表象文化論学会第10回大会2日目
- Cristoforou
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#repre10 ここ、すごく疑問ある。「異性愛者の観客には認識できない領域」が表現されてるかもという話で、これは竹村和子先生の引用っぽいんだが、これ映画の話をする時に適切な表現か?
2015-07-05 10:44:55#repre10 1960年代の純愛映画では、白血病の男女比はだいたい同じだが、演出は性差によって全然違う。男性は労働者だが、女性はエプロンをつけた家庭的な婦人であることが多い
2015-07-05 10:52:05#repre10 純愛映画における、病の進行と結婚のプロット。片方が白血病だと親兄弟が結婚に反対するが、カップルのほうは恋愛結婚をめざそうとする。ただしこの手の映画では片方が必ず死ぬ。それでもカップルは家事とか一緒に住みたいとかそんなようなセリフで家族になることを理想化している。
2015-07-05 10:55:04#repre10 ケロイドじゃなく白血病の人が出てくるのが普通だが、白血病は外から見えない病気なので、プロット上、愛の障害になる病気の開示場面で盛り上げることができる。
2015-07-05 10:56:47#repre10 愛と病の進行をパラレルに描きつつ、原爆ドームとかあからさまな原爆表象が非政治化された形で出してくることがある。
2015-07-05 10:58:27#repre10 こういう映画の中にも恋愛結婚イデオロギーをそのまま表現したのではないものもある。吉村公三郎『その夜は忘れない』(1962)若尾文子のヒロイン、恋人が田宮二郎
2015-07-05 11:00:10#repre10 若尾文子が胸のケロイドを恋人にあからさまに開示して、そこに原爆被害が重なる場面がある。これはすごいあからさまだ。
2015-07-05 11:02:22#repre10 これ、終わり方が『ブロークバック・マウンテン』みたいなんだな。最後に田宮二郎演じる恋人の加宮が出かけた後広島に戻ってきたら若尾演じる女性秋子が死んでて、故人の女友達が秋子の結婚の意思を否定するらしい。恋愛結婚が加宮の幻想だったことを暗示
2015-07-05 11:04:44#repre10 若松孝二『壁の中の秘事』(1965) 純愛映画のその後。結婚生活の不毛についての作品。不満を持つ妻に対して、組合活動をしている労働者である夫が抑圧をかける。妻が「私も労働でもしようか」というと夫は妻を主婦としての立場を強調してとめる
2015-07-05 11:06:40#repre10 セックスシーンの後ろにスターリンのポスターがあって赤旗の歌がかかるらしい。共産党神話の破綻とかもおりこまれている
2015-07-05 11:07:18#repre10 反原水爆運動の分裂に対するアイロニーがある。この映画は他の純愛映画とは違って、近代家族の矛盾を明らかにしているし、反戦運動の象徴として形骸化した原爆表象にも批判的な目を向けている
2015-07-05 11:09:15#repre10 斉藤先生 節子は男のほうを支援してる。トリックスター?あと、平手打ちの場面について。あと、家族の中の男の暴力という主題についてもうちょっと補足がほしい←私もここがよく理解できなくて、それで話がどう通ってるのかよくわからなかった。
2015-07-05 11:21:42#repre10 『夕やけ雲』クィアな読みについて、それは観客の非異性愛者にアピールするものなのか、実はそういうのと関係なくいろんな観客の読みの問題か?←これ私も発表をきいていてよくわからなかった
2015-07-05 11:28:39