山本七平botまとめ/【1990年代の日本/潜在化する意識の転換④】休養・休止願望期における安易な無責任論的主張「なるなる論」

山本七平『1990年代の日本』/1990年代の日本/潜在化する意識の転換/なるなる論/233頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【なるなる論】1975年からおそらく90年までつづく休養・休止願望期間のもう一つの特徴は、私が以前に指摘した「なるなる論」が主流を占めるということである。<『1990年代の日本』

2015-06-26 13:38:56
山本七平bot @yamamoto7hei

②これは「こうするとああなる、ああなるとこうなる、こうなるとああなって、結局こうなる。だからやめておこう」といった議論、 いわば「何かする」という発想を拒否する議論なのである。 前にある大学の教授会で「火事になったら消防士を入れるべきか否か」が議題になった。

2015-06-26 14:08:57
山本七平bot @yamamoto7hei

③こういうことが議題となること自体、すでに、少々おかしな空気が支配している証拠だが、何とその結論は 「火事になって消防士を入れると学問の自由が侵されるから、入れるべきでない」 であった。

2015-06-26 14:38:57
山本七平bot @yamamoto7hei

④大学教授の中には非常識な人も少なくないがこの正常人には理解できない結論に導いたものは次のような議論であった。「火事になって消防士を入れる。すると学生が騒げば警官を入れてよいという事になる。そうなるとこうなる。こうなるとああなる。そして終局的には学問の自由が侵される事になる」と。

2015-06-26 15:09:00
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤そこで、そのはじめと終りを結びつけると、 「火事になって消防士を入れると学問の自由が侵される」 ということになるのだが、いかに非常識な教授でも、それを本当は信じてはいまい。 恐らく、このような「なるなる論」を展開した真の動機、いわば潜在的な動機は別にあった筈である。

2015-06-26 15:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥それはおそらくうちつづく学園騒動がやっと終り、非常に強い休養・休止願望が背後にあって、何か学生を刺戟して騒動の種となりそうなものには本能的な拒否反応を起す。 いわばもう何もしたくなく、何でもよいからこの平静な状態がつづいて欲しいわけである。

2015-06-26 16:08:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦そういう場合、「する」という発想を一切拒否するために、「なるなる論」が展開される。 それはこの教授会だけでない。 「何かをする」を拒否する場合必ず 「それをすればこうなる、こうなるとああなる」がはじまり、「結局こうなる」からやめよう、 ということになる。

2015-06-26 16:38:58
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧これは国内問題にも国際問題にも現われており、「なるなる論」ではないかという目で点検していけば到る所にあると言ってよい。 さらに、この「なるなる論」は、 論者が何の責任も追究されない という便利な点がある。

2015-06-26 17:08:59
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨というのは、「なるなる論」を押し切って「する論」が勝ち、実際に着手した場合、成功もあるであろうが失敗もある。 失敗した場合は「する論者」はその責任を追究される。 だが一方、成功した場合「なる論者」は別に責任を追究されるわけではない。

2015-06-26 17:38:57
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩というのは「なる論者」は決して「する論者」に、「それをしてはならない」といって反対したわけでも妨害したわけでもないからである。

2015-06-26 18:08:55
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪そして「お前の言う通りにならなかったではないか」と言われれば「私はあの時点の客観情勢を前提に『こうなる』と予測しただけで、客観情勢が変化すればそうならなくて不思議ではない」といえば、客観情勢の変化はその人の責任ではないから、それで終りである。

2015-06-26 18:39:01
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫従って「なるなる論」は、休養・休止願望期に於る最も安易な無責任論的主張といえる。 明治から大正へと見ていくと、明治には「なるなる論」は決して主導性をもっていない。

2015-06-26 19:08:57