山本七平botまとめ/【十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動④】明治以来一貫してエネ不足に苦しんだ日本において唯一の例外だった1960年代

山本七平『1990年代の日本』/十五年周期仮説でみる昭和史/昭和における変動/先行する意識の変化/198頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【先行する意識の変化】そういうふうに見ていくと、まず意識の変化があり、その変化に対応する形で社会が変化していく。 これが75年のときにも出ており、それまでの経済成長時代の意識を清算して別の意識になっている。<『1990年代の日本』

2015-06-20 23:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

②いわば何でもよいからその社会が安定をしてほしいという意識になっているが、これは「保守のための革新」が行きすぎて、社会そのものが変化し、そのため自己の生活が大きく変わりすぎたことへのブレーキで起って当然だが、これは保守意識の表面化という形で出てくる。

2015-06-20 23:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

③この保守化が、また社会を変えていく。 こういう構造は80年代も変わらないと見ていい。 とすると、それに各人がどう対応していくかが、これからの問題になる。 その間に日本には、様々な外圧がいや応なく作用してくるわけで、80年代の当初はそれが石油問題という形で集約されていた。

2015-06-21 08:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

④では石油は本当にどれだけ足りなかったのか、色々な計算があるが一時的に不足したのは4%以下ではないかと思われる。いわばほんの僅かの需給ギャップだがエネルギーは食糧と同じだから4%不足すると暴騰しても不思議ではない。そのかわり4%余ると暴落する。そういう経過をたどって不思議でない。

2015-06-21 08:39:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤しかし、これは日本にとって少しも珍しい状態ではない。 そう言うと、不思議と思う人もいるが、日本は明治以来一貫して外貨とエネルギーの不足に悩んできた国であり、エネルギーを自由に幾らでも買えるという状態にあったのは、過去の15年間がはじめてで、(続

2015-06-21 09:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥続>いわばこれは特別の時代で、その前は一貫してエネルギーをどうやって手に入れるかが大きな問題であった。 外国ではとても炭坑とは言えないような炭坑まで掘る。 それ以外にエネルギーがないから、これはいたしかたない。 これは日本人にとっては一つの宿命であった。

2015-06-21 09:39:05
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦終戦直後を見るとまことに酷い状態で、鉄鋼の生産量がわずか55万トンに落ちている。 55万トンというのは”大変酷い量”で、戦前最盛時の十分の一にすぎない。 鉄鋼55万トンという状態になったら、今の日本の社会はどうなるか。

2015-06-21 10:08:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧これは想像を絶する状態だが、当時の日本はそういう状態であった。 同時にエネルギーは石炭しかない。 石炭を掘りたくても、掘るための鉄鋼がない。 鉄鋼を生産しようと思っても、そのための石炭がない。 この悪循環で動きがとれない。

2015-06-21 10:39:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨その時に”傾斜生産”で、まず石炭を3千3百万トン掘る、 一般用を7百万トン、あと2千5百万トンは産業用というのを、何でも構わないから全部鉄鋼に入れてしまえ、 である。

2015-06-21 11:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩その間、国民は無エネルギー状態で生きていろというような形で、やっと鉄鋼をつくりそれを炭坑に投入して、できた石炭から鉄鋼をつくる、 この苦しい傾斜生産方式で、われわれはどうやら戦後を切り抜けてきた。

2015-06-21 11:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪実はこれが明治以来の日本の普通の状態といってもいいわけで、戦前よりも安いバーレル2ドル70セント台で石油が買えるというような状態は、実はこの15年間だけだった。 従ってこういう状態に対して、いかに耐えるかという体質は、実は日本が世界で一番もっているはずなのである。

2015-06-21 12:09:03
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫この特異な15年間、すなわち、昭和35年以降の経済成長期は以上の転換のもとになっているわけだが、これもたいへん面白い。 中東へ行くと、よく 「こういう状態を引き起したのは日本の責任だ」 と言われる。

2015-06-21 12:39:02
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬なぜかというと、日本の初めてといっていい海外への大投資はアラビア石油だが、これがペルシア湾で油田を掘りあてた。 実は、ほかの利権をとりたかったのだが、とれなかったので、海底油田の利権、サウジとクウェートとの間の中間地帯の沖合いの利権をとった。

2015-06-21 13:09:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭ほかの石油資本が見向きもしないところを掘ったところが第一坑からいきなり石油が噴き出した。 実に奇妙なことが起ったわけである。 通常7本に一本当れば奇蹟的大成功と言われるものが、日本が初めてこういうことをやったらその第一発がたちまち当ってしまった。

2015-06-21 13:38:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮変な言い方だが、生まれて初めて宝くじを買ったら大当りのようなもので、世界的にたいへん驚いたわけである。 以後、掘れば掘るだけ当ってしまう。 これはたいへんなことで、あり得ない奇蹟のようなことである。

2015-06-21 14:09:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯そこでペルシア湾に世界じゅうの石油資本が殺到するという結果を生じ、当時の記録を見ると、その直後にあの付近の海面は、世界の石油会社が利権を設定して網の目のように区切られてしまう。

2015-06-21 14:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰見向きもしなかった所で、みなが一斉に掘削を始めた。 これがぺルシア湾に石油が集中してしまった理由で、その先鞭をつけたのは日本だと言われるわけである。 確かに不思議なことで、これが昭和33年である。 つまり、戦前よりも石油の値段を下げた。

2015-06-21 15:09:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱これが日本に直接、間接にプラスをして、エネルギー獲得のための苦労がなくなった。 これが「列島改造論」のような、暴論と言えるものを生み出すわけで、 石油は幾らでもある、永久に2ドル70セントで買えるのだ という意識を皆がもつようになる。

2015-06-21 15:39:02