表象文化論学会第10回大会2日目
2015/7/5に行われた、表象文化論学会第10回大会2日目のツダりまとめです。「パネル1:映画的問題の格闘の場としての〈家族〉──1930-60年代日本映画をめぐって」と、「パネル5:デジタル・メディア時代における身体と経験」のツイートが多くなっています。
http://www.repre.org/conventions/10/
- Cristoforou
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やまけん🏳️⚧️🏳️🌈
@yamakenta
明日の表象文化論学会第10回大会のパネル4「語られるフィクション」に「朗読の演劇 サミュエル・ベケット『オハイオ即興劇』試論」という発表で参加します。パネリストは他に關智子さん、藤原麻優子さん、コメンテーターに佐々木敦先生をお迎えしてのパネルです。
2015-07-04 22:03:23
saebou
@Cristoforou
#repre10 なんかこの映画、ストーリーをきいてるだけだとすごく無理がある話みたいに聞こえるんだが、全部見たらちゃんと話が通ってるのかな?
2015-07-05 10:18:56
saebou
@Cristoforou
#repre10 『淑女は何を忘れたか』は小津のトーキー第二作で、大阪弁と東京弁を使った声の対比の工夫が人物関係を示すために効果的に使われている。サイレントではできない演出。
2015-07-05 10:23:41
saebou
@Cristoforou
#repre10 ホーム・ムーヴィー=異性愛規範と家族の幻想を強化し、再生産する映画カテゴリ。『夕やけ雲』は異性愛規範から逸脱するところがあるのでは?
2015-07-05 10:27:26
saebou
@Cristoforou
#repre10 1940-50年代くらいはフィルム入手などの関係でホーム・ムーヴィーが作れず、その代償的にホームドラマ映画がけっこう作られた
2015-07-05 10:31:02
saebou
@Cristoforou
#repre10 『夕やけ雲』では少年同士の初々しく清々しい触れあいが描かれており、肉体的な官能表現ではない。しかしながら異性愛規範から逸脱したところがないわけではない。
2015-07-05 10:37:10
saebou
@Cristoforou
#repre10 少年同士がナズナらしい草を違いの胸ポケットに指す場面で、ナズナの花言葉は「わたしのすべてをあげます」だそうだ。うーん、これはどうか。
2015-07-05 10:42:18