や「共鳴」の概念がゴッチャになっているようですね。
本人から補足説明がありましたが
「電離放射線であるX線、γ線と比べて、非電離放射線である電波、マイクロ波では、同じ光子1粒が担うエネルギーの大きさが断然低いのだけど」と書けば、言いたいことが明確に伝わると思います。
ただ、「同じ光子1粒」の「同じ」は意味不明です。
「電子レンジではマイクロ波によって伝えられた熱エネルギーを利用する」という説明では、どこかに熱源があって、それがマイクロ波で物質に伝わっているかのように読めるので、適切とはいえません。
電子レンジにおいては、電磁気のエネルギーを水分子に共振させて熱エネルギーに変換しています。
いずれにせよ、このような現象を「シンクロする」と表現するのは林氏独自のスタイルであって、通常は「共鳴、共振 resonance」が使われます。「通じていませんね」という原因は、情報の受け手に問題があるからではなく、林氏の文章がわかりにくいうえ、慣習と異なる用語を使っているからではないでしょうか。
イオン化
「分子を破壊」「分子を壊す」と書かれていますが、
「イオン化」のことなのでしょうか。
統計学
有意水準
検定においては、有意水準は事前に決めるか慣習に従います。通常、0.05、0.01、0.001が用いられます。
慣習から外れる有意水準を用いると、結論の信頼性に疑義を抱かれることになるだろう。それこそ「恣意的だ」と批判を受けてもおかしくありません。
なお、後付けで有意になるように水準を決めるのは、そもそも何のために検定をしているのか意義が問われることになるでしょう。林先生に言われるまでもないことです。
第1種の過誤、第2種の過誤
第1種の過誤を「ねらって空振り」、第2種の過誤を「ねらいもせずに見落としてしまう」という譬えは、わかりにくいですね。後者を「見落とし」というのはまだわかりますが、前者を「空振り」というのは、まったく理解できません。
第1種の過誤(偽陽性)は、帰無仮説が正しいにもかかわらず棄却する誤りです。例えば「病気であるとは言えない」という帰無仮説を誤って棄却すると、本当は病気でないのに「病気である」という結論になってしまいます。
第2種の過誤(偽陰性)は、帰無仮説が誤っているにもかかわらず採択してしまう誤りです。例えば「病気であるとは言えない」という帰無仮説を誤って採択すると、本当は病気なのに、「病気であるとは言えない」という結論になってしまいます。なお「病気でない」とまでは言えません。
一般に、偽陽性と偽陰性はトレードオフの関係にあり、偽陰性を減らそうと思ったら、偽陽性が増えます。病気な人を漏れなく見つけ出そうと思ったら、検査にひっかかる基準を低くします。すると、本当は病気なのに病気でないとする偽陰性が減る一方で、本当は病気でないのに病気であると診断されてしまう偽陽性の人が増えます。一方に注意を払い、一方を忘れる、などというバランスを欠く運用はされません。
例えば、陽性と判定された人に対して方法を変えるなどして再度検査し、本当に病気なのかどうかを調べます。健康診断で疑いがあったら精密検査をする、というようなものです。こういう運用を指して「第1種の過誤には注意を払うが、第2種の過誤への注意を忘れる」とは言うのはおかしいでしょう。
平均値の差の検定
「平均値でみて増えている」というためには、2つの集団の間の平均値に差があることを検定する必要があります。
平均が少し違うからといって、ばらつきが大きければ、たまたまそうなったという偶然を排除しきれないからです。
つまり、「統計的に有意」でなければ、「平均値でみて増えている」などと胸を張って言うことはできません。