東大駒場寮・女学生掃除アルバイト論争

1952年、高橋健二(ドイツ文学者)の「朝日新聞」寄稿から始まる一連のやりとりと、それに関する現代の皆さまの声をまとめました。少しずつ追加しています。 (投稿掲載に問題のある方はお知らせください。読みやすさを考慮して、自分の投稿の順番は多少前後しています)
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結婚相手としての好条件を備えているとみずから信じている若い男性が、その間違った自己理解を罰せられるという話は、そのような条件を備えている当該者たちに、マゾヒスティックなまでに好まれるように思われる。(高田里惠子『グロテスクな教養』)

2015-07-29 22:13:24
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高橋健二の「朝日新聞」(1952年11月19日朝刊)寄稿からしばらく後の53年4月。新入寮生受け入れの際、駒場寮では大掃除がおこなわれた。「部屋をきれいにして女学生を呼ぼう」という目的ではない。学生診療所長の重田定正教授から「これでは結核の温床」と警告されたことがきっかけだった。

2015-07-30 08:10:20
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寮は入口で土足を脱ぐ規則があったが、有名無実化し、土足のままで出入りする者が絶えなかった。そこで寮委員会ではまず中を徹底的に掃除した後で、「土足厳禁」を実行しようとした。「読売新聞」1953年5月11日朝刊には、このときの掃除の模様が、記事になって掲載されている。

2015-07-30 08:11:56
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>これまで学生寮といえば土足、万年床がつきものとされていたが、東京大学教養学部(旧一高寮)では「気持ちのよい学生生活をおくろう」という寮生の声が高まり、このほど"土足厳禁"を実行、寮生の手で電気洗濯機、真空掃除機から来客用上ゾウリまで備え、"きたない"伝統にサヨナラした。

2015-07-30 08:12:27
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>駒場寮はコンクリート3階建で3むね計150室、学生930名を収容している。(中略)まず委員長の文学部2年白石尚治君以下委員19名が各室をまわり寮生の賛成を得てから委員がハダシになり4月16、7日の両日廊下を水洗いし通学生や運動部員の協力もえて"土足厳禁"を実行した。

2015-07-30 08:14:28
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>この運動には極左の日共細胞も極右の再軍備論者も一致して強力、社研、政経研は特に"土足厳禁"を実行した。ついで同19日全寮員で各室を水洗いし、同21、2の両日には再び廊下の水洗い、23日と、この6、7日の油しきもスラスラと運び、寮内は見違えるほどきれいになった。(読売新聞)

2015-07-30 08:15:29
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数ヶ月前の「女学生掃除アルバイト論争」ではこんなことが新聞記事になるのかと憤慨している寮生もいたが、同じように、大掃除でもまた記事になる。それだけこの寮は注目されていた、ということだろう。もちろん掃除は女子学生に手伝ってもらったわけではない。すべて男子学生の寮生たちで実行された。

2015-07-30 08:23:41
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「(寮生たちは)『もうきたない寮にはもどらぬ』と大変な鼻息」と新聞記事では伝えられている。しかし、寮の衛生を保つ上で必要不可欠と目されていた「土足厳禁」の規則は、再び守られなくなっていく。この規則を徹底させようとする寮委員たちにとっては、終わりなき戦いが続いていった。

2015-07-30 08:33:42
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大掃除が新聞記事となり、寮生間で「土足厳禁」を徹底するという再確認がされてからからわずか2年後。寮委員会はキレ気味に、以下の掲示を出している。 「諸君! 土足を止めようではないか。現在程公然と土足が横行したことは且ってなかった。寮自治は危機に瀕していると云っても過言ではあるまい」

2015-07-30 08:45:27
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作家・池田みち子が『マドモアゼル』(1961年2月号)に掲載した「ルポルタージュ 東大駒場寮の秀才たちの昼と夜」より。 「彼らは一様にロマンチックで、案外に封建的である。男女関係では、封建制のために得をしている側の男性から新しい意見を聞こうと期待した私のほうが無理なのだろう」

2015-07-25 03:12:28
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池田「結婚について考えたことない? 理想の妻なんて?」 東大生「結婚なんて三十になってから。寛大でおとなしい女がいいな、ぼくがひと月ぐらい家へ帰らなくても何もいわないのが。結婚するのは美人でなくてもいいから、美人とうわ気してもおこらんのがいいな」

2015-07-25 03:14:12
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池田さん、ちょっとむっとしたのか、手厳しいことを書いている。 >(東大の)女子学生については、(東大の男子学生は)「あんなのに興味もつ男がいるかなア」とたいへん失礼なことをいった。おそらく女子学生の友だちが一人もいないに違いない。

2015-07-25 03:20:04
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>それにしても、選ばれた人のはずの学生が、権力の側につかず、権力を批判して、反抗するのだから、男の座にいすわったりせず、女の味方になって、新しい女性観を聞かせてくれてもよさそうなものである。(池田みち子)

2015-07-25 03:26:26
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ある日私たち夜中の政治集会に出ることになって、女の子たちはみんな一人二十個ずつの夜食用のおにぎり作って持ってくることって言われたの。冗談じゃないわよ、そんなの完全な性差別じゃない。(村上春樹『ノルウェイの森』)

2015-07-25 05:23:44
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でもまあいつも波風立てるのもどうかと思うから私何も言わずにちゃんとおにぎり二十個作っていったわよ。梅干し入れて海苔まいて。そうしたらあとでなんて言われたと思う? 小林のおにぎりは中に梅干ししか入ってなかった、おかずもついてなかったって言うのよ。(村上春樹『ノルウェイの森』)

2015-08-03 18:07:28
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他の女の子のは中に鮭やらタラコが入っていたし、玉子焼なんかがついてたりしたんですって。もうアホらしくて声も出なかったわね。革命云々を論じている連中がなんで夜食のおにぎりのことくらいで騒ぎまわらなくちゃならないのよ、いちいち。(村上春樹『ノルウェイの森』)

2015-08-03 18:07:44
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ある日私たち夜中の政治集会に出ることになって、女の子たちはみんな一人二十個ずつの夜食用のおにぎり作って持ってくることって言われたの。冗談じゃないわよ、そんなの完全な性差別じゃない。(村上春樹『ノルウェイの森』)

2015-08-03 18:07:14
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海苔まいてあって中に梅干しが入ってりゃ上等じゃないの。インドの子供のこと考えてごらんなさいよ(中略)こういうのが革命なら、私革命なんていらないわ。私きっとおにぎりに梅干ししか入れなかったっていう理由で銃殺されちゃうもの。(村上春樹『ノルウェイの森』)

2015-08-03 18:07:57
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しかし、運動に参加した彼女たちを待っていたのは「差別」だった。「おにぎり部隊」などと通称された炊事係、会議の書記、投石用の石運び、負傷者の救護班員など、「女の仕事」をあてがわれるケースが多かったのである。(小熊英二『1968』[下])

2015-07-25 05:36:58
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(前略、駒場寮の部屋は)紙くずは散らかしほうだいだし、文字どおり足の踏み場も手のあげ場もない。むすこを東大へ入学させたおかあさんが、むすこのはいる寮をみたいというので、つれてきたら「物置きではなく寮を見せてくれ」といったという話が伝わっている。(1961年、池田みち子)

2015-07-26 10:02:31
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それにしても、どうしてこんなにきたないのだろう、と私は考えた。(中略)そうじもせず片づけもしなかったら、自然によごれてくるし、よごれ始めると、紙くずなぞも平気で床へ捨てるようになるから、なおさらよごれる。ただそれだけの話かもしれない。(1961年、池田みち子)

2015-07-26 10:05:41
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それにしても、二十歳前後の青年が数人で一へやで暮らすとして、それが駒場寮のような東大生ではなく、義務教育を終わるとすぐ工場の見習い工になったり、デッチ奉公にやられたりしたような経歴の青年たちであったとしたら、彼らもこんなに部屋をよごすだろうか?(池田みち子)

2015-07-26 10:15:45
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駒場の人たちは、そうじなぞしたことがないから、そうじするよりはよごれていたほうがよいと思うのではなかろうか。つまり恵まれた環境で育った人たちなのである。(池田みち子「ルポルタージュ 東大駒場寮の秀才たちの昼と夜」『マドモアゼル』1961年2月号)

2015-07-26 10:16:09
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芳賀徹(当時、東大教養学部助教授)「研究室のお嬢さんたち」(「読売新聞」1970年7月22日)より。

2015-08-01 19:46:07
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>(前略、一学科の教官・学生共用のたまり場となっている部屋のことで)私自身がむかし学んだ研究室などは、鍋釜のたぐいから古い牛乳ビン、ラーメンのよごれたどんぶりまでがころがり、その間に大小でこぼこのこわれかけた木の椅子が散在している、というような貧しくもあわれな空間だった。

2015-08-01 19:46:21
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