秋山殿関連…かどうかはわからない個人的備忘録

徒然なるままにアレコレ記念その5。 僕のじいちゃんの話(時々優花里さん) ※史実を下敷きにしたフィクションに近いなにか。そして申し訳程度の優花里さん要素。
1
前へ 1 ・・ 4 5 次へ
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

…こう書くとじいちゃんと父の仲がなにやら不穏なようにも見えてしまうかもしれないが実際はそんなことはなく、揃って山に虫を取りに行くほど仲が良かったりする。先述の武蔵増戸の話しもその一環である。自然好きのじいちゃんの血は父にも色濃く受け継がれており、父も山登りが趣味であった。

2015-07-29 14:53:01
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

父が免許を得てからは、父とじいちゃんの二人が屋台骨となって、本店でも支店でもバリバリ働いていったのだった。ここでようやくお義父さんの登場である。以前も記したが、優花里さんのお父さんはウチで働いていた内の一人だった。弟子…というわけではないが、ウチで修行をしていたのである。

2015-07-29 14:53:09
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

以前は書きそびれていたが、お義母さんも実はうちの本店で働いていたことがあったりする。といってもそのころはまだ二人とも夫婦ではなく、そもそもの働き先が支店と本店だったからそれほど接点はなかったようである。

2015-07-29 14:53:23
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

そっから支店がなくなって、何故かお二人がくっついて、優花里さんが産まれて、僕らが出逢った。こう書いちゃうとあっさりしてるんだけど、実際はもっとドラマがあったんだと僕は思う。じいちゃんの話だって、『若い頃は苦労した人』の一言で済むような話だ。ましてや戦前戦後の人は皆苦労を重ねてる。

2015-07-29 14:53:34
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

この一連の話の中で、じいちゃんにお姉さんがいることは記したと思う。行方はわからなくなっていたが、戦後しばらく経ってまだ生きていることがわかった。旦那さんとともに浦和で暮らしているという。そう聞いたじいちゃんは父を連れて会いに行ったそうだ。

2015-07-29 14:53:40
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

そうして会いに行ったじいちゃんが目にしたのは、世界から光を失った夫婦だったという。じいちゃんと同じく兵士だった旦那さんは戦後シベリアに抑留。伐採作業の折に倒れてきた木材の下敷きになり、その時に失明。じいちゃんのお姉さんは、虹彩炎にかかり、失明したという。

2015-07-29 14:54:01
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

復員してきたのち、目の見えない者同士で一緒になったらしい。家には物が無く、綺麗に整頓されていた。カナリアが一羽、カゴの中にいるきりであったという。戦後という時代もあったかもしれないが、目が見えぬゆえ余計なものを置くことはなかったのだろう。ただ寂しくは映らなかったと父は云った。

2015-07-29 14:54:12
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

父はその家には一度しか行ったことはなかったようだが、そのお姉さんが死ぬ間際、病院に見舞いにいったそうだ。父を呼び、そっとその顔を撫でたお姉さんは指先で父を感じながら「あの子の子供の頃とそっくり…」と震える声でそう云ったそうだ。旦那さんには先立たれ、最期はガンによりこの世を去った。

2015-07-29 14:57:17
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

父はその家には一度しか行ったことはなかったようだが、そのお姉さんが死ぬ間際、病院に見舞いにいったそうだ。父を呼び、そっとその顔を撫でたお姉さんは指先で父を感じながら「あの子の子供の頃とそっくり…」と震える声でそう云ったそうだ。旦那さんには先立たれ、最期はガンによりこの世を去った。

2015-07-29 14:57:17
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

それでも彼女にはじいちゃんという弟がいたし、父という甥っ子がいた。最期を看取る家族は確かにいたのである。それが彼女にとっての救いだったのかはうかがい知ることは出来ないが、僕はそうであって欲しいと切に思う。自分たちが生まれる前に起こった、悲しい話である。

2015-07-29 14:57:52
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

僕らはこんな苦労をすることなく、幸せに、一丁前に悩みながら日々をのびのびと過ごしてきた。百年と経たずにこんな人生を送れるようになったのは、正直なところ奇跡そのものだと思う。人は死に、地は焼かれようとも、めげずに生を重ねてきた人々の何もかもが、こうして実を結んでいるのである。

2015-07-29 14:58:03
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

じいちゃんの人生は、僕にはどう評していいかわからない。自分の知らない世界そのものだからだ。でも僕の中には確かに、じいちゃんの血が流れている。 自然が好きで、家族が好きで、散歩が好きで、笑って、笑って、笑って。これが僕の見てきたじいちゃんの全てだ。幼き日の思い出の全てだ。

2015-07-29 14:58:13
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

こうして誰かにきかなければ、こうして自分で記さなければ、その笑顔の、その皺の、そのひとつひとつの意味を知ることがないまま生きていただろう。一人の人間を、一つの歴史を、自分の中に流れる血の経験してきたものを、理解しないままでいただろう。

2015-07-29 14:58:20
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

それを知ることが出来た今、僕はあえてこういう形でその人の生涯を、このネットの海に放流したいと思う。こういう人がいたんだよ、こういう歴史があったんだよと、僕は世間に訴えかけたいのかもしれない。この行為になんの意味があるかはわからないけれど、それでも僕は、そうしたい。

2015-07-29 14:58:53
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

感謝の念がそうさせるのか、自己顕示欲がそれをさせるのか、それとも他の理由があるのかはわからないが、そういうわけで僕はここに、じいちゃんの生き様を中途半端ながら記す。最期に年老いたじいちゃんが死ぬまで続けていたライフワークについて語ろうと思う。

2015-07-29 14:59:04
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

じいちゃんが六十歳を過ぎたあたりの話だ。その頃は父も一人前になって久しく、じいちゃんもそれに負けじと働いていた。そんな頃じいちゃんは、近くの公園の小川に蛍を復活させようとしだした。越してきたころは沢山いたヘイケボタルが、すっかり姿を消してしまったことに気づいたのである。

2015-07-29 14:59:10
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

幸い小川には蛍の餌になるヒメタニシとカワニナが数多く生息しており、ここに幼虫を離せばあるいは…とじいちゃんは考えたそうだ。ひとまず多摩の昆虫館まで自転車で行って、そこで矢島稔という人に蛍の飼育法を教わったじいちゃんは、今度は埼玉の田んぼまで行き成虫のヘイケボタルをもらってきた。

2015-07-29 14:59:13
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

数にして十頭であるが、何をするにもはじめの一歩は小さなものである。そこから自宅の庭(これも自然好きが高じて自分で池を作ってしまった。鯉も棲んでいた。)で繁殖を繰り返し繰り返し、さらに小川のタニシやらが増えるよう川に工夫を施し、着々とその規模を広げていった。

2015-07-29 14:59:18
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

やがて七十歳にもなると定年宣言、父に仕事を任せ、自分は飼育に没頭。初めは十頭の蛍から始まったこの繁殖計画だが、その頃になると幼虫の数は五千頭まで増え、小川に放流。これを毎年繰り返し、見事蛍の飛び交う小川を復活させたのである。

2015-07-29 14:59:29
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

その間にも区に掛けあって小川の周りの土壌を改善してもらったり、川に分け入って蛍を根こそぎ採ろうとする心ない人を追い払ったりと苦労と努力を重ねていたのである。杉並区もこの熱意に動かされ、先の土壌改善の他に、小川の周囲に人が立ち入れぬように柵をたてたりと協力をしてくれたのである。

2015-07-29 14:59:34
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

じいちゃんの蛍は当時はちょっとした話題になり、時期になると連日テレビが撮影にくるほどであったという。また、個人としては初めて、東京都の環境賞を授与されたそうである。毎年放流を続けていたじいちゃんは賞を受けた翌年、ガンの為、七十八歳でこの世を去った。最期まで自然を愛した人だった。

2015-07-29 14:59:38
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

父は小川を見る度に、その当時のじいちゃんの姿を思い出すという。紺のジャージにゴム長という出で立ちで、夜な夜な蛍の様子を見回っていた、そんなじいちゃんの姿を。

2015-07-29 14:59:44
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

今現在はその意志を継ぐ人はおらず、結局のところ蛍はまた鳴りを潜めてしまった。が、先日その公園に石碑が立ち、じいちゃんの名前がしっかりと刻まれていた。僕のいるお社がそのあたりにある弁天さまを管理しているので時折見に行くが、そんな時にはその石碑をそっと、磨いてやるのである。

2015-07-31 16:04:22
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

じいちゃんは僕が物心ついてすぐに亡くなっていた。散歩が好きな人だったらしいが、僕の記憶の中にあるのは、床屋の二階の自室で、パラマウントベッドによこたわって、微笑みとともにこちらを見ている姿だけである。

2015-07-29 14:59:57
ガルちゃん @Garuchan_Kawaii

優花里さんもじいちゃんのことをよく知らなかった。うちの床屋を開いた人で、若いころ苦労をしたということしか知らなかった。僕自身もそうだった。だけどもう違う。じいちゃんがどんな苦労をしたか、どんな幸せを重ねてきたか、もう僕らは知っている。

2015-07-29 15:00:03
前へ 1 ・・ 4 5 次へ