【心中天の網島】木ノ下裕一の補綴日誌まとめ
- KINOSHITAkabuki
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【補綴日誌105】心中場補綴について、あえて一つだけ述べるとするならば、一貫して根底に流れる「仏教的死生観」と、随所にちりばめられた「仏教用語」の処理の問題でしょう。とにかく、大長寺の場は、「これ、全編が仏教の経文なんじゃないか…」と思えてくるぐらい、仏教色が強い。というか、
2015-08-05 02:17:02【補綴日誌104】実際、この作業がどこまでの効果をあげているかについては、稽古場で俳優さんに声に出して読んでいただいくまでわかりません(ここらが芝居の台本の面白くも難しいところです)が、「細部に神宿る」というふうにいきたいものですね。
2015-08-05 02:11:43【補綴日誌103】しているので、とても説明が追いつかないのであります。しかし、このちまちました作業こそが大切なのであって、枝葉の細部を細かく調整していくことで、自ずから全体のテーマが浮き立って見え、我々の補綴のオリジナリティも匂うようになる…と信じているのですね。
2015-08-05 02:01:02【補綴日誌102】さて、具体的に大長寺の心中場をどのように補綴したかについては、この場でこまごまと説明するより、「現物(台本、または作品)」をご覧いただくに限ると思うので、差し控えたい。というのも、原作を実にちまちまと、書き換えたり、台詞を複雑に入れ替えたり、細かくカットしたり
2015-08-05 01:53:50【補綴日誌101】全体の流れは稲垣案に即し、ごく細かな箇所のみ、部分的に木ノ下案を取り入れるといった折衷稿でした。予めそうしようと思って筆をとったわけではなく、筆が赴くままに書いていると、自然とそこに落ち着いたという感じで、大枠が稲垣案になったのは、我ながら不思議でもありました。
2015-08-04 20:31:57【補綴日誌100】書くことができて、気分はよかったのでした。補綴をしていると、ごく稀にこのような感覚を味わうことがあって、それまでが、岩にノミで穴をコツコツ開けるような作業だっただけに、その嬉しさたるや。だから補綴はやめられないのであります♪結果的に、「心中場」はこうなりました。
2015-08-04 20:27:46【補綴日誌99】これまでの補綴稿に、頭からザーと目を通し、流れを掴んだ上で、あえて「補綴ノート」や資料の類を一切参照せず、原作だけを机において、感覚を頼りに筆を進めていきました。まさに筆の赴くままに、書き進めていくのですが、不思議と筆は止まらず、気分的にはやや「ノッた」状態で
2015-08-04 20:08:52【補綴日誌98】すでに用意しており、どちらを採択するのかはあえて決めずに今日まで補綴を進めてきた(【補綴日誌】34~39参照)。他の場面全ての補綴稿が出来上がった今、いよいよ「心中場」に正面から向い合い、結論を出さねばならない。ここまで極まれば、あとは「筆まかせ」が一番なのです。
2015-08-04 19:54:18【補綴日誌97】なんといっても、この日の山場は「大長寺の心中場」(原作下之巻)で、このクライマックスをどう補綴するのか(主人公二人をどう殺すのか)が、今回最大の難所であり肝だということは何度もこの日誌に書いてきたとおり。「補綴ノート」の段階で二つの補綴プラン(木ノ下案・稲垣案)を
2015-08-04 19:46:42【補綴日誌96】コンを詰めた甲斐あり、めでたく第一稿が出来上がりました。第一稿と申しましても、わりと丁寧にじっくり執筆していたので、事実上ほぼ完成稿でございます。これを糸井さんに渡し、それから音楽を作っていただきます。つまり、演出家にお渡しする作品の「設計図」みたいなものですね。
2015-08-04 19:03:28【補綴日誌95】7/14(火)。さて、「いつの話や…」とお思いになるかもしれませんが、溜め込んでいた補綴日誌の続きをば。14日分でございます。第一稿〆切が迫ったこの日、「目指せ脱稿!」ということで京都太秦の木ノ下歌舞伎の事務所に稲垣助手と一日籠もっての作業。最終決戦でありました。
2015-08-04 18:58:46【補綴日誌94】13日分に思わず時間を費やしてしまったわ…。続きの14日分はまた日を改めて書くことにしましょう。ではでは、この地味でマニアックな日誌を読んでくださっている〈奇特〉な皆さま、また次回お会いいたしましょう。
2015-07-29 03:08:43【補綴日誌93】「おさん」の名前も盛り込むことができたのは、我ながら「儲けもん」でした(笑)。まあ、稽古に入ったら、この苦心の台詞も、ばっさりカットということもありえるので(結果、そうなってもわたしゃぜんぜん厭わないよ)、補綴というのは賽の河原の石積みのような作業なのであります。
2015-07-29 03:07:40【補綴日誌92】「四九三十六匁三六が一匁八分で二分足らぬ勘定。一貫、二貫、三、勘太郎よお末よ、祖母様伯父様お出でぢや煙草盆持ておぢや。」。「二分の欠(かん)」と「勘太郎」の地口を廃し、何貫目の「貫(かん)」と「勘太郎」を掛けた。「一貫、二貫、三、勘(貫)太郎」とすることで、
2015-07-29 03:06:56【補綴日誌91】「四九三十六匁三六が壱匁八分で二分の勘太郎よお末よ。祖母様伯父様お出でぢや煙草盆持つておぢや。…」という原文の趣向を活かしながら、どうにかして現代人にもわかるように補綴したいという問題(【補綴日誌】48~53参照)。悩んだ末に、最終的にこうしました。
2015-07-29 02:40:14【補綴日誌90】さて、この日は、主に木ノ下が「紙屋内」を、稲垣助手が「河庄」を担当しそれぞれ補綴。「補綴ノート」を元に、台本形式にしていきます。これまで、あえて曖昧にしていた箇所(悩みどころ)にも、答えを出していく。たとえば、以前、この日誌でも紹介した、「紙屋内」の治兵衛の台詞。
2015-07-29 02:31:17【補綴日誌89】内心、まんざらでもない木ノ下なのでした。まあ、どちらかと云うと「同志」という感覚に近いですが、師弟のような濃い関係性もちょっぴりなきにしもあらずで、木ノ下歌舞伎でやっていることのうち、一つか二つでも、彼個人の活動に活かせるものがあれば…と切に願うのであります。
2015-07-29 02:17:01【補綴日誌88】余談ですが、最近数人の方から「そういえば木ノ下さんのお弟子さんお元気ですか?」と声をかけられることがあり、「お弟子さん」という言葉のチョイスに吹き出しそうになりながら「あ、稲垣くんですね。彼は助手をやってくれていて、弟子ではないんですけどね。」なんて弁明しながら、
2015-07-29 02:05:32【補綴日誌87】なんにせよ稲垣助手が現れてから、「補綴台本」の密度と精度が格段に上がったことには疑いはなく、それ以上に、二人いると執筆しながらさまざま議論ができるという意味で、補綴のプロセスが豊かになりました。その点「持つべきものは助手でござる」と主宰は感謝しているのであります。
2015-07-29 02:00:16【補綴日誌86】『三人吉三』では、大幅なカット、書き換え、加筆ありの創作的要素の入った「力技補綴」を体験し、『心中天の網島』では浄瑠璃を劇化するという難題に挑戦し…という具合に、くしくも徐々に難易度が上がっていったのも、よかったのかもしれません(彼は大変だったでしょうけど笑)。
2015-07-29 01:51:54【補綴日誌85】その間、彼がメキメキと補綴の腕を上げ、頼れる助手になってきたことは、以前、補綴日誌(56~58参照)に書いたところ。思い返せば、『黒塚』では資料収集に従事してもらい、『~四谷怪談』では物語の骨格をはっきりさせていくようなシンプルで基本的な補綴を体験し、
2015-07-29 01:42:45【補綴日誌84】さしあたって、「演出家のパートナー」という意味では、稲垣助手と木ノ下、やっていることが似ているので、妙に馬が合うのかもしれませんな。稲垣助手とは『黒塚』、『東海道四谷怪談』、『三人吉三』そして今回の『心中天の網島』と、四作品を一緒に補綴してきまして、
2015-07-29 01:35:24【補綴日誌83】(※補足。とはいうものの、ドラマトゥルクというお仕事が日本に普及し始めてまだ歴史が浅いので、人によって業務内容や現場でのスタンスは様々なようです。ヨーロッパなどには劇場専属のドラマトゥルクもいて、日本とはまた意味合いが微妙に異なるようですね。)
2015-07-29 01:26:05【補綴日誌82】「ドラマトゥルク」っていう肩書き、日本では耳馴染みがないかもしれませんが、まあ、ざっくり言えば、演出家のパートナーとして作品を支えるお仕事。演出家の相談役であり、サポーターであり、また客観的にアドバイスするという意味では最も身近な批評家ともいえるかもしれません。
2015-07-29 01:16:35【補綴日誌81】稲垣助手。姓は稲垣、名は貴俊。26歳の青年であります。2012年の暮れに木ノ下歌舞伎のメンバーになりました。彼はドラマトゥルク志望、というか、すでに、京都の新進気鋭の劇団「劇団しようよ」のメンバーでもあり、専属ドラマトゥルクをやってます(ていうか、そちらが本業)。
2015-07-29 01:11:04