【心中天の網島】木ノ下裕一の補綴日誌まとめ

木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下裕一による『心中天の網島』の補綴日誌まとめ。 ーーーーー 木ノ下歌舞伎『心中天の網島』 2016年9月16日(水)〜20日(日)アトリエ劇研 2016年9月24日(木)〜10月7日(水)こまばアゴラ劇場 続きを読む
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木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌130】などなど。つい長くなってしまいました。たまたま心中場の補綴を例に〈四分割方式〉について書きましたが、この方法はどの場面の補綴でも結構応用が利きます(さほど自慢できる方法でもありませんが)。何の参考にもならないと思いますが、ちょっと書き留めておきたかった次第です。

2015-08-05 06:01:46
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌129】口当たりがよすぎる場合。却って古典の風味を損なっていると感じる場合に、スパイス的に入れ込むことがある。本筋に関係が無く、しかも意味のよくわからない言葉や表現ーいわば〈一種の異物〉を混入することで、古風な風合いが出たりするから、やっぱり補綴は難しいですね…。

2015-08-05 05:59:29
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌128】④「作品的は重要ではないし、現代人にも馴染みがないもの」については迷わずカット。こういう枝葉を刈り取ることによって、強調したい部分が浮き立って、全体が垢抜ける(ような気がする…)。ただ、ごく例外的に④を残すこともあり。それは、あまりにも全体がすっきりしすぎて、

2015-08-05 05:58:36
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌127】話を元に戻そう。③「作品的にさほど重要ではないが、現代人にもわかるもの」については、カットするか、あえて残すか、二通りの手段が考えられる。展開の足取りが急すぎると感じた時などは、あえて挿入し、劇のリズムを整えるための「クッション材」として使用することもある。

2015-08-05 05:57:50
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌126】しまうが、「天の網」のイメージと、二人の魂が空(そら)に向って昇天していくイメージを重ね合わせてみたかった。原作を一脱した改作ゆえに、批判があるかもしれないが、私が思う「人間救済劇としての近松劇」のイメージには近づく形にはなった。吉と出るか凶と出るかはお楽しみ。

2015-08-05 05:18:01
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌125】治兵「連れ立つて行かうよ。浮世を遁れし尼法師、世間の義理は昔の事。死なば体は土に帰り、心は空(そら)に帰る。」―長い話し合いの果てに、二人が「肉体と魂の議論」に答えを見出したことを強調した。「空」をあえて「そら」と読ませている。「五大」の仏教的世界観は喪失して

2015-08-05 05:12:40
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌124】結局この部分の補綴は、このように変更した(※原作ではこのあとに髪を切るが、補綴稿では思うところあって髪切りをその前に持ってきている)。 小春「苦界を遁れし尼法師。たとへこの体は鳶や烏につつかれて朽ちたとて、ふたりの魂つきまつはり、地獄へも極楽へも、」

2015-08-05 05:08:50
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌123】治兵衛の口から提示されているのだと私は解釈したい。その点のみを重要視すれば(そこがちゃんと伝わる補綴になっていれば)、あとは「五大」だろうが「四大」だろうが「地水火風」だろうが、(あくまで今回の解釈の場合は)さしたる問題ではなく、補綴の腹を括ることができる。

2015-08-05 05:01:17
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌122】つまり、様々な社会的なしがらみを抱えた治兵衛から→(髪を切ることで)しがらみから解放された一個人としての治兵衛になり→(死ぬことで)治兵衛という人間自体が消滅し→名も無い一個の〈魂〉となって「空(無)」に帰る…という、ゆっくりと有から無へと帰するプロセスが

2015-08-05 04:56:14
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌121】二人は話し合っている。それは、そのまま、近松による「人間救済論」でもある。これらの論争にひとまずの終止符を打つのが、あの「五大」の治兵衛の台詞なのだと私は解する。ここで、治兵衛はまず魂と肉体を分けて考えた。その上で、自らの髪を切り落とし世捨人(出家者)になる。

2015-08-05 04:47:50
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌120】「おさんたちを犠牲にした私たちに一緒に死ぬ権利はあるのか」「おさんのためにも、せめて肉体は別々に死ぬべきではないのか」「一緒に死ねば、一緒にあの世にいけるかの」「別々に死んだとしても、魂は一緒にあの世にいくことも可能なのではないか」…などについて

2015-08-05 04:40:34
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌119】古典の〈アイデンティティ〉を喪失させかねない危険を孕んでいくことは重々承知しているつもりだけれど、場合によっては大きく筆を加えないといけないこともある。ここで治兵衛と小春は何について話しているのかーその根本に立ち返ってみよう。それは「魂と肉体についての論争」。

2015-08-05 04:33:37
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌118】万有を構成する四種の要素のこと。これに「空」を加えると「五大」になり、次の「五生」にかかる…とある。なるほど、面白い世界観だけれど、しかし、四大も五大も現代人にはあまりピンとこない。ピンとこないからといって無闇に言い換えるのは私は嫌いだし、その軽はずみな態度が

2015-08-05 04:18:51
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌117】「この体は、地水火風からなり、死ねば空(くう)に帰るというじゃないか。幾度生まれ変わっても私たち二人の魂は離れない証拠(がほしいというのなら)」というふうになるらしい。現代語訳しても難しい…むむむ。註釈によれば、「地水火風」とは「四大」ともいい、仏教で一切の

2015-08-05 04:09:19
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌116】それでよしとしている。例えば、治兵衛のこんな台詞(原文)→「此(こ)のからだは。地水火風(ちすいかふう)死ぬれば空(くう)に帰る。五生七生(ごしょうしちしょう)朽(く)ちせぬ。夫婦の魂(たましい)離(はな)れぬ印(しるし)」。実に難しい台詞ですね。現代語に訳すと

2015-08-05 04:00:08
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌115】。②「作品的に重要ではあるが、現代では全く通じないもの」については、もう少し抜本的な加筆が必要。①はなるべく原文を言葉のレベルで残そうとしていたのに対し、②は、原文にこだわらず、大部分いじってでも、同じような効果の出る言葉に置き換えられるのであれば、

2015-08-05 03:52:50
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌114】これにより、ふたりが「迎ひの烏」の存在を認識したということが強調される。また、「牛王の裏」云々、「新玉の年」云々のくだりなどの難しい表現は(掛詞的味わいを削ぐのは覚悟の上で)複雑になりすぎるのでカットしている。このようにして①については処理していく。

2015-08-05 03:42:44
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌113】小春「月のはじめ月がしら、こなさんと書き交はした誓紙の数々。そのたびごとに三羽ずつ殺した烏は幾許ぞや。その烏があの世から、ふたりを迎へに来やしやんしたの。」 原作と読み比べるとおわかりいただけると思うが、原作では治兵衛一人の台詞(詞)をあえてふたりに割り振った。

2015-08-05 03:36:21
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌112】 ト、この時、烏の群れの羽音、烏の鳴く声が聞える。ふたり、これを聞き、 治兵「なう、あれを聞きや。ふたりを冥土へ迎ひの烏。誓紙一枚書くたびに、熊野の烏が三羽ずつ死ぬと昔より言い伝へしが」

2015-08-05 03:33:39
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌111】(そういった文化的背景を無視したとしても)烏(トリ)があの世から迎えにくるといった〈幻想〉は、そう理解できないものではないし、充分にイメージを喚起させる強度を有していると思うので、ぜひ原作を活かしたい。今回の補綴では治兵衛と小春にこう云わせることにした。

2015-08-05 03:27:29
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌110】「烏」は、全編を通して要所要所に登場してきた極めて重要なキーワードであり、その存在が心中場において「冥土からの使者」に転化し集約されるわけだから、作品的に極めて重要なのは言うまでもない。また、熊野権現の八咫烏伝説や起請文の烏の逸話になじみのない現代人にとっても、

2015-08-05 03:19:59
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌109】そして、それぞれ処理方法が異なる。①作品的に重要であり、かつ現代でも意味の通るもの。→当然、できるだけ原作のまま残す。一つ例をあげるなら、「烏」。二人がまさに死のうとする瞬間に、烏の群れが一斉に飛び立つくだりがある。それを見て治兵衛が「冥土へ迎ひの烏」だと言う。

2015-08-05 03:11:34
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌108】取捨選択するにあたって、まずは四つに分類する。即ち、①作品的に重要であり、かつ現代でも意味の通るもの。②作品的に重要ではあるが、現代では全く通じないもの。③作品的にさほど重要ではないが、現代人にもわかるもの。④作品的は重要ではないし、現代人にも馴染みがないもの。

2015-08-05 03:02:27
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌107】「〈仏〉的なるもの」と二重イメージになっている。その作者の徹底ぶりに、ちょっと狂気すら感じる…が、ここらが、近松のレトリックの巧さでもある反面、「現代化」する際に厄介なところでもあるのだ。ゆえに補綴に際し〈仏教的な箇所〉の一つひとつを取捨選択しなければいけない。

2015-08-05 02:55:33
木ノ下裕一 @KINOSHITAyuichi

【補綴日誌106】仏教に関係の無い箇所を探すほうが難しいほどで、小春治兵衛のやりとりと行動は全て仏法的倫理観に(時にはコジツケっぽくはあるが)裏付けされているし、沈みゆく月を「西方」に、小春を殺害する脇差を「弥陀の利剣」に…というふうに見立てられ、それら情景や小道具などの全てが、

2015-08-05 02:54:29
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