山本七平botまとめ/【日本のこれまでを支えたものは何だったのか③】「世間という書物」から日本の社会構造と各人の精神構造を学び取るも、それを「言葉に出来ない」失語症的状態の中小零細企業主
- yamamoto7hei
- 4888
- 164
- 0
- 1
①【「机上の空論」と「耳学問」のあいだ】日本の企業の95%以上を占める中小零細企業主、そしてその戦後経営の担い手は、その殆どが無学歴人である。 私の知っている印刷所、製本所の経営者達は、勿論、近代経済学もマルクス経済学も最新の経営学も知らなかった。<『日本資本主義の精神』
2015-07-02 16:38:52②第一、「経営者」などという言葉が彼らの社会で通用したのは、経済成長期にはいってからであり、その創業時代はまだ「ダンナ」であった。 そして、彼らの大部分は創業者か、もしくは実質的な創業者であった。何しろ徹底的な米軍の爆撃で、戦前の中小企業群は、文字どおり潰滅していたからである。
2015-07-02 17:09:01④この人びとは、戦前の「高等教育」にも「戦後教育」にも無関係であり、いわば「世間という膨大な書物」から、体験と観察によってすべてを学びとり、それを実際問題の場に適用して、ある種の経験則を確立し、それによってすべてに対処してきた人びとである。
2015-07-02 18:09:02⑤そしてこの経験則は、この社会ではそのまま通用し、それを無視しては一冊の本を世に送ることすら不可能なのである。 妙な言い方をすれば、デカルトも石田梅岩も「世間という膨大な書物」からも学んだ人だが、もちろんこのことは、中小企業主が両者と同じだということではない。
2015-07-02 18:38:52⑥しかしこの人びとが、「世間という書物」から日本の社会構造とそれに対応している各人の精神構造を学びとり、それを体得し、実際の場で活用する術を修得したことは、否定できない。
2015-07-02 19:09:03⑦だが、それを「言葉にして」自らの内で検討し、同時に「言葉にして」発表し、共通の「経験」として共に検討するという手段はもっていなかった。 ある意味では失語症的状態にあり、そのためこの人びとは「学」と名づけられた対象に対して、奇妙な愛憎両端をもちつづけていた。
2015-07-02 19:38:53⑧いわば、表面的には敬意を表しつつも内心では「机上の空論」として無視し、それでいながら「耳学問」的な知的渇望は異常といえるほど強かった。
2015-07-02 20:09:06⑨だが、いずれにせよ彼らは「自分たちの資本主義とその倫理」をひっさげて、偉い先生方に徹底的に反論し、その生産的な討論により相手に何かを与え、自分も何かを獲得しようなどとは、夢にも思っていなかった。
2015-07-02 20:38:51⑪彼らにとって「学」とは「知的舞台で演じられている」芝居であり、そこにはそこの「約束事」があり、「耳学問」という形で観賞しつつ、そこから何かのヒントを得ようとは思っても、それを現実の世界で、その筋書どおりに演じようなどとは、夢にも思っていなかった。
2015-07-02 21:38:54⑫これが、「机上の空論」と言いつつ「耳学問」的興味は旺盛な理由だが、それをもし「現実に適用できる原則」と考えて実地に移し、それによって倒産した者がいたら、その者は、この人たちの嘲罵と冷笑の対象になるだけであった。
2015-07-02 22:09:05⑬いわば、翻訳劇という芝居の世界を現実に演じて破滅した者を見るような目であり、そのときの好意的な批評は、せいぜい 「あの人は学者になればよかったんだよナ。」 であって、その言い方はまさに 「俳優になればよかったのに。」 に等しかった。
2015-07-02 22:38:52