秋山殿関連…かどうかはわからない個人的備忘録

徒然なるままにアレコレ記念その5。 僕のじいちゃんの話(時々優花里さん) ※史実を下敷きにしたフィクションに近いなにか。そして申し訳程度の優花里さん要素。
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ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

元々好き好んで山に登るような人であったから、肉が戻ればある程度は動けたそうだ。そんな具合だったから、まぁそれなりに毎日を過ごしていた。違うことといえば、ニュースの内容くらいであった。

2015-07-29 14:32:24
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

じいちゃんは学校こそ満足に出てないが、自分で教科書の写しを作っては勉強するような、勉強好きな人だったという。努力家で要領もよく、上官からも好かれていたこともあり、暗号兵の試験を受けさせてもらえることになった。四桁の数字を文字になおすという、アレである。

2015-07-29 14:45:24
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

試験には無事合格、晴れて暗号兵としての訓練を受けることとなったが、訓練が始まって暫く経った辺りで、じいちゃんの所属していた部隊のビルマ行きが決まる。しかしじいちゃんの訓練はまだ済んでなかった為、部隊は一足先にビルマへと向かい、じいちゃんは訓練を終え次第後を追う事となった。

2015-07-29 14:45:38
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

しかし、訓練を終えたじいちゃんが部隊に追いつくことは無かった。米潜水艦の魚雷攻撃により、部隊は船ごと海の底へと沈んでしまったのである。昭和二十年、まだ雪の残る時期であったという。

2015-07-29 14:45:45
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

部隊はなくなり、じいちゃんも行き場を喪った。失意に暮れるじいちゃんに、上官はこう問いかけたという。「お前、東京の出だったな。立川は近いか?」と。聴けば立川に空きがあるという。ここにいても仕方がない、東京であれば家族にもまたあえると、じいちゃんは立川に行く決断をした。

2015-07-29 14:45:53
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

再び東京の地を踏みしめたじいちゃんを待っていたのは、機銃掃射の洗礼だった。配属先の立川陸軍飛行場は、その周囲の工場群も含め米軍の攻撃対象となっていたのである。間断なく爆弾が降り注ぎ、遠くからグラマンが飛んできては機銃の雨を降らせる毎日だったという。

2015-07-29 14:45:59
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

被弾箇所の片付けをしてみれば、見たくないものも見えてしまう。爆風で屋根まで飛んでしまった遺体をおろしてみれば、工場まで働きに来ていた床屋のお客の娘さんだったとか、焼けた何かを積み上げたりだとか、そういうことが日常茶飯事だったという。

2015-07-29 14:47:52
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

そんな地でのじいちゃんの仕事は、隠匿された航空機の部品の警護であった。正確にはそこから離れた五日市の山中だったという。山に横穴が掘られており、その中に各種部品が隠され厳重に保管されていた。そこを何人かで警護する、というのがじいちゃんの任務であった。

2015-07-29 14:47:58
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

平井川という川のあたりにある寺院で寝泊まりをしていたそうで、お寺に向かって左奥にそこへ続く道があったそうだ。戦後じいちゃんは父と共にそこに赴いたそうだ。武蔵増戸の駅を出て暫くいった先だと父はいっていたが、お寺は半分幼稚園になり、横穴の位置もわからないくらい変わっていたらしい。

2015-07-29 14:49:41
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

さて、この地でもじいちゃんの自然好きはとどまることをしらなかったようで、川の中にいたドジョウをコッソリと飼っていたりしたようだ。お寺の梁の上にドジョウの入れ物を隠し、時折こっそりと観察していたらしい。なんの因果かそのドジョウもまた、床屋の近くでみかけたホトケドジョウだったそうだ。

2015-07-29 14:49:48
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

「かっわいかったよぉ~」とじいちゃんは語っていたらしいが、命がいくつあっても足りないような中でのささやかな癒やしをなっていたのは、恐らく間違いないだろう。

2015-07-29 14:49:53
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

じいちゃんは他にも色々なことをしていた。物資運搬の警護や雑務、さらには軍馬の給餌もしていた。あの戦争で死ぬかと思ったことは何かと父が尋ねたことがあったそうだが、なんと給餌といったらしい。爆撃でも機銃掃射でもなく、給餌である。

2015-07-29 14:49:59
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

給餌といっても馬を原っぱにつれていき草を食わせるというものである。じいちゃんが馬を引いてるところにグラマンの機銃掃射を受け、それが馬の尻にかすったか何かで大暴れしたことがあった。当然何頭も連れており、一頭が暴れると他のも慌てだし、じいちゃんは命からがらその場を逃げ出したらしい。

2015-07-29 14:50:08
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

あとでそっと戻ってみれば、馬はおとなしくしていたようだったが、何分軍馬であるから肉付きもよく、蹴られたりすればひとたまりもない。あれが一番肝が冷えた、というのだから何が恐ろしいかなんて体験しないとわからないものである。

2015-07-29 14:51:02
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

そうこうする内に三月十日がやってきた。世界史上最大の犠牲者を出した東京大空襲である。当時じいちゃんは八王子の方で警護をやっており、夜だというのに東の空に明るみがあるから何かと思えばもう瞬く間に昼間のようになってしまった。その明るさたるや、外で新聞が読めてしまうほどであったという。

2015-07-29 14:51:07
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

あっちは店がある方だ…とはたと気づいたじいちゃんは真っ青になったそうだ。大事な家族も店も、好きだった公園もあの景色もみんなみんな焼けてしまった…また何もなくなってしまった…と。結果的にはみな無事に済んだのだが、その時のじいちゃんには知る由もなく、ただ呆然とするだけだったという。

2015-07-29 14:51:23
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

その後は掃射とお天気の様子を伺いながら務めをこなす日々が続き、そのまま終戦までを本土で過ごした。命はつながったのである。

2015-07-29 14:51:31
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

部隊は解散され、杉並の店へ戻ったじいちゃんを迎えたのは、痩せこけた妻と娘、そして長男の死であった。享年二歳。栄養失調からくる衰弱死だったという。

2015-07-29 14:51:46
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

多くの人が命を落とし、皆が皆いろんなものを喪った。それでもじいちゃんには家族と店が残っていた。幸い空襲にもあたらず、道具があればいつでも営業再開出来たのである。

2015-07-29 14:51:52
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

その後は店を再開し、食うに困る時期もあったりはしたものの、なんとか軌道に乗る。そうして終戦から二年経って、ようやく父が産まれる。昭和も二十二年のことである。

2015-07-29 14:52:01
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

そこからさらに二年が経って叔父が産まれ、店も繁盛し、じいちゃんもようやく一段落ついたようだった。

2015-07-29 14:52:07
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

さて、そんなこんなで年月がたち、あるとき支店の話がもちあがった。西東京市からわざわざこっちまで通ってくれていたお客さんが、「土地が余っとるし近くに団地も出来る、どうだい?」と声をかけてきたのだ。はじめは乗り気じゃなかったじいちゃんも、繰り返し話を聴くうちにやる気になったらしい。

2015-07-29 14:52:11
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

そうして支店ができ、流行るとはいわないまでも、そちらもそこそこお客さんもつき、人も雇ってしっかりとやっていたらしい。このころには父も中学生になり、夏の休みには手伝いにいったりもしていたらしい。孝行息子である。

2015-07-29 14:52:27
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

父とじいちゃんといえばこんな話がある。父が中学三年になろうかというころだった。じいちゃんは父を理容学校に行かせて早いとこ跡を継いで貰いたかったようだが、その話をしたお客さんからは「これからは勉学がいる。高校くらいは出させなきゃ!」といわれ、それなら高校は行かせてやろうとなった。

2015-07-29 14:52:38
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

そして父が高校生になったら今度は「今どき大学くらいは」となって、さすがのじいちゃんもこれには悩んだが、父の熱意とじいちゃんの考えもあって無事父は大学への進学を許されたのである。やるからにはと猛勉強をした父は早大へと入学を果たし、卒業後は約束通り理容学校へいき理容師免許を取得。

2015-07-29 14:52:47
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