金明秀さんによる「アイデンティティ・ポリティクス/脱アイデンティティ・ポリティクス」論、および差別に対抗する際の「二正面作戦」の重要性について
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「アイデンティティ・ポリティクス」と「脱アイデンティティ・ポリティクス」
ぼくは「アイデンティティ・ポリティクス」という言葉をよく使ってきたけど、最近は2つの意味を文脈によって使い分けている。ひとつは「在日コリアンだけをアイデンティティ集団とする運動」、もうひとつは「在日コリアンを主たる発信源としつつも固有の利害を超越して連帯を志向する運動」。
2015-06-16 03:11:42「在日コリアンだけをアイデンティティ集団とする運動」というのは、在日が日本における最大のナショナル・マイノリティだった80年代半ばまでは重要な意義を持っていたのだけど、いろいろと弊害もあるんだよね。
2015-06-16 03:16:30もともとアイデンティティ・ポリティクスというのは、差異を共有するとみなされる集団を一つの共通するカテゴリーで表象してしまうので、その集団内部における差異が結果として不可視化される弊害がある。在日の中の女性の要求が後回しになったり、複数のルーツを持つケースがないがしろにされたり。
2015-06-16 03:20:18それでも、80年代半ばまでは「在日コリアンだけを標的とした抑圧構造」といえるようなものがあったから、たとえ弊害はあっても「在日コリアンだけをアイデンティティ集団とする運動」に大切な役割があると考えられていたのだけど、いまはずいぶん状況が違う。
2015-06-16 03:23:02いまでも「在日コリアンを標的とした抑圧構造」は存在するし、とりわけ朝鮮籍者を狙い打ちにした差別は無視できないのだけど、その抑圧構造は在日コリアンだけを標的にしたものというより、在日コリアンを一つのプロトタイプとしつつも多様なマイノリティへの抑圧と通底するものだと考えたほうが正確。
2015-06-16 03:28:32そういう時代状況の中で、「在日コリアンを主たる発信源としつつも固有の利害を超越して連帯を志向する運動」がさまざまに実践されるようになっているのは、当然のことだといえる。在日コリアンの団体としてスタートしたNPOがいまやニューカマーを主たる支援の対象にしていたり。
2015-06-16 03:31:50アイデンティティ・ポリティクスというのはアイデンティティ集団のための運動のことなのだけど、「アイデンティティ集団」の輪郭がグローバル化の中で多様化したり拡張したりしている、ということもできる。
2015-06-16 03:33:28「仲パレ」もその一つ。当初の主要な運営メンバーの過半数が朝鮮半島になんらかのルーツを持つ人物だったし、在日コリアンを主たるターゲットとするヘイト活動へのカウンター運動の中から生まれたイベントではあるのだけど、「在日コリアンだけをアイデンティティ集団とする運動」にはならなかった。
2015-06-16 03:37:27在日コリアンを主たる標的とする抑圧構造の存在を前提として踏まえつつも、それだけにこだわることなく、あらゆる差別に対抗する人々の連帯を志向する運動として開催された。一見すると、アイデンティティ・ポリティクスというより、ただの普遍主義的な運動に見えるほどに。
2015-06-16 03:40:58そうすると、「在日コリアンだけをアイデンティティ集団とする運動」の様式に慣れきった人には、ある種の裏切りに見えたりするみたいなんだよね。「マジョリティに迎合している」だの、ひどいものになると「仲パレこそが差別だ」ぐらいの誹謗をしたり。
2015-06-16 03:44:14繰り返しになるけど、「在日コリアンだけをアイデンティティ集団とする運動」は、今でも文脈によって重要性を失っていない。残念ながら、在日コリアンを主たる標的とした抑圧構造は今もあるから。とはいえ、80年代までとは状況がずいぶん違う。新しい運動が必要な文脈が多数生まれている。
2015-06-16 03:52:30脱アイデンティティ・ポリティクスとでも言うべき「在日コリアンを主たる発信源としつつも固有の利害を超越して連帯を志向する運動」は、さまざまな要求に合わせたイノベーションによって実現したもの。旧来のアイデンティティ・ポリティクスの立場からそれを攻撃するのは、狭隘だとの批判は免れまい。
2015-06-16 03:59:00文脈を問わず、一つの正論として旧来のアイデンティティ・ポリティクスを主張するのはいい。それ自体は否定されるべきじゃない。でも、その立場から新しいアイデンティティ・ポリティクスを否定してしまうようでは、正論ですらなくなってしまう。双方の重要性を知る立場からは、それはやめてほしい。
2015-06-16 04:02:40反差別に必要なのは「二正面作戦」
差別に対抗するには、3通りの《二正面作戦》が必要。なぜなら、(1)差別には「見下し」「遠ざけ」「同化強要」という3通りの表出形態があり、(2)ある表出形態に対処するのに二正面作戦を取らないと、対抗策自体が別の表出形態の差別に転化してしまうから。
2015-06-16 14:57:05「見下し」の差別とは、ある集団に帰属する者を、「われわれより劣った者だから不利な扱いを受けても仕方がない」と扱うこと。例:「朝鮮人は嘘つきでずるがしこい。入居にあたって3倍の保証金を納めてもらうのはあたりまえだ。」
2015-06-16 14:57:25「遠ざけ」の差別とは、ある集団に帰属する者を異質だとみなして、忌避したり、関係を絶ったり、資源を共有するための集団や組織から排除したりすること。例:「女は子どもを産み育てる性。男とは違うので仕事を持つ必要はない。」
2015-06-16 14:57:44「同化強要」の差別とは、あるアイデンティティ集団からの固有の要求を否定したり、その集団の差異の価値を貶めたりすること。例:「障害者も健常者も、みんなおんなじ。特別あつかいしません。」
2015-06-16 14:58:11「見下し」に対抗するには、「遠ざけ」にも「同化強要」にもならないように注意しながら分配の衡平を追求する必要がある。「遠ざけ」方向への失敗例:「在日は、こんなふうに差別される弱者なんです。」「同化」方向への失敗例:「在日も日本人も、おなじ人間です。」
2015-06-16 14:58:32「遠ざけ」に対抗するには、「見下し」にも「同化強要」にもならないように注意しながら結果の平等を追求する必要がある。「見下し」方向への失敗例:「女性はかわいそうな存在。やさしくしてあげよう。」「同化」方向への失敗例:「女性も男性も、おなじ人間です。」
2015-06-16 14:58:53「同化強要」に対抗するには、「遠ざけ」にも「見下し」にもならないように注意しながら差異の承認を追求する必要がある。「見下し」方向への失敗例:「障害者はかわいそうな人たちだ。保護が必要。」「遠ざけ」方向への失敗例:「障害者は健常者とは違うので、かれらだけの世界で生きるほうが幸せ。」
2015-06-16 14:59:13反差別運動では、3種類の表出様式に対抗する運動間ですれちがう場面がしばしば見られる。異なる種類の差別に対処するための運動で衝突するなどばかばかしいかぎりだが、双方がそれぞれに二正面作戦をきちんととっていなければ、必然的に衝突する。
2015-06-16 14:59:34例えば、仲パレは3種類の二正面作戦をきちんと採用した運動だったと各方面から高く評価されているが、それに対して、「見下し」だけを重視する者が「格差や植民地主義を隠蔽している」と噛み付いたり、「同化強要」だけを重視する者が「同化主義的だ」と中傷したり。
2015-06-16 14:59:53でも、「格差や植民地主義を隠蔽している」と噛み付いた人たちが、「遠ざけ」にも対抗しなければならないと主張することはなかったし、「同化主義的だ」と中傷した人たちが、「遠ざけ」や「見下し」にも対抗しなければならないという主張に反論できたためしがなかった。
2015-06-16 15:00:22